48.水晶  Quartz   (ブラジル産)

 

 

私たちは、ツイン・クリスタル。二つの結晶がV字の角度で一緒に成長した、双子です。

カテドラル水晶 −ブラジル、ミナスゼラエス州レスプレンドール産

 

魔法使いのマジナイを例にとるまでもなく、名前をつけるという行為は、その物質なり人間なりの在り方を規定する魔術的な力を持っている。たまたま手にした水晶の標本に、「カテドラル水晶」という名前をつけた途端、それは「カテドラル」という属性を持った特殊な水晶としての価値を持つようになる。以来、人は標本を眺めるたび、その特殊性を思い浮かべずにいられないだろう。実際、私は写真の標本を買うまで、カテドラル水晶という存在を知らなかったので、ラベルがなければただの水晶として扱っていたはずだ。だが、ラベルのおかげで、この標本を特別に珍しい種類の水晶と信じているのである。

命名はまた、人間が本能的に持っている未知の存在への恐怖を解消してくれる。どう見ても薄汚いただの石ころにしか見えないものでも、SEM写真と、X線蛍光分析のスペクトルグラフをつけて、それらしい(きわめて珍しい)鉱物種のラベルがついていれば、安心であるし、むしろたいへんに有り難い宝物と化す。

ちなみに人間の場合、「彼は不良だ」とか、「彼女は可愛い」とかレッテルを貼ると、まさにその対象となった人間自身が、自分をそういう存在として受け止め、レッテルにふさわしい行動をとるようになるという。社会学では、これをラベリング(理論)とよんでいる。会社では課長は課長らしく、部長は部長らしく、偉そうになる。器を作れば、中身は自ずから整うのである。

しかし、鉱物の場合は、器がいくら立派でも、中身がそれにふさわしく成長するということはない。「おまえは金の卵」だ、といわれて発奮する人間の若者とは違って、鉛はいつになっても金にはならない。そういう意味では、さびしいことに鉱物には人間のような精神は備わっていないらしい。信仰によって救われるのは専ら人間の方であって、鉱物自身はそんなこと気にもかけない。おれはおれだよ、と言ってすましている。

cf. No.953 カテドラル水晶

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