サカタ・マンガ覚え書き2の続き。
このページもまた坂田靖子さんのマンガをサカタのタネにひま話を書こうと思うのですが、先にこちら(補記2)にお目通しいただけるとありがたいです。私は坂田さんの一ファンを任じていますが、そのあまりに「この作品はこうだ。」と断じる意図はなくて、ひとつの切り口を書いてみようというだけです。
一方「坂田さんがこんなことを仰っている」といったエピソードを交えますが、こちらもやはり一種の余談としてお受け取りいただければありがたいのです。作品は読む人それぞれが自由に楽しむべきもの、というのが坂田さんのお考えなので。(sakata
box に書かれたことは基本的に「雑談」ということです。)
今回も白泉社から出た初期の単行本(花とゆめコミックス)を取り上げます。
◆初期の作品2 (単行本)
この4冊は 1976年から79年にかけて「花とゆめ」「LaLa(らら)」等に発表された作品が収録されています。
◆「おばけ地帯」(1978)
D班レポートの連載以前に発表された作品を主に編んだ短編集。絵は最初期の丸みのある丁寧な描線が特徴的で、いずれも西洋風。しっとりしたおとぎ話、あるいは静かに沁みてくるリリックな作品が多いです。
表題作はある夕方、原っぱに巡回サーカスのテントが張られていることに気づいたことからお話が始まります。団長が語るに、おばけやドラゴン、ユニコーンなどみなホンモノで、仲間を探してあちこち旅をしているとか。米国の幻想作家ブラッドベリやリーミイのサーカス/カーニバル/ハロウィンものを想わせますが、妖精が輪踊りをする草地が出てきたりするのがケルト風というかイギリス風の味つけ。建物の屋根に刺さった煙突はしっかりイギリスです。
坂田さんは「無類のバケモノ好き」で、ハロウィンの夜に「バケモノたちが無礼講で練り歩くとなると、うれしくてしょうがない」ひと(sakata
box 2010.10.29)。秋になるとハロウィングッズやシールの売り場をチェックして同好の友人たちと盛り上がるのだそうです。
「ミオ」はシリアスな作品。田舎のおばあさんの家に引き取られた少年が、新婚旅行に出てそれきり音沙汰のない兄の迎えを千秋の思いで待っています。木立の下で淋しげに坐っている姿に、冒頭から哀しい結末の予感が迫ります。
「大奥様のお気に入り」は初めて祖母の住む屋敷に呼ばれた少年が、屋敷のヌシの精霊に出逢って「この家をあげる」と告げられます。ヌシの姿がアラビア風の少年なのがフシギ。坂田さんのお気に入りなのか、後年のアンソロジーに何度も収録されています。
見開きの宣伝文句。『坂田靖子は個性派といわれる少女まんが家の一人である。絵も発想もユニークなのだ。そして完全に面白いのだ。その面白さ加減が、ファンになればなるほど、ほかの奴にはここまでの面白さが分からないだろうな、と思いこませるような面白さなのだ。珠玉とよびたい8編収録。』
…なにしろ編集長さんにも最初は面白さが分からなかったそうですから(cf.覚え書き2)、実感のこもった宣伝文なのかもしれません。読んでいくうちにじわじわ良さが分かってきて、気がつくとハマっている…。
◆「D班レポート2」 1979
D班レポートは13篇のエピソード(Ep.)があり、2巻は
Ep.4〜8までを収録。1巻収録の Ep.3から少し間が開いて連載が始まったようです。なぜか毎回、校長先生が出てきてD班の迷惑をこうむりますが、坂田さんによると「えー・・・ワタシが小学校の頃に、なにかというと校長室に遊びに行っていたからだと思います。 ・・・なんていうか・・・ 他の、担任を持つ先生方と違って、校長先生はずいぶんヒマそうだったものですから・・・(おいおいおい!)」(sakata
box 2000.9.9) だそうです。
また毎回、気取ったポーズのムサイ君の兄を大描きしたサービスカットが挿入されてます。D班のメンバー以上に読者の人気を集めたのでしょう。彼はそのまま当時のヒット曲を歌うジュリー(沢田研二)の姿。D班は時事ネタ満載のため、掲載前に厳しいチェックが入ったそうですが、ジュリーはセーフだったのかな。しかし後に続編を望む声に対しては、「ジュリーさんの衣装からしてそのまま描けないのではないかと思います」とコメントされてます。ボギー、あんたの時代はよかったね。
D班以外に「冬の下宿荘」を収録。ちょっとシリアスなところもあるラブコメ。したたかな(そして健気な)女性と、気弱な(そして純情な)男性が、つまるところ相思相愛になっていくパターンは坂田さん得意の恋愛ものといえます。優しい男性はふいに干渉してきた女性によって平坦な日常を破られ、漸く気骨が通るのです。
見開きの宣伝文句。『パスコーリ班長をはじめ、トロップ、ムサイ、マッシュ、アイルショー、おなじみ
5人組が大活躍するほのぼの、ゲラゲラの学園コメディー「D班レポート」第二集です。いつもながら、飄々としたすっとぼけたおかしみは坂田ファンの期待を裏切りません。他に冬の下宿荘を収録。』
これはまあ、そのまんまですが、「すっとぼけた」というより真剣にやっているのに結果的にいつもギャグになってしまう、が近いかな。
◆「チャンの騎士たち」 1979
私が一番最初に買った坂田本(cf. 覚え書き)。シャレた洋モノのサスペンス・ドラマをマンガ仕立てでやってみた、という感じの4編収録。「チャンの騎士たち」はシリーズものになるはずだったのかもしれませんが、「マスカレード」と「コレクタールート・101」の2編だけが公刊されています。舞台はアメリカのニューヨークっぽく(摩天楼が描かれている)、チャンさんはチャイナドレスを着たジャジャ馬な行動派のレディで、富豪の娘らしい。あいにく私は元ネタが分かりませんが、なんとなくルパン三世の第一期を想わせるテイストでもあります(※1971-72年放映、繰り返し再放送されて人気が高まった)。とはいえ坂田さんがふーじこちゃんのようなヒロインを描くはずはなく。(※坂田さんはモンキー・パンチの絵/色気をすごく高く評価されてます。)
「ハリーの災難」は同じタイトルのヒチコック映画があり、昔テレビで観たことがあります。坂田さんは、「まだ観てないのですが、紹介文だけを読んですごく観たかったんです、死体をぐるぐる回す話だと。そのアイディアだけでもものすごいものだと思って。それでハリーの災難という言葉と、その死体がグルグル回るイメージとかで話が出来ちゃったんです。見事に。」(ぱふ 82−2)ということで、映画を観る代わりに自分で想像して描かれたわけ。さすがマンガ家。これもお気に入りなのか、後にアンソロジー「ハリーの災難」(1996)などに採録されてます。
絵描きのハリーと夫人のリリアのなれ初めは、やがてバジル・シリーズで描かれることになります。そう思ってみると、本作にすでにバジルらしき友人が出てきています。死んだはずのモデルのアーサーはバジル・シリーズでは健在で、ハリーに迷惑をかけ続けます。
「今夜はすてきなハロウィーン」は、カボチャのランタンをおばけに持ち去られた少年が、カボチャを追って魔物たちの世界に入り込み、ドタバタ大冒険。「おばけ地帯」のサーカスの団長ゾンビーさんが出てきて、ああ今はこっちの世界に住んでるんだなあ、とちょっとホロリ。
見開きの宣伝文句。『坂田靖子の持ち味が遺憾なく生かされたコメディタッチの探偵もの「チャンの騎士たち」
2編、傑作です。「ハリーの災難」「今夜はすてきなハロウィーン」文句なく楽しめます。ガウン、シェリー酒、葉巻、英国紳士、などふと思い、アメ玉しゃぶりつつ読みふける夜長、価千金。』
大人の世界を覗きつつ、口の中ではまだ甘いアメ玉をとろかしている、そんな年齢層の人たちにあてた作品集。チャンの騎士たちは英国紳士というより米国のおたくヤンキーと思います。
ちなみに、「ワタシ、イギリスはなぜか、資料見なくてもなんとなく適当に描けるんですけど、アメリカが、何をドーやってもまったく描けない…(汗)」(sakata
box 2009.9.3)だそう。
◆「D班レポート3」 1980
D班 Ep.9〜13を収録。
「絶対絶命!」にバルサンを焚くシーンが出てきますが、連載時は「商品名を書かないで下さい」と言われて「バルサマ」に変えられたそうです。「これはこれで、異様な語感になって面白かったのですが、日常会話としてはなんか違う・・・」と坂田さん。単行本ではバルサンに戻ってます。ちぇっ。
「太陽がめいっぱい」はアラン・ドロン主演の映画「太陽がいっぱい」のもじり。黒こげコンテストのポスターに大波(ビッグウェンズデイ)とルビを振っているのもサーフィン映画のタイトル。そういう古い洋画が新作ロードショーの宣伝と共にテレビで放映されて若年層の基礎教養(共有知識)となった時代でした。
ムサイのお兄さんが日焼けローションのポスターのモデルで登場、商品はカッコマンの「マン’ズワイン」。キッコーマンの国産ワインブランドのもじりですが、私としてはワインのシャワーより醤油のシャワーの方が黒くなりそうな気がします。ただ匂いはちょっと困るかも。(もともと日本人の体臭には醤油の香りが混じっているそうですが。)
日焼けしたいトロップ君が「アフリカに行きたいっ!」と言い出すところで、真っ黒なキリンが燃えているアフリカの風景が出てきます。ダリの絵画のパロディです。坂田さんは学生時分からダリやデュシャンがお好きでした。
「ちなみに、初めてダリの絵を見たのは、多分、中学の時の教科書に載っていた 『燃えるキリン
(現在は 燃えるジラフ という名称で呼ばれているが、当時はキリンと訳してあった)』だと思います。んで、その時の感想は 『なんなんだこりゃ???』でした。(中略) で、あまりに『なんじゃこりゃ?』だったので、図書館に行ってダリの画集を借りました。
中身はすべて『なんじゃこりゃ』でしたが、キレイな色の絵でした。
(ダリがお金持ちになれたのは、
内容わかんないけどとりあえず見た目がキレイな絵だったからだと思う)
んで、ダリが気に入ったので、私はその後しばらくシュールリアリスムにハマってしまいました。 (中略) いろいろ見ていくと、なぜかぐちゃぐちゃゲロゲロの作風のものが多くて、ちょっと困りましたが、
ヘンな作品が多くて楽しかったです。
ワタシがいま、時々ヘンな話を描いてしまうのは、
この時の『なんなんだこりゃ??』という感覚が楽しかったからかもしれません。」(sakata
box 2010.6.9)
そういうわけで坂田作品には時々、燃えるキリンが出演します。そして我々読者に「なんじゃこりゃ?」と叫ばせるのです。
校長先生は相変わらず迷惑をかけられてます。それでも生徒をかばって、「”綿の国星”風」に牙を見せて威嚇したりされます。「見せられて」(※当時流行ったジュディ・オングの曲名のもじり/歌う姿をドリフがギャグにしてヒット)では、学生の頃の0点の答案用紙をD班に見せて励ます破目に。なんでそんなもの、とっとくかねー。
見開きの宣伝文句。『「絶体絶命!」の危機をのりこえてみれば、「ロッジは花ざかり」春、「ハナチル・ミチル」葉も散るのに「見せられて」もう夏、夏休み、「太陽がめいっぱい」!!
おなじみ D班 5人組の超高感度(スーパーピッピッ)コメディー「D班レポート」シリーズ
5編と「オーガスティンの庭」を収録しました。』
なんのこっちゃ。
「オーガスティンの庭」はシリアス作で殺人事件に絡んだ復讐譚。全然関係ないかもしれませんが、ブラッドベリの短編「泣き叫ぶ女の人」をドラマにした洋画を昔テレビでやっていて、すごく印象に残っているのですが、一脈通じるところがあるかも(坂田さんも観たのかも、という気がします。)
ジュラという名に心あたりは?
◆初期の作品3 (単行本)
この4冊は 1979年から85年にかけて「ララ」等に発表された作品が収録されています。
◆「ヒューイ・デューイ物語」 1981
D班が終わる頃(1979年)から「La La」→「ララ」誌でバジル・シリーズが始まり
87年まで長期連載されますが、その合間を縫うようにいくつかのシリーズものが描かれました。その最初が6編からなる本作で、1980年4月〜9月号に短期集中連載。保釈されて保護観察中のスリのデューイと、航空会社の会長の孫のヒューイが暫くの間一緒に暮らします。舞台はアメリカのどこかの都会らしく(※通貨の単位がドル)、世間知らずでボンボン育ちのヒューイはなぜか出逢った初めからデューイになついて居候を希望。いつかデューイも心を開いて、二人は本当の友達になってゆきます。坂田作品に珍しい成長物語(成長したのは子供のヒューイよりもむしろ大人のデューイ)で、私は結構好きです。
始まりと結末があるのも坂田作品に珍しいらしく、ご本人は「結末のある例外として 『ライム博士の12ヶ月(最初から12話で1年を描くストーリーとしてスタートした)』、『ヒューイ・デューイ物語(ラストを前提にストーリーがスタートした)』、『黄金の梨(シリーズ物のような読み切り連載の体裁になっているが、結末のある話の途中部分を、エピソードごとに区切って描いているだけ)』などがあります。これらは結末に至ることを前提にした物語ですので、これで完結している訳です。」(sakata
box 2000.3.8)と仰ってます。
逆に言うと他の作品はシチュエーションがあって、その中でいろんなエピソードが展開されますが、基本的に始まりも結末もない、永遠の夏が続く世界なのです。バジル・シリーズも然りで、どこから読み始めてもよく、ただその世界に浸って楽しんで下さいという作品観です。これは手塚治虫作品に通じて、「私はもともと手塚治虫さんの非常なファンですので、…私の考えなんですが、手塚さんの特徴の一つは、ストーリーが完結しない(印象の)作品がかなりある事です。というか、結末を見るために物語を読むわけではない・・・ と言ってもいいかもしれません。 結末がないのかもしれないと思うこともあります。 物語の最中が何より面白いし、キャラクターと世界があれば、物語の展開がなくてもいいんじゃないかと思う場合もあります。(私が読む場合にはそれで満足できる・・・というイミですよ)」と書かれています。
見開きの宣伝文句。「スリにバクチに万引きと、その日暮らしの気ままなデューイ、だけどぼんぼんヒューイにあってから、なぜか地道に働きはじめ、いつの間にやら坊ちゃんヒューイと同居中!?
コミカルな中にも心暖まるふたりの交流が心地よい同居生活コメディー『ヒューイ・デューイ物語』!!」
そう、読んでいて心地よいのです。3作目、アパートの階段らしきところで二人が再会して、眠たさのあまりそのまま部屋に行かずに寄り添って寝てしまうところなど、何度も言って済みませんが坂田マンガに珍しい、感動的なエンディングです。
◆「ライラ・ペンション」 1982
「ララ」 1982年2月〜7月号まで短期集中連載された6編。日本の女子学生3人が一軒家を借りて一緒に下宿するお話で、「ライラ・ペンション」というハイカラな名前のイメージとは全然違った和風建築のボロ家。ハイオクに近く、その代り下宿代は月3,000円と当時にしても超格安。冬のさなかに引っ越して半年間の共同生活、それから梅雨に入るとタケノコがモコモコ生えてきて床板をめくり上げたトンデモ物件なのでした。それでも来年のタケノコが出るまで住もうと考えるひとたち…。
舞台は金沢あるいは北陸地方のどこかに想定されています。買い物に行って「マグロとフクラギ」を買ったりするのですが、フクラギと言って分かる読者は当時はほぼ北陸地方限定だったのではないでしょうか。フクラギ(福来魚)はブリに出世する前の体長30-40cm
ほどの幼魚で、ブリほど脂がしつこくなくて、値段も安くて美味しい、庶民の味方の魚です。ちなみに晩秋から初冬にかけて厚く垂れ籠めた雲の下、沖合で頻りと起こる雷を北陸では「ブリ起こし」といいます。これが鳴り出すと魚の美味しい季節。
また作中でタケノコを料理して「ワカタケ」にしてますが、どうやら分かる人と分からない人があるらしいです。ネームを見た編集者さんに、ほんとにそんな料理があるのか???と繰り返し追及されて弱ったのだとか。
「一瞬、『地方料理だったのかな?』 という考えが頭をよぎったんですが、『いやまて・・・ 全国誌のお料理の作り方で見た覚えがあるから、こりゃ地方名じゃないぞ』と考え直して、『ちゃんとした料理名です。ワカメとタケノコを薄味で煮た煮物です!』と言い張ったのですが、先方は『ぜったいにこんなものは存在しない。こいつが勝手に言い張っているに違いない、マチガイを正してやらなけば・・・』と思っているらしく、双方退かないので、けっこう長時間 『あるんです』『ホントですか?』『ありますから!』『聞いたことないですよ』が続いた覚えが・・・(はははは)」だそう。(sakata
box 2001.7.3)
単行本ではこの場面、手書きで「ワカメとタケノコの煮つけ」と説明が入ってるんですが、これで収まりをつけたのか、それとも連載時は説明なしだったのか、ヒジョーに興味をそそられます。今なら「若竹煮」でググればヤマほどヒットしますけどね。
「料理名くらいでそんなに粘るこたないだろう、単に『タケノコの煮物』とかそーゆー無難な名前に書き換えておいたらどうだ? とお思いになるでしょうが、こーゆー細かいところが変わると、いきなりリアリティが消失したり、瞬間的に物語の雰囲気が全崩壊しちゃったりとロクな事がない、いわば話の「詰め」の部分なので、完全なマチガイでもやらかしてない限り、こういう細部は譲れないのであります。 (こういう細部を譲ると、キリっと焦点が合ってないピンボケ写真のようなものになります。 全体像は、形さえ分かれば多少ボケててもまだ大丈夫ですが(<おいおい)、細部のほうはきっちりピントが合ってないとダメです。」(同上)と仰ってます。
このヘンは坂田さんのマンガ創作作法と深く関わるデリケートな側面だろうと思います。もしここで「タケノコの煮物」としてしまうと、多分マンガを描いた(生み出した)時に辿った流れの筋が歪んで、物語がすっと流れていかない気持ちの悪さ、空中分解するような感覚になるのだろうと思います。(私もそういうことってあるので)
坂田さんはすごく大胆というかいい加減な(に見える)描線をばかっと引いて、それがじっくり眺めているとスタイリッシュな美意識に見えてくる、さらに眺めているとやっぱりテキトーだなと思えてくる、慣れてくるとこれが坂田表現なのだと判る絵をお描きになるのですが(例えば上に画像をあげた本作の表紙絵)、多分、ご本人はここはこう描くっ!という必然性みたいなものがあるときにはあるのじゃないかと思えてくるお話です。マンガ界のクマガイ・モリカズ。
D班レポートが容れ物はイギリスで中身が日本とすれば、ライラ・ペンションは容れ物も中身も純和風のリアルタイム日本(当時)で、こういう設定は後年のレディースコミック連載の作品ではままあるのですが、初期にはチャレンジングなことでした。まんが専門誌ぱふにそのあたりの事情を語られています。
「-あまり日本ものを描かれませんが?
坂田: 何か私はすごく日本ものって描きにくいんです。ある程度現実感が出すぎちゃうと動きにくいんです。キャラクターが。私のキャラクターはかなり軽い動き方をするものですから、常識とか世間の義理とかそういうのはさまれちゃうと、動けなくなっちゃうんですね。日本でそれをやるとどうしても違和感が出ちゃう。外国ものでそういうキャラクターを描いても、まわりの人がちょっと変わっているなという程度に見ているという描き方でいいんですけれども。
…今度の「ライラ・ペンション」の方は高校生の女の子なもので、ある程度トンでてもいいだろうと。」(ぱふ 82−2)
ということで、意識して純日本ものに持ってきたことが分かります。テキトーに描いたんじゃなかったんだー。
日本古典芸能の落語には軽い動き方をするキャラクターが出てきて、いい気分に聴かせてくれますが、坂田さんの中では現実感と非現実的な動きとの均衡を日本ものでとるのが、初めの頃は難しかったのでしょう。(後には「珍見異聞」シリーズとか、「伊平次とわらわ」とか、時代を昔において距離をとることで、落語風の軽い和ものの傑作が描かれるのですが。)
リアルタイムと言えば、本作では「なめネコ」、「トシちゃん」、など時代がのぞく単語が出てきます。「峠の群像」(1982年の大河ドラマ)のキャスティングを褒めてますが、これは見てないと分からないですねえ(私はよく覚えてないけど、緒形拳の内蔵助はピッタリだったと思います)。「逆噴射」は当時漫才のネタになったり川原泉もギャグに使ってましたが、令和・平成の感覚だとちょっと笑えない。「うまやどさんが二人」は、今は「諭吉が二人」と言うところ。3年後にはエイチツー(栄一2)と言うようになるのかも。
part 5
「吾輩は猫である」などで夏目漱石をパロっていますが、多大な影響を受けた詩人・作家に「三木露風(詩人) 立原道造(詩人) 夏目漱石(作家)」を上げられています。水村美苗さんといい、才女ってなぜか漱石がお好きですね。
見開きの宣伝文句。「うっかりのずちゃん、はっきりザワシ、しっかりコウさん −三人三様の高校生が見つけた三千円の下宿先とは−!?
自立を目指すヤング諸君 ! 『ライラ・ペンション』を読んでガムバロウ!!
エルドン君登場の『夜は空の上』他、『悶絶おばけ屋敷』『しごと考』も同時収録。」
やー、ガムバるのはいいけど、この共同生活は自立じゃないと思います。「独立」でもない。女性三人組は学生時代の友達がモデルだそうで、「エイリアン・レモネード」(1980.1月「ララ」に掲載、「探偵ゲーム」所収)でも活躍してます。主人公ののずちゃんはモデルがあるせいか、天然ボケの幼さに妙にリアリティがあって、坂田マンガの中でも出色のキャラ。人気投票したらきっと上位にくると思われます。40周年記念本の裏表紙もこのコが主役(表表紙はバジル氏)。
「悶絶…」は友人のマンガ家、橋本多佳子さん作。サカタ農園のキャベツはホントに顔が描いてあったんだろうか。
◆「ライム博士の12か月」 1984
1983年1月〜12月まで「ララ」に連載された12のエピソード。覚え書き1に書きましたが、2番目に買った坂田本で、当時はちっとも感心しませんでした…。
手塚マンガについて語ったエッセイの中で坂田さんは、「時代的にはものすごく古い作品になりますが、作品的にすごくキレイに仕上がっている 『W3(ワンダースリー)』 を挙げておきます。
これは、この作品が発表された当時の日本を舞台にしたSF仕立ての作品ですが、手塚さんの美学と、ギャグと、サービス精神と、人間や世界や死に対する考え方が非常にハッキリ出ている、非常に切れ味のいい傑作です。
サカタヤスコのマンガで、これもすごく古い作品で 『ライム博士の12ヶ月(白泉社 花とゆめコミックス/現在絶版)』というのがあるんですが、これの、ものすごく遠いイメージのルーツに、手塚さんの 『W3』 があったような気がします。 読み比べてみた場合は 『どこがこれの???』 という感じですが、何かを読んだ後で、自分の形の中に出てくる・・・というのは、つまりこんなような事なんです。」(sakata
box 2001.9.21)
と仰っています。W3を読んでないのでよく分かりませんが、やはり強烈な印象を受けたインプットがあって、それが時間をかけていい具合に発酵しておのずと形になって出てきた作品なのでしょう。(補記2)
でもやっぱり私には今もよく分からないのです(結構何度も読んでますが)。「最初から12話で1年を描くストーリーとしてスタートした」(上掲)という構想自体にムリがあったのではという気もします。ラス前のEp.11なんか「いつもの11月」という副題で、登場人物たちがいつも同じことを繰り返して変化のない生活を送っていることをネタにしているくらいで…。
Ep.8(8月)の扉絵は広重の浮世絵、名所江戸百景の「高輪うしまち」の写しで、なぜか水平線からメフィストが海ぼうずのように現れてます。内容とちっとも関係なくって何なんだろうと思いますが、坂田さんはきっと広重のこの絵に大きなインパクトを受けたのでしょう。
見開きの宣伝文句。「宇宙の粗大ゴミとして地球に捨てられちゃったメフィスト君。心優しいライム博士に拾われて居候をきめこみました。お隣のベティさんと、悪魔嫌いの牧師さんを交えての 12の物語は、E.T.もまっ青という未来派感覚のコメディです!! 今年は春からメフィストだァ!」
◆「ノーベル・マンション」 1986
1984-85年に「別冊ララ」、「ララ」に連載された連作。80年代の坂田さんは白泉社との専属契約が終わって他誌のお仕事も出てきました。この作品が描かれた頃は「デュオ」、「ジュネ」、「銀星倶楽部」、「コミックトム」等に、それぞれの誌風に適応した作品を発表され、懐の深さを示し始めています。(女性誌に縁のない)男性読者にも作品が目につくようになった頃と思います。(で私は「天花粉」に出逢う。)
坂田さんはもともと少女向けの誌面でも男性が主人公の作品を好んで描いてきましたが、本作は(というよりこの当時に描かれた作品は)妙に男性キャラにリアリティが出ています。主人公はズボンに尻尾を縫い付けて生活して職場でもその格好を通すような自己愛の強い若者で、人が驚くのが嬉しくて、自分のことを冗談が激しいと認識しています(補記1)。そしてマンションの住人がその上をいく奇天烈さを見せるのを口惜しがる人なのですが(つまり奇天烈さが彼のアイデンティティ)、なぜだかその性格に一貫性というか現実味が感じられるのです(そういう風に描けるようになられているのです)。そして人外の住人たちとのマンション生活に馴染んでゆく日々は、妙にノスタルジックで楽しい夢心地。こんな生き方が出来るなら人生も捨てたもんじゃないと思えてくるのです。(ただし住人たちが仲間扱いしてくれるのは多分に彼のその偏ったキャラのおかげと思われますが。)
「ノーベルマンション
B1」では、半年間居候になったデリラとサムソンのためにあっさり仕事を辞めてキャリアを棒に振ります。なにも悩まずにそう出来るキャラクターは神話的というか、プエル・エテルヌス(永遠の少年)というか、「ぶらぶらおじさん」の元型にヤラれてんだなあと思いまする。夢ですよ、それは。
デタラメな感じが楽しい作品ですが、「キリマンジャロの雪はスダレを上げてみる」はヘミングウェイの小説(後に映画化)のタイトルと、香炉峰の雪を歌った白居易の漢詩のパロディ。簾を巻き上げる動作は清少納言もパロってて(枕草子)、当時は学校の教科書でおなじみのトピック。だから高校生でも笑えた。「お骨をちょうだい」は鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」(1980)のセリフ。マンションの住人ビッグマックの奥さんは森永のコンデンスミルクのイラストを強く連想させます。(やー、ワタシもつくづくヒマだなー)
見開きの宣伝文句。「変わり者のマック君が引越して来たマンションの住人たちはちとおかしい。牛の格好の人、冬眠する人etc.
マック君もモー負けそう!!
−これが噂の『ノーベル・マンション』!!! B1
の住人デリラとサムソンも加わってにぎにぎしく、読者諸君(みなさまがた)をWELCOME!
♡」
ウシの格好の人はビッグマックというひと。カロリー高そう。冬眠する人はキノコ。デリラは何者なのかついに分からない、見た目はフツーの少女で、聖書とは名前以外なにも共通点がなさそうな。だいたいサムソンは見た目全然ひとじゃないし。
こうして4作を並べると、「ヒューイ・デューイ物語」は他人同士の大人と子供の同居生活、「ライラ・ペンション」は友人三人のシェアハウス生活、「ライム博士の12か月」は発明家の博士とUFOに捨てられたロボットの同居生活、「ノーベルマンション」は人外の住人専用のマンションでの異界内生活とマンション崩壊後の地下での居候生活を描いたもので、いずれもキャラ/価値観の異なる他人との同居がモチーフになっていることが見えます。
同時期に描かれたバジル氏では、主人公の独身貴族が子供を拾って(買って)召使いとして館に置くようになり、友人の貧乏絵描きは身分差婚の新婚早々悪党のモデルを家に居候させ、また別の友人の議員さんは大騒動の末、ついにとうとう酒場の給仕をしている女性との結婚にこぎつけます(バジル氏は結局(作品の中では)自分の世界から出てこないのですが)。
あるいは坂田さんはそういう状況をあれこれシミュレーション体験していたのかもしれません。
◆初期作品のリバイバル本から (単行本/文庫)
以上、前回と今回で紹介した白泉社の初期単行本(花とゆめコミックス)は、80年代中頃にはまだたいてい本屋さんで見ることが出来ましたが、90年代に入るまでに新刊本が手に入らなくなっていました。
代わりに初期傑作集と題して 1993年に白泉社ジェッツコミックスから3冊のアンソロジーが出ました。ここにあげた「エルドンとジムと」、「きのうとあしたと」。そして「おばけとねこと」です。
「エルドンとジムと」は題名の通りエルドン・シリーズ7作とジム・シリーズ3作とを併せたアンソロジー。
「きのうとあしたと」は「青絹の風」や「夜のお茶会」に入っていた抒情的な作品8作をまとめたアンソロジー。
「おばけとねこと」も同様ですが、アヤシい眼をして言葉をしゃべる猫やら、オバケやら魔女やらが出てくる作品10作をまとめたアンソロジー。「大奥様のお気に入り」も入ってます。
私の記憶では当時「エルドンの夜」や「青絹の風」は新刊が消えて久しく、おそらく白泉社も再版の予定がなくて、代わりにこちらで出したものとみえます。しかしこれらも数年のうちに本屋さんで見かけることはなくなりました。
一方、バジル氏をはじめ白泉社本の中でも人気があったと思しい作品集は、白泉社文庫に順次収められてゆきました。98-99年にかけてバジル氏以外で6冊が出ています。(バジル氏は
91年に愛蔵版、96-97年に文庫版。)
坂田さんのホームページ SAKATA BOX は 1999年4月8日の開設ですが、入手しにくい本を「超レアもの」と呼んでコーナーを作って紹介されたりしてました。
ところがその少し後から、各社でアンソロジーや文庫本の出版ラッシュがあり、ちょっとした坂田ブームが起こったのでした。SAKATA BOX
の人気に気づいた出版社さんが、これは売れると踏んだのではないかと私は思っていますが。
ここにあげた「D班レポート」(2002)と「ライラ・ペンション/ノーベル・マンション」(2002)。そして「ライム博士の12か月」(2003)は、再版はないだろうと悲観された作品が一気に文庫化されたものです。
2001.6.1のsakata box は、「…『チャンの騎士たち』は、ずっと昔に、白泉社の 花とゆめコミックス として発行された本でして、現在は絶版になっています。
『チャンの騎士たち』だけではなく、花とゆめコミックスで発行された『バジル氏の優雅な生活』以外のほぼすべての作品は、現在、新規には入手不可能で、文庫などで再発行の予定というのもありません。(お便りで問い合わせてくださった皆さんごめんなさいね。 特に「D班レポート」のファンの方(この希望は複数おられたんです)、当時としては(私の作品にしては)読者の多い作品だったんですけど、さすがに今は古いので(販売数も確保できないと思われるらしくて)再出版の候補にはなってないようです。 ごめんなさい!)
・・・さて、サカタヤスコの場合なんですが、あんまりハッキリ言うのもなんなんですが、そんなにたくさん本が売れません(おいおい・・・)」とお書きになるような状況でした。
ところが、2002.4.3 には「白泉社文庫から、6月刊で 『D班レポート(全1巻)』 が発行されます。すごく古いので作者本人はちょっと冷や汗ものですが、再発行されないのか、とか、昔持っていたけどもう一度手に入れる方法はないか、というようなお問い合わせをいただく事が多かった作品なので、 『よ、よ、よかったーー!』という感じです。
新しく担当された編集者さんが <復刊ドットコム> の投票数や書き込みも参考にされたみたいで、ここに復刊希望の投票をしていただいたり、コメントを書き込んでくださった方、そのほかにも直接間接に、いろんな形で出版社側に 『読みたい』 という希望を伝えてくださった方々、 ほんとにどうもありがとうございました!
おかげでこの昔の作品が、もう一度日の当たる場所に出ることになりました。先ほども言ったとおり、作者は懐かしすぎてちょっとハズカシイんですが、店頭に出たら 『おお、こんなのもあったっけ』 と、のぞいてやっていただけると、とってもウレシイです!」というニュースが入ってきたのでした。
続いて 2002.6.17付で「文庫版 「『D班レポート』(全一巻です)が白泉社文庫で発売になりました。『調子が弱かったので直して欲しい』と要請したカバーの色が、本番で見事に直っています。とにかく、昔の 『花とゆめコミックス』 で出た時の印象に近い感触仕上がっています。・・・。 最後の初出一覧のところも、 『読者の方に、前の単行本の中の何が収録されて何が入ってないか、わかるようにしておいて欲しいんですけど・・・』 と頼んだら『あ、わかりました』 と、ごく簡単な返事だったんですけど、できあがった本見たら、これまたものすごい的確に入ってるので、こっちにも感動しました。マンガ好きな方で、ホントにしみじみ助かります・・・!
で、遊びに来た友達に、『古い作品だけど出たんだ』 と文庫を渡したら、カバー裏を見て『いまこれ・・・ わかる人いないよね』
(ウルサイよ・・・! この間スターウォーズの1作目放映してたからいいんだよ!)」と報告されました。
ちなみに「D班レポート」文庫版にはD班シリーズ13作がすべて入っています。(単行本に併載された、シリーズ外の短編は入ってません。)
「カバー裏を見て…」というのが何を指しているのか、私はちょっと分かりませんが、D班が小さなボートに乗って海に出て、ムサイ君がひょっこりひょうたん島の博士みたいに望遠鏡を覗いているカットのことかなあ?
「ライラ・ペンション/ノーベル・マンション」は単行本2タイトルを韻を踏んで一つにまとめてあります。表紙絵の主役はやっぱりのずちゃん。
というわけで覚え書き3はここまで。次回は(もしあれば)、バジル氏シリーズのここころだァ。
補記1:40周年記念本の対談で、坂田さんは好きな手塚作品として「0マン」(ゼロマン)をあげています。リスみたいな尻尾のある宇宙人が地球で暮らすお話。主人公のしっぽがとれて縫い付けるシーンがあって、「すごいドキドキした」そうです。「ノーベル・マンション」の主人公はあるいはその影響があるのかも。
補記2:W3(ワンダースリー)を読んでみました。なるほど12月(エンディング)のところはちょっと近い感じがあるかも。登場キャラも割り振りが出来なくもない気がしますが、まあそんなことをしないでこの作品はこの作品として楽しむのがよさそう。
cf. ベル・デアボリカ サカタ・マンガ覚え書き
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