727.藍銅鉱 Azurite (USA産) |
藍銅鉱がいつ頃からアズライトと呼ばれるようになったかは、いささか興味を惹かれる問題である。というのはNo.227 に書いたように、Azurite 藍銅鉱と Lazulite 天藍石と Lazurite 青金石とはいずれも青を意味する同じ言葉から派生した名前で、意味も同じなら響きも似ており、何故わざわざ紛らわしい名前を選ぶ必要があったのか、と首をかしげざるをえないからだ。実際、言語上の類似のために、これらの間には(会話でも文献でも)相当レベルの混同が行われてきたと考えられる。だいたい日本人にLとRの識別はムリなのだ。ソフィア・コッポラに指摘されるまでもなく(ロスト・イン・トランスレーション)。
それはさておき、古い鉱物書における藍銅鉱の名称を見ると、Brauns の「鉱物界」(1912)や Spencer の「鉱物の世界」(1911)では本鉱は
Chessylite チェシーライト
(補記1)の名で記載され、かつアズライトの呼び名も一般的であることが述べられている。
その半世紀前の Kurr の「鉱物界」(の英訳 1859)は Azurite と Chessylite
とを併記しており、これに Copper Blue (ドイツ語の Kupfer lazure の訳)が付記されている。
ちなみに孔雀石を粉末にした顔料は Mountain green
と呼ばれたが(cf.No.725)、藍銅鉱の顔料は同様に Mountain Blue/
Bergblau
と呼ばれた。緑と青。
さらに半世紀前の Sowerby の「英国の鉱物」(1804)になるとアズライトの名はなく、ラシュレイ卿コレクションの(おそらくコーンウォール産の)毛状集合標本が単に
Carbonate of Copper
として紹介され、「以前は銅の砒酸塩と考えられていたもので、(毛状結晶は)極めて稀」とある。またワンロックヘッド産の花弁状結晶標本が、フランス語で Azure de Cuivre、ドイツ語で Kupfer lazure
(いずれも銅青の意)、英語では Blue Calciform Copper Ore
の名で参照されていて、「この種の結晶はこれまで稀にしか見られなかった」とある。
ついでにいうと、ワンロックヘッド産藍銅鉱の図版の次には緑色の炭酸銅結晶標本が載っていて、「先の標本と同じ産地でごくごく稀に発見されるものだ」とある。今日でいえば孔雀石化した藍銅鉱(cf.No.726)である。
なお大陸ではフランスの版画絵師ジャン・ファビアン・ゴーチェ・ダゴティ(1747-1781)(あるいはその仕事を引継いだデフォンテーヌ)の図版に Azure de Cuivre の名でハンガリー産の藍銅鉱結晶標本が描かれている。
タネを明かせば、木下学名辞典によると Azurite
の名を定めたのは R.Jameson で 1805年のことだという。とはいえ、
この頃には藍銅鉱をアズライトと呼ぶ慣例はなかったらしく、Sowerby
「異国の鉱物」
(1811)が Azurite
として紹介しているのはザルツブルク産のラズライト(Lazulite/
天藍石)である。早くも混同が起こっていたようにも思われる。
19世紀前半は英国博物学が花開いた時代であったが、Sowerby
の図鑑は鉱物がまだ国によって異なった名称で呼ばれていたことを如実に示している。その後(特に1830-40年代にかけて)次第に整理され、二語形の名称は排除され、一語形の学名(***
-ite/ -lite) が幅を利かせていった。
そしてこの時期を通過すると、残ったのは(多分フランス主導で)
Chessylite と Azurite であった(ドイツ語圏では今も Kupferlasur
が通る)。前者はその頃シェシー・レ・ミーンから本鉱が多産していたからで、後者は(Jameson
の記載もあるが)Azure de Cuivre
からの派生形だろう(フランス古語の Azur と接尾辞 -ite)。シェシーは12世紀にザクセン人が銀を掘っていたという古い鉱山だが、当時は銅が掘られていた。ここに産した青色結晶をビューダンが
Chessylite の名で記載したのは 1824年だった。その後
20世紀後半までに Azurite
に一本化されたのは、シェシーが過去の産地となったためだろうか。今日の図鑑には
Chessylite
の名はまず載っていない。そのため随分紛らわしいことになった。
ボネウィッツの「岩石と宝石の大図鑑」(2005/邦訳2007) は現在日本語で手に入る一般向け図鑑として最良のものだと思うが、「装飾石材として用いる塊状の藍銅鉱は、チェッシーライト(藍銅鉱の産地だったフランスのチェッシーにちなんでいる)とよばれることがある」として、チェシーライトはすっかり継子扱いされ、あたかも装飾用の塊のみそう呼ばれるかのようである。
しかしこれは誤解で、例えば Spencer
は「シェシーライトは普通に結晶がみられるが、一方孔雀石の結晶はまれにしか産しない」と書いており、往時は藍銅鉱一般の呼称だったのである。それが今日ではすっかり廃れて、定義まで変えられてしまったようだ。
Minerals and their localities (2004)は、ヨーロッパでもっとも有名な藍銅鉱の産地はローヌ県リヨン近郊のシェシーであること、5cm大の卓状結晶や花弁状(ロゼッタ状)の集合結晶や藍銅鉱の仮晶をとどめた孔雀石を多く産したこと、19世紀にはここで藍銅鉱や孔雀石が銅鉱石として採掘されたことを記している。だが、Chessylite の名は出てこない。
画像は薔薇花状の結晶が数珠つなぎに並んだビスビー産の優品。私がクリス・ライト氏から購った最後の品になった。
補記1:chessylite シェシー産なので本来ならシェシーライトだが、日本では慣例的に英語読みで チェシーライトと呼ぶ。
補記2:我々固陋な鉱物愛好家は、どちらかというと「パワーストーン」とは一線を画したい気分があるが、日本ではしかし実は多分、鉱物標本ブームよりパワーストーンブームの方が先行していたし、市場規模もつねにはるかに大きかった。1980年代から90年代はニューエイジ・ムーブメントや神智的(エソテリック)哲学にのせて水晶やらラピスラズリやらの強力なパワーを帯びたグッズが大いに流行った。水晶はアトランティスの古代知識を継ぎ、ラピスラズリは古代エジプトの精神を継ぐもので、殊に後者は眠れる賢人エドガー・ケイシーもお勧めの万能石だとの触れ込みで、日本人のハートをがっちり掴んだ。人々は三角形のラピスを胸にピラミッドフレームの中で瞑想し、能力開発と運気向上に励んだ。しかし後になって、ケイシーがリーディングしたのは実はラピスラズリ(ラズライト)でなくアズライトであったと…。(「宝石の神秘力」P169,
林陽著 1989)
ケーシーは、藍銅鉱を「ラピス・リングィス」(話す石)と呼んだ。この石が歌い、語る声に耳を傾けよ、と言うのである。「この石にはマラカイトとアズライトが含まれていますが、ラピス・リングィスはどちらですか?」「アズライト」という応答が記録されている。