728.トルコ石 Turquoise (USA産)

 

 

Turquoise from Burtis mine in Cripple Creek, Colorado

トルコ石 -USA、コロラド州クリップルクリーク、バーティス鉱山産

 

米国におけるトルコ石の産地といえば、ネバダ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州が御三家だが、コロラド州にもトルコ石は出る。ただ商業規模で採集されたことはあまりなく、これまで少なくとも5つの地域で産出したものの、現在も続いているのはクリップルクリークだけである。
この1世紀半、コロラド州には金やウランやを探して多くの探鉱者が訪れたが、たいていトルコ石には興味がなかったか、その値打ちに思い至らなかったかして、結果的に趣味レベルの採集にとどまったのだという。
クリップルクリークではゴールドラッシュのあった1892年頃、すでに金に伴ってトルコ石が出ていた。心得のある鉱夫が原石を売ったり、磨いて贈り物にするようなことはあったし、地元のネイティブのクラフトマンが加工して売ることもあった。エルク・ホーン鉱区、オハバー鉱区、ヒドゥン・トレジャー鉱山、ロアノーク(坑)、フローレンス鉱山などが知られ、これらの石は「クリップルクリーク」の名の下に世間に出てきた。しかしその量は御三家の有名ブランドに比べるとまるで少なかったのである。

なかでフローレンスはもっとも長く続いている家族経営のトルコ石鉱山で、ミネラル・ヒルの南斜面にあって、町の北側に隣接している。もとはエマ・パーマーという、20エーカーほどの漂砂鉱床を坑道掘りする金鉱山だった。当初は地表付近でもトルコ石が拾えたといい、金が採れなくなった後もトンネルに潜れば、ところどころでトルコ石の脈が見つかった。トルコ石鉱山としての歴史は1939年に始まる。
1938年、ワレス・C・バーティスという男が家族を連れてクリップルクリークにやってきた。大不況の末期のことで、生活に窮した一家はコロラドの東の平原を出て、鉱山町に楽師のクチを求めたのだ。少年の頃、岩や鉱物に関心を持って集めていたワレスは、クリップルクリークに来て少しは金も掘った。ただ一攫千金の夢の時代はすでに遠く、大勢の鉱夫が金を探していたが、その頃にはほとんど何も採れなくなっていた。翌年彼はエマ・パーマー鉱区を買い、「フローレンス・ロード(鉱脈)」と名を変えて、趣味でトルコ石を掘るようになった。独学でジェムカッティングや銀細工、宝飾加工を覚えた。

息子のウォリー(ワレス・F・バーティス)は、町にきた7歳のときから父と一緒に地底に潜ってトルコ石を掘った。石の細工も父に教わった。鉱区をパテント化したのは1961年、ウォリーが30歳の時だった。
「1950年代には、父と私は一緒にトンネルの中で働いた。ハンマーとタガネでドリルホールを開け、ダイナマイトをつめて爆破した。トンネルはあまりにもろく、危険で、坑道を維持するために大量の木材が必要だった。最後には坑道掘りを諦め、ブルドーザとバックホーで地表から掘り返すことにした。露天掘りに替えてから我々はより多くの岩石を動かし、よりたくさんのトルコ石を採った。ブルドーザのわだちにトルコ石の大きな塊を見つけたことを覚えている。
露天掘りをすると多量の廃石が出るが、問題ではなかった。いろんな用途があったので、25年にわたって町が無料で回収してくれたからだ。町に廃石が運び込まれると、人々はトルコ石を探してすみからすみまで漁ったものだ。雨で埃が洗われ、明るい青色がよく見える日には大勢が拾いにきた。ときには私の父が掘り出すよりもたくさんのトルコ石を町の人たちが取っているように思えた。金山の廃石も運び込んでいたから、町の通りはトルコ石と金鉱石とで舗装されていると言っていいくらいだね」とウォリーは笑う。

50年代、独立記念日になると毎年ワレスは「バーティス・ターコイズ」の幟りを立てたトラクターを繰り出した。しかしそのトルコ石は売り物でなく、バーティス家は原石と宝飾品の素晴らしいコレクションを山のようにストックし続けた。70年代に入ると、米国ではトルコ石熱が全国的に興った。彼らはためしに一家の石を売りに出してみた。すると驚いたことに、サンタフェやアリゾナやニューメキシコ保護区のたくさんの宝飾品業者たちが大量に買っていったのだった。
1982年にワレスが亡くなると、ウォリー(と妻のジョアン)が鉱山を継いだ。彼らは石を地元の2つの宝石・鉱物ショーに出展し、またツーソンやデンバーの大きなショーにも出すようになった。バーティス・ターコイスの名は次第に広まっていった。1987年頃には6ポンド(約2.7kg)を超える無垢のトルコ石塊(脈として産するので厚板状)を2ケ掘り出して話題になった。
しかし全般的にいえば、ウォリーは機械操作の本業(後には教官になった)が忙しく、もともと趣味レベルの副業だったトルコ石採集に割く時間はあまりとれなかった。2000年から2010年までの間、サンタフェの業者は彼のトルコ石を「クリップル・クリークの天然(非処理の意)トルコ石」のブランド名で販売した。というのは、バーティス・ターコイズは珪酸分が十分に浸透していることと、コランダム質の微粒子を含むこととによって、モース硬度6.5以上(〜7)の硬さを持っており、いわゆる樹脂含浸による安定化処理をまったく必要としないからだ(普通のトルコ石の硬度は5〜6)。なかには硬度8に近い石もあり、デンバーの地質学者ジャック・マーフィは、かつて知られたなかでもっとも堅いトルコ石と評した。
色はいわゆるロビンエッグから青色、緑青色までさまざまなバリエーションがあり、褐鉄鉱による金茶色の脈やマンガン鉱による黒い細い筋からなる魅力的なマトリックスを持っている。

その後、(高齢の)ウォリーは背中の手術を受けることになり、採掘が出来なくなって販売も中止された。2013年の春、彼は古い友人からネイティブの宝石カット職人クリント・クロスを紹介された。クリントは鉱山の管理を引き受け、石を細工して宝飾品にし、かつ米国全土に向けてのセールスも引き受けることになった。二人はすぐに露天掘りを再開し、「バーティス・ブルー・ターコイス」の名で、新しいビジネスを始めたのだった。
そして今年2014年6月のある日、フローレンス鉱山(バーティス鉱山)は高品質のトルコ石脈に当たった。露天掘りの一番底の部分で青い細い筋が見つかったのだ。翌日ピッケルとシャベルで筋を追っていくと、5フィートほど掘ったところで大きなポケットが現れた。それから数日かけてピットを広げた。盗掘を防ぐため、ウォリーとクリントは毎晩脈の上を5フィートほど埋め戻した。翌朝はそれをまた掘り上げてから、トルコ石の採掘を続けた。やがて厚さ5インチのムク板が現れた。大板を掘り出すと、まず3つの塊が取り出せた。ひとつは3ポンド、もうひとつは6ポンド、少し大きいのが25ポンドあった。最後に残った部分を骨を折って掘り出すと、92ポンド(約42kg)あった。最終的にこのポケットから計200ポンド(約90kg)のトルコ石が採れた。クリーニングして小さな塊に分けていくと、大きなバケツ何杯分にもなった。石の色は鮮やかな明るい青色から青緑色で、実際どれもが宝石質といってよかった。その値打ちはざっとみたところ、原石1ポンドあたり千ドル(グラム250円)とクリントは推測した…。

上の標本はバーティス鉱山のもの。
この秋クリップルクリークを訪れた時に、ある土産物店のガラス窓越しに "Bortis mine Turquoise !" とペン書きのカードを添えて、小ぶりの原石が置いてあるのを見つけて、求めたのだ。
もちろん私はそのときこの石のなんたるかを知らなかった。「クリップルクリークの石?」と訊き、「そうだ。あの丘のあたりで採ったものだ」という答えに満足して買ったのだ。Bortis (ボーティスと発音していた)が、どうやら Burtis (バーティス)らしいと気づいたのは、つい最近のことで、 R & G誌の11月号がバーティス鉱山のトルコ石を特集していたからである。言ってみれば、たまたま旬の標本に行き逢ったわけ。こういうとき、鉱物の神様にありがとうをいいたい気持ちになりまする。

補記:現在、クリップル・クリークではこのバーティス(フローレンス)鉱山と同じ丘の少し高いところからもトルコ石が出ている。こちらはデビッドとハリエットのグラハム夫妻が所有する鉱山で、採集した石を「クリップルクリークのバッド・ボーイ(ワル/ふりお)」の名で宣伝し、販売している。ここのトルコ石の中には稀に自然金の粒の入ったものがあるという。またロアノーク坑の近くでも、断層模様の入ったトルコ石が出ているそうだ。

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