その1にエルツベルグで採掘された鉱石の総量を示したが、過半は20世紀に入ってからの産量であった。もちろん採掘施設の近代化によるところが大きいのである。
採掘にあたって初めて火薬が採用されたのは1720年で、ダイナマイトは
1870年から用いられた。マシンドリルの導入は1908年であった。今日の採掘設備は
1968-75年頃に整えられた。1978年に流し込み式の含水爆薬(エマルジョン/スラリー爆薬)が採用され、強力な油圧穿孔機と相俟って、単位時間・作業員あたりの生産量は従来の10倍以上に増えた。
鉱石の運搬は 1564年から1810年頃までは袋詰めにして人間が手押し車で運んでいたという。鉄道が敷かれたのは1820年で、一次大戦から二次大戦の頃には鉄路の延長は
240kmに伸び、うち40kmが地下を走っていた。
地下の坑道掘りはかつて5つのピットを擁し、採掘量の約17%を占めたが、年々利益が乏しくなるなか、1986年で打ち切りになった。現在では一番新しいピットの一部(レベル1)が観光施設として一般に提供されている。今日、露天掘り鉱石の運搬はトラックに依り、鉄道は使われていない。
地下坑道見学コースの鉱夫ワゴン。
これにのって水平坑道の奥に入っていく。
ちなみに坑内は寒いので防寒着を着ていった方がいい。
観光坑道の入口あたり
列車を降りたら後は歩いて坑道を巡る
坑道はときに広く、ときに狭い
石灰岩の山らしく、ところどころに鍾乳石や石筍がある
あちこちに採掘機械が展示されている
機械化以前の採掘の様子
鉱山起源伝説のヴァッサーマン(水妖)の展示
鉄山の起こりについては有名な伝説がある。その昔3人の漁師が、近所の湖、レオポルトスタイナー・ゼーで釣りをしているとき、水妖(ヴァッサーマン:
Wassermann)を捕まえた。漁師らはアイゼンエルツの村に連れ帰ろうとしたが、エルツベルグの山が見えるところまで来ると、水妖が苦しそうに暴れ出し、放してくれたら贈り物をしようと懇願した。そして金の川か銀の心臓か鉄の帽子か、どれかを選べという。ただし金の川はすぐに(1年で)尽きる。銀の心臓もやがて(10年で)なくなる。鉄の帽子は尽きることがない、と。(金は10年、銀は100年、鉄は永劫というバージョンもある。ツアーではこちらの説明だった。)
漁師たちは鉄を選んだ。水妖は山を指し、そこの洞窟の泉の湧くところで鉄が見つかると教えて去った。
別の伝説によると、水妖は村の近くを流れるエルツバッハ川が氾濫したときに捕まえられたといい、鉄の在り処を教えると、レオポルトスタイナー・ゼーの近くの、漆黒の鍾乳洞泉(シュヴァルツ・ラッケ)に消えた。
露天掘りツアーのスタート地点にあった展示。鉱山の由来譚を示す。
なぜか後ろの方にドワーフが…。
白ヘルメットの女性がガイドさん。説明はドイツ語。
英語で聴きたい場合は事前に予約が必要。
聖バルバラの礼拝洞
近年は結婚式や文化イベントに使われている(詩の朗読会や演劇など)
鉱夫たちは毎年12月4日に聖バルバラ(ワルワラ)の祝日を祝う。伝説によるとバルバラは3世紀頃の人物で、小アジアはニコメディアの、異教徒の王の見目麗しい娘だった。求婚者たちから遠ざけるために塔に幽閉して育てられるが、そんな生活の中で禁じられていたキリスト教を信仰するようになった。あるとき塔に浴室が設けられることになり、窓を2つ作ると聞いた彼女は3つにするよう頼んだ。その理由がキリスト教の三位一体を示すためと知った父親は激昂する。バルバラは逃げ出して山に入り、そのとき岩が開いて洞窟が現れた。しばらく洞窟で暮らしたが、羊飼いに密告されて父のもとに引き戻された。そして受難の末、12月4日に殉死を迎えた。
受難のとき、火による傷は神の奇蹟によって翌日には癒えていたといい、十四救難聖人の一人に列聖されて、発熱や急死から人々を護ると信じられた。また鉱山や火を扱う危険な場所で働く人々を護るとされ、鉱夫、石工、砲手、消防士、囚人などに祀られた。スペインではかつて軍船や砦の弾薬庫に像がおかれ、「サンタ・バルバラ」は弾薬庫を指す言葉ともなった。フランスではトンネル工事の現場に像を祀る。ドイツでは農事とも結びつき、「白衣のバルバラは恵みの夏の訪れを告げる」ということわざがある。12月4日に雪が降ると、次の夏は豊作になるのだと。
鉱山博物館の企画展ポスター
エルツベルグの鉄の花
エルツベルグでは、暗い色の鉱石を掘る鉱夫たちの手が、雪のように白い石によって止まることが稀にあった。イソギンチャク状あるいはサンゴ状の石は坑道の闇に咲く花のようで、「鉄の花」(アイゼン・ブリュート/フロス・フェリ)と呼ばれた。白衣のバルバラの贈り物であったろうか。ときに鉄の花が空洞をそっくり覆っていることがあり、そこは「宝物庫」と呼ばれた。
坑道見学コースの終りあたりに、かつてエルツベルクで発見された最大の鉄の花が展示されている(上の画像はその一部)。
150x70cmの大きさがある。cf.ギャラリーNo.167 ヨアネウム3(鉄の花)
坑道コースの見学を終えて地上に戻ってくると時刻は夕方の4時頃。雨が激しくなっていた。鉱山をあとにグラーツに向けて山道を戻る。峠の坂を登り始めると、やはり雨は雪に変わった。
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