760.月のお下がり/蛋白石 Opal (日本産) |
その昔、美濃の桜堂薬師に海のように大きな池があったという。いつ頃からか龍が棲んだ。ある年の夏、突然激しい稲妻と大風とが起こり、沛然と降る雨の中、池の水面から龍が躍り出て暴れまわった。怪異は何度も繰り返された。
池のはたに住む日吉・月吉という二人の兄弟の夢枕に、ある夜、白髪の老人が立った。お前たちの名は日光菩薩・月光菩薩に因んで私がつけたもの、お前たちは菩提心を発揚し、仏道を乱して人々を苦しめる龍を退治せねばならぬ、と告げた。同じ夢を見た兄弟は話し合って戦いを決意し、弓矢を削りなし、夜ごと龍が現れるのを待った。そして何日か経った三日月の夜、稲妻とともに波間から浮かび上がった龍の頭に鋭い矢を射たてたのだ。龍は沈み、稲妻は止んだ。
次の日から池の水が引き始め、やがて肥えた土地が現れた。たくさんの人が移り住もうとやってきて往来も盛んになった。上がってきた土に道(岐)が出来たので辺りを土岐と呼んだ。今の瑞浪市土岐町である(瑞桜山法妙寺来縁起)。兄弟の武将は程近い土地に移って、それぞれ里を作った。今の日吉と月吉とである。
このあたりは日月に縁りの土地とされる。西行作と伝わる古歌に、「夜昼のさかひはここに 有明の 月吉日吉 里をならべて」がある。旅の法師は二つの里の境に立ち、暁闇から払暁へ移ろう時の境に重ねて詠んだという。また月吉に「月の宮」という祠があって、ここに「榊葉に かけしかがみの 面影と 神もみまさん 月の休む間」と詠んだ。里には「月の手鏡」と称える池があって、風のない夜、ほとりに立つ大槇に月が下りて、静かな水面に映る自分の姿に見惚れたという伝承にちなんだとされる。大木の梢に掛かった月が、山里に抱かれた鏡のような池に映るさまを、「月の宿り」とみて親しんだ古人の風雅な心が偲ばれる。(一方、日吉には「天津日の宮神社」がある。)
あるいはこんな話もある。天地(あめつち)がまだ定まらない頃、日ごと東から西へ動き続けていた日神は、日吉の里に止まって、しばしの憩いをとってから旅を続けるのが習いだった。また月神は隣の里の月吉に憩いをとってやはり日ごと旅を続けた。彼らは折々大用を足してから出かけたもので、里の土には彼らの落としたものがたくさん埋まっている。やがて天地が分かれて定まると、日神も月神も高い天の上を通るようになり、里で休むことはなくなったが、ときどき丈高い大木を見つけて降りてくる。置き土産はやがて美しい石になって、今も見つけることが出来る。月吉の里人は月神の落としものを「月のおさがり」と、日吉の里人は日神の落としものを「日のおさがり」と呼んだ。これらは神の気配の宿った石なのである。「月のおさがり」は霊験あらたかな安産のお守りだそうだ。
画像はその「月のおさがり」。
この種の石は昔からよく知られていたらしく、江戸中期の俗謡集「山家鳥虫歌」に、長さ1、2寸ばかりの、薄白い、法螺貝の如き月糞なる石が月吉に出ることが記されている。益富寿之助は、明和4年(1767)2月に石人木内石亭が月吉を訪れ、この石が土地の人から「月の糞」または「月の御下がり」と呼ばれていると雲根誌に書いたと指摘し、「これは月の兎のもちつきという俗説に付会した至妙の諧謔であろう」と述べている。氏は何か月兎に因んだ言い伝えをも承知していたのかもしれない(鏡餅を積んだ様子に擬したか?)。
氏によるとこの石は月珠(つきのたま)とも呼ばれる玉髄化した巻貝の内型化石であり、巻貝は学名をビカリヤ・カローサという、殻にトゲのある新生代中新世の示準化石である。二枚貝と違って巻貝は泥が入り込みにくいので、内部に蛋白石(オパール)やめのう(玉髄)が出来やすいのだそうだ。 (cf.
No.128
貝殻のカルセドニー)
楽しい図鑑(p130)は、「砂岩の中に半透明の玲瓏とした石の貝が入っている神秘さゆえ、土地の人はそれを『月のおさがり』と名づけた」とキレイに書いている。
「月のおさがり」と「日のおさがり」の違いは、本来どちらの里で採れるかだったと思われるが、今日では巻貝の珪化した白い内型を前者、褐色の方解石で出来た内型を後者として区別するそうである。画像の標本は殻が溶失して内型のみが凝灰岩質の母岩に埋まっているが、「トゲのある」殻の化石を剥くと、中に「おさがり」が見出されることもあるという。
ところで一般的な語義として、「おさがり」はいわゆる「落しもの」とイコールではない。
岩波古語辞典(大野晋ら)を引くと、おさがりは「御降り」で、「正月三が日に降る雨・雪。後には、降雨の意にも用いた」とあり、大辞林にはこの意のほか、「神仏に供えたあと、下げた飲食物」「客に出した食物の残り」「年長者や目上の人からもらった使い古しの品物」が挙げられている。広辞苑にはさらに加えて、「都会から地方へ行くこと」も載っている。
この石を「おさがり」と称する心には、里(地方)を訪れた神が残していったモノを有難く賜るニュアンスが含まれていると考えられる。やはり鏡餅のお下がりなのか。また月から降った水(雫)が凝ったモノとして降雨との連想もあるかもしれない。
補記:石亭の雲根志では前編・巻四・奇怪類に「月珠」として取り上げ、「日の糞」「月の糞」「日のお下がり」「月のお下がり」など地域、人々によって呼び名が異なることを述べている。日吉村には赤色のものが出ると聞いていたが、自分は採れなかったという。
加藤碵一「石の俗称辞典」(2版 2014年)に、「伝説では、月に住むウサギの糞が空を舞いながら落下してきて石になったという。」とあるが、私としては、その人はウサギの糞がどんな形のものか知らなかったのではないかと思う。
「月の玉の社」は「月のお下がり」をご神体の一つに祀っているそうだ。また、「白色のものを月の糞、黒色のものを日の糞ともいう」とある。もともとは赤いものが「日のお下がり」だったのではないかと思うが、どうだろう?