747.塩化銀鉱 Chlorargyrite (USA産) |
天然に産する塩化銀 AgCl
で、古来ホーン・シルバー、あるいは
Cerargyrite (角銀鉱)と呼ばれたもの。和名は「かくぎんこう」と読むが、ギリシャ語の
Keras
+ Arguros に因る原義は「ツノ・銀」。英語で Horn Silver、独語に
Hornsilber(Hornerz)。コンラート・ゲスナー(1515-1565)の博物書に
"
銀の二次鉱物としてもっとも普通に見られ、熱水鉱脈型の銀鉱床の上部酸化帯にしばしば大規模に生じて、製錬の容易な銀鉱石として採掘されてきた。
ホーンシルバー(角銀)の由来はさまざまに述べられるが、Brauns(1912)
は、「ツノのように容易に削ることが出来、またその削りくずが色といい艶といい、ツノのそれに似ていることに因む」と述べている。本鉱は岩塩
NaCl
と同じ結晶構造であるが、イオン結合性よりも共有結合性が強いため水に溶けにくく、負荷をかけると岩塩のように砕けるのでなく、展性を示して塑性変形する。またナイフを当てれば鉛のように(角のように)削れる。柔らかいのである。
木下鉱物資源辞典には「時に刺状あるいは等軸の結晶をなすが、多くは塊状にて一見土状または蝋状をなす」とあり、砂漠地方の地表付近に生じた皮殻状風化物の形状(や淡灰緑色半透明の風合い)が牛の角を想わせるためその名がある、ともされる一端を窺わせる。もっとも今日、市中に出回っている標本をそのまま見ているだけでは、とてもそんな連想は湧かない。
ハロゲン族元素(F, Cl, Br, I, At)
と銀との化合物(塩)は、AgCl, AgBr, AgI
の鉱物種、あるいはその固溶体や共融物が知られており、産状、外観、性状いずれも似ていて、肉眼での区別は難しいとされる(塩化物は本来無色で、臭素
Br を含むと緑色がかり、ヨウ素 I
を含むと橙色がかってくるという) 。
元素としてのヨウ素は 1811-13年頃、臭素は 1826年頃に発見されているが、臭銀鉱
Bromyrite (Bromargyrite) や臭塩銀鉱が発見されたのは1841-42年頃で、ベルチェによる報告を受けて、ブライトハウプトは
Cerargyrite
には臭化銀もまた含まれるとコメントした。とはいえ、存在比率を言えば塩化銀の方が断然多い。1849年にプラットナーが
組成式 3AgCl・2AgBr
のハロゲン化銀を報告すると、彼はこれを独立種 Embolite
(臭塩銀鉱またはハロゲン銀鉱)とし、また1859年には彼自身が分析した、より臭素の多い
4AgCl・5AgBr の鉱物を Megabromite
(メガ臭銀鉱)、より臭素の少ない 8AgCl・AgBr の鉱物を
Microbromite
(マイクロ臭銀鉱)とした。しかしその後もほかの中間組成の鉱物が報告されたことから、塩素と臭素の比率は幅広く変動しうると考えられるようになり、中間物の独立性は否定された。ただ
Embolite
の名は塩素:臭素の比が1:1に近い鉱石の野外名として残っている。
ヨウ化銀鉱(沃銀鉱) Iodargyrite は
1854年に記載された(メキシコでは
1827年までに知られていたようだが)。等軸晶系の塩化銀鉱と臭化銀鉱がほぼ連続的に固溶体を作るのに対して、これらとヨウ化銀鉱との固溶関係は限定的である。臭素を多く含む場合にのみヨウ素が交代しえて、
ただ六方晶系のヨウ化銀鉱の多形であるマイアース鉱(Miersite:
ミアーズ石、ミュース石 1898年記載)は等軸晶系で、こちらは塩化銀鉱と固溶体をなす、というのが現代の知見であるらしい。
ちなみに
Iodobromite
はフランスのラゾーがナッサウ、デルンバッハ産のものを独立種として記載したのが初めで、組成式
2AgCl・2AgBr・AgI と報告された(1877)。ラゾーはハロゲン族3種揃い踏みの初めての鉱物種と述べたが、しかしその以前にも
Embolite
を分析してヨウ素を検出した報告はあったということである。これも今日では野外名。
以上の歴史を踏まえて、19世紀の終り頃には Cerargyrite をハロゲン化銀鉱の総称にしようとの提案もあったが、今日ではもっぱら塩化銀鉱の別称として扱われている。ハロゲン化銀鉱はいずれもホーンシルバーと呼ばれるに相応しい性状を具えているが、この名もまた今日ではもっぱら塩化銀鉱を指している。
塩化銀鉱についてはほかにも書くべきことがあるが、長くなったのでこの次に。(⇒No.749 臭化銀鉱)
補記:ちなみに「カロメル calomel 甘汞(かんこう)塩化第一水銀」は、別名 Horn Quicksilver 角水銀鉱とも呼ばれた。