1000.水晶 傾軸十字双晶 Quartz Cross of inclined axes twins (USA産) |
No.999の続き。X字型と呼ばれる日本式双晶の標本。
日本式双晶はたいてい、2個体が接合面を挟んで左右に展開したV字型やその類似形をとるが、時に、V字と上下逆さまのΛ字とが、頂点で接したX字(十字)形状のものが現れる。V字の大きさとΛ字の大きさは必ずしも均しくなく、むしろ有意の差があるように見えるものが多い。両頭の2個体が接合面を越境して交差した形というより、両頭の(比較的大きな)1個体に別の単頭の2個体が接合した形、あるいはV字形の等大2個体の根元側(凸部側)にやや細身の等大2個体が付き出してもう一組の小ぶりなV字(Λ字)を作っている、と表現したい形状である(もしくは「大L字+小L字」形)。
鉱物書を繙くと貫入双晶であるか接触双晶であるか議論があるのだが、V字部分の接合面(2個体の柱軸の
84.5度の凹入角を角部で二分するライン)と、Λ字部分の接合面とが同一線上に並んで見えるものは、形態上の貫入双晶と呼んで然りと私は思う。
画像は米国ニューメキシコ州サン・ペドロ鉱山産の擬似十字式双晶の標本である。形状を「左−上」と「右−下」に伸びる個体に分けて考えると、それぞれが
84.5度の凹入角を持つ日本式V字双晶の形をしている。参考のため、凹入角を二分するライン(紫色線)とこれを左右
42.25度に振ったライン(水色線)を引いた画像を2番目に示した。水色線は各個体の柱軸にほぼ一致すると思しい。
「左−上」の双晶の接合面(紫色ライン)と、「右−下」の双晶の接合面(紫色ライン)とは同一線上にあり、形態上の貫入双晶といえる。もし結晶が一つの双晶核から成長を始めたとしたら、核の位置はこの紫色ライン上のどこかにあったと推測できる。
もし個体の一つが接触双晶的に遅れて発生したのだとしたら、その個体を含む接合面は、先に発生した双晶の接合面の位置から外れるはずだ。(あるいはすでに存在する接合面の位置に選択的に後発の単晶核が双晶関係で付着するのかもしれないが、その場合はやはり事実上の貫入双晶の形態といえる。単一始原核からの同時成長ではないとしても。)
ところで、こうして分けて見たとき、「左−上」V字の平板状柱面の幅は、「右−下」V字よりはっきり小さい。左部は右部の約半分、上部は下部の約半分ほどの幅になっている。おかしなことではないか。形態的には単一中心(核)から単一接合面を伸張させつつ四方に成長した形であるのに、肥大の程度(凹入角効果)は異なっているのだ。また上と下の平板柱部の左辺(縁)はほぼ同じライン上にあり、一方、左と右の平板柱部の上辺(縁)は幾分ずれている。この標本だけの特徴なら単に個性(個体差)とも受け取れるが、実は擬似十字双晶の形態のひとつの傾向と言えそうな風もある。
この標本の十字双晶はほぼ中空に浮いており、ほかの水晶と接触している箇所が3つある。一つは画像に見える「下」の個体の先端(頭)部だが、先端形状から見て、この部分を根元として結晶が成長したのでなく、成長後に別の平板状結晶と接触したようである。あとの2ケ所は平板の裏側の面にあり、別の小さな柱状結晶の頭部と接触している。このうち接合面(紫色ライン)を通る接触面は1ケ所で、「右−下」の双晶の凹入角部の付近で接する。仮にこの部分が双晶核の起点であるなら、柱状結晶の頭部に付着した核から成長が起こり、一方柱状結晶の方は成長が阻害されたと判断することになろう。(しかしこの一点で支持されて成長したと見るには、十字双晶のサイズは不相応に大きい。)
別の可能性としては、この結晶はほぼ宙に浮いた状態で四方に成長した後、ほかの(成長してきた)水晶と接触して固定された、という観方がある。
もう一つ、「上」の個体の先端部が破面となっていることから、実はこの部分で母岩と接触していたことが考えられる(後から折れたとももちろん考えられるが)。すなわち、成長の順序としては、まず母岩に着床した「上」の個体が(単晶核から)成長を始めた。そして紫色ラインに先端部が届いたときに別の単晶核が双晶関係で付着した。そしてこの位置を接合面として「右」「左」の個体が枝分かれし、また「上」からの続きで「下」の個体が伸長したのである。こう考えると、「上」「下」及び「右」の形状は、No.998、 No.999
で紹介したトの字形(y字型)の類型として首肯できる。トの字形の双晶はしばしば根元部の平板柱面の幅が分枝した後の柱面の幅より狭くなっており、この観察に整合するからである。柱部の辺(縁)のラインの流れもトの字形として適当である。
そして「左」がもう一つの分枝として貫入双晶的に加わってこの形状になったと観るわけだ。「左」の個体は柱面方向への伸びが相対的に短いので、遅れて分枝したのかもしれない。
もし最後に示した観方が妥当であるなら、この双晶の発生は結晶生成の最初期の核生成時に起こったのでなく、ある程度成長が進んだ後で出現した核(ないし粒子/微小結晶)の吸着が契機になったといえる。そして構造的には一点の起点核を持つ形状でありながら、左右の分枝の開始は必ずしも同時的でない、ということになる。
本標本の産地サン・ペドロはニューメキシコ州の北部、州都サンタフェから南に約
65キロの位置にある鉱山だ。サンタフェは 1608年頃に建設された古い都市だが、サン・ペドロも(ほかの南西部州の鉱山同様)、16世紀のスペイン人遠征期に発見されたと伝説される土地のひとつである。もっとも歴史的な記録はあまり残っていない。
合衆国が独立を宣言した頃(1776年)、現在の鉱山のある位置にサンペドロ村があったことは確かで、おそらく鉱山村として住民が暮していたとみられる。
1833年、付近のオーティス山地に金が見つかった。1839年にサンペドロ山地でも発見されて、ニュープレイサー(新漂砂鉱床)と呼ばれるようになった。今日に続く地名である(当時は
1821年に独立したメキシコ領)。
サンペドロ鉱山はスカルン鉱床で、金、銀、銅等を掘った。鉱化作用をもたらした金属元素を豊富に含む熱水は、石灰岩層に貫入して反応し、磁鉄鉱、ガーネット、黄銅鉱、磁硫鉄鉱、モリブデン鉛鉱、灰重石、蛍石、金などが沈積して鉱床を形成したとみられる。
採掘が盛んに行われたのは 20世紀初から第3四半期にかけてで、1904年から67年までの産量は、金
16,549オンス、銀 304,625オンス、銅 7,476オンスと記録される。
鉱物愛好家の間では、方解石中に混じるひげ状自然金や黄銅鉱の大型結晶(世界最大級)、そして水晶の日本式双晶を多産したことで知られる。標本の収穫期は鉱山が盛んに稼働された終末期の
1968-1976年頃で、1975年夏には日本式双晶の見事な晶洞が発見され、3.5cm長さの双晶がいくつも乱舞する標本を出した。閉山後も
10年ほどは標本がよく流通した。
その後 2000年頃に採集家によって大量の標本が採集されたが、この時期の標本には
2cm大の双晶に加えて、セプター水晶や先端が紫に着色した(アメシスト化した)結晶が伴っていた。普通の単晶形のものは長さ
7.5cmに達するという。
画像の標本はおそらく 21世紀以降に採集されたものと思う。
ちなみにサンペドロ山地のガーネットには研磨すると美しい虹色に燦めくものがあり、レインボーガーネットの一種として知られる。ジュエリー作家が採集して細工品に仕上げてから市場に出すそうで、2000年代には、標本市場への原石の流通は乏しいと言われていた。しかし現在のネット市場ではちらほら見かける。