748.沃化銀鉱 Iodargyrite (アルゼンチン産)

 

 

ヨウ化銀鉱のマイクロ結晶 -アルゼンチン、コルドバ、タンティ、エル・クリオロ鉱山産

 

元素の発見史を調べると、塩素ガスが最初に報告されたのは 1774年であった。軟マンガン鉱(Pyrolusite) を研究していたスウェーデンの化学者 C.W.シェーレ(1742-1786: Scheelite に名が残る)は、鉱石に塩酸(Spiritus salis: 塩の精)を作用させると窒息性のガスが発生することを示した。この淡黄緑色のガスは草葉を退色させ、金属を腐食する性質を持ち、水にわずかに溶けて酸の味を与えた。シェーレは脱フロギストン海酸と呼んだ。(海酸は塩酸の古名のひとつ)
これが分解不能の単体(元素)であると最初に仮定したのはイギリスの化学者H.デービー(1778-1829)で、1810年にクロライン(Chlorine) と名づけた。どんな化学的含意からも中立な名としてギリシャ語の chloros(黄緑色)に拠ったのだが、実際 Chlorine (和名:塩素)が元素であると広く認められるにはしばらく時間がかかった。

ヨウ素は1811年にフランスのクールトア(1777-1838)が発見した。彼はフランス北部の海岸地帯に打ち上げられる海藻を焼いた灰からナトリウムやカリウムの塩を抽出する仕事をしていたが、ある日、V焼で生じた硫黄化合物を分解するために硫酸を加える工程で、美しい紫色の蒸気煙が立ち上るのを見た。硫酸が過剰だったためと考えられている。塩素に似た刺激臭が部屋に充満し、蒸気は冷えた物体の表面で凝固して、方鉛鉱のような光沢を持つ黒ずんだ板状結晶となった。その性質を調べたクールトアは新元素ではないかと考えたが、本業を疎かにするわけにいかないので、その後の研究を友人たちに委ねた。
友人たちは塩素に似た性質のこの物質を 1813年11月に報告し、12月にデービーが分解不能の元素的特性を示した。ゲイリュサックもまた独自に元素であることを示し、紫色の蒸気に拠ってヨード( Iode) と呼んだ。菫青石(Iolite)と同じ理屈で、ギリシャ語の Iodos (スミレ色)に因んだのである。
ヨウ素は当初、海藻灰から抽出されていたが、海綿にも含まれることが分かった。ほどなくヨウ素化合物の薬効(甲状腺腫の治療)が明らかにされるが、これについては別のところで触れる。ヨウ素はやがて泉水や岩石・鉱物からも検出されるようになった。

臭素はドイツの C.J.レーヴィヒ(1803-1890)が1825年に発見した。クロイツナハの塩泉に塩素を通し、エーテルと振とうした後にエーテルを蒸発させた残留物として得られた赤い液体だった。常温で塩素は気体、ヨウ素は固体であるが、臭素は液体なのだ(常温で液体の元素は臭素と水銀のみ)。
またフランスのA.J.バラール(1802-1876)は海藻の灰汁を塩素水とでん粉で処理すると、ヨウ素とでん粉の反応で青くなった下層と濃いオレンジ色の上層とに分かれることに気づいた。彼は上層から抽出される赤い液体を単体と考え、1826年にムライド (Muride: 海水の中にあるもの /ラテン語の muria :塩水、海水に因む)の名で発表した。その後、フランス科学アカデミーの(アングラーダの)要請によって、彼は元素名をブロミン (Bromine)に変えた。 (雄ヤギの)悪臭を意味するギリシャ語ブロモスに因んだ語という。臭素の悪臭でよほどひどい目に遭った人があったのか、あるいは塩酸の古名 Muriatic Acid (海酸)との連想を避けたのか。
「若き」バラールは、その後も海水からさまざまな塩類を抽出する研究を長年にわたって続け、その工業的製法の完成者とみなされている。
臭素の性質もまた塩素やヨウ素としごく似ていた。仮説的だった塩素の元素的特性は、ヨウ素の発見によって真実性を帯び、臭素や、酸素を含まない酸である青酸の発見によって決定的となった。そしてこの3種は最終的に同族元素として認められるに至った。

ヨウ素を含む鉱物は 1820年代の中頃まで知られていなかった。ベルセーリウスは1825年に著した鉱物書で「いつかヨウ素が鉱物として発見される日がくるだろう」と述べている。ところがその前後にパリ大学のヴォークラン(1763-1829)が、蛇紋岩に埋まったメキシコ産の自然銀にヨウ素が含まれることを見出した(1825年)。これを知ったメキシコ鉱山学校の A.M.デル・リオ(1764-1849)は、メキシコ中部サカテカス州アルバルラドン産のホーンシルバー(角銀鉱)を吹管分析して、ヨウ素を検出した。試料に熱を加えると融解して赤味を帯び、発生した蒸気が吹管の炎を紫色に染め、木炭上に銀の小粒が広がったのだった。デル・リオはこのホーンシルバーはヨウ化銀であり、(塩化銀と違って)アンモニア水に溶けないと記した(1827年)(ちなみに 臭化銀もアンモニア水に難溶性)
だが、彼等の発見はヨウ化銀鉱の発見とイコールではなかったようである。ここのところが私にはまだよく分からないのだが、ヨウ化銀鉱( Iodargyrite/ Iodyrite) は 1854年に、デクロワゾーが報告した六角柱状の(六方晶系)結晶によって記載された。
一方、等軸晶系のマイアース鉱は本鉱の同質異像にあたり、1898年にオーストラリア、ブロークンヒル産の標本によって記載された。この産地はあらゆるハロゲン化銀鉱が揃い踏みで出てくるようである。

ヨウ化銀鉱/マイアース鉱の新鮮なものは無色透明ないし半透明で、光に曝されると淡黄色から淡黄緑色に、あるいは黄褐色に変色する。光に対する反応は塩化銀鉱や臭化銀鉱にも通じる性質である。

補記:ドイツの化学者ヨハン・デーベライナー(1780-1849)は、元素に周期律的性格があることを発見したことで知られる。1829年に彼は、酸化カルシウムと酸化バリウムの分子量の平均値が酸化ストロンチウムのそれに近いことを指摘し、化学的性質が似るこれら元素の関係を「三ッ組(Triad)」と名づけた。以降、同様にリチウムとカリウムの間にナトリウムが、硫黄とテルルの間にセレニウムが、塩素とヨウ素の間に臭素が収まることを見出した。同族元素を認めた走りである。当時の化学者たちは化学的性質が共通する三ッ組元素の存在を経験的に認めていた。バラールが臭素の研究を迅速に推し進めることが出来たのは、塩素とヨウ素がすでに発見されていたことも寄与している。

補記2:A.M.デル・リオ教授。 No.1 (備考1参照)

補記3:マイアース鉱 Miersite は組成 (Ag,Cu) I 。銅が必須元素として介在する。ということは、純粋なヨウ化銀の鉱物は等軸晶系では存在しえないのであろうか。ちなみに銅優越種 (CuI)のヨウ化銅鉱はマーシュ鉱(マーシュ石) Marshite といい、マイアース鉱とシリーズをなす。

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