89.紅砒ニッケル鉱  Niccolite   (モロッコ産)

 

 

おいらのごちそうは、おいしい銅だよ。バリバリ。

テーブル状の輪郭が見えるのが紅砒ニッケル鉱の結晶ならしい
三角面の結晶はゲルスドルフ鉱

紅砒ニッケル鉱(上・中)とゲルスドルフ鉱(下:結晶) −
モロッコ、ブ・アジル、エット・アーマン産

その昔、南ドイツでは銅や銀などの鉱産資源がさかんに開発された時期があった(15世紀くらい cf. TU4)。
あるとき、赤味を帯びた銀色の金属鉱石を大量に産出する土地が発見された。鉱夫たちは、この鉱石を溶かせば山ほど銅が採れて、大儲け間違いなしと喜んだ。ところが、どうやっても、純粋な銅が分離出来ず、すべての試みは徒労に終わった。
その後、他の鉱山でも同じぬか喜びと失敗が続き、いつしか、この鉱石は呪われた銅、地下妖精の一種族、悪魔のニックが、鉱夫を惑わせるためによこしたもの、「ニックの銅」と呼ばれるようになった。

18世紀に入り、ニックの銅から、鉄に似た銀色の、錆びない金属が発見された。
新元素はニッケルの名を受けた。地霊の正体というわけだ。

やがて研究が進むと、この金属は、種々の用途に役立つ貴重な資源だということがわかってきた。例えば、鉄にニッケル(とクロム)を加えたステンレスがある。ステンレスは非常に錆びにくい鋼で、鍋、釜、スプーン、魔法瓶、ビール樽、ナイフ、流し台、洗濯機など、今日では無数の工業製品に用いられている。パンを焼くトースターは、ニッケルとクロムの合金(ニクロム)だし、100円玉は銅とニッケルの合金(白銅)である。蓄電池(ニッカド、ニッケル水素)や熱電対(アルメル・クロメル)にもなるし、化学反応の触媒にもなる。
ニックはいたずら小人でなく、実は役に立つ妖精さんだったのである。

「ニックの銅」は砒素とニッケルの化合物(紅砒ニッケル鉱 NiAs)で、もともと銅が入っていなかった。写真(上)のようにいかにも銅が採れそうな色あいがミソ。写真(下)は、風化して黒ずんでいるものの、結晶面を見せていて、なかなか珍しい(自形は六角板状)。表面に微細なゲルスドルフ鉱(硫砒ニッケル鉱 NiAsS)の八面体結晶が散っている。
ゲルスドルフ鉱はニッケルの砒化硫化物で、広義の黄鉄鉱群に含まれる。オーストリアのシュラトミンク鉱山のオーナー、ヨハン・フォン・ゲルスドルフ(1781―1849)に因む。
紅砒ニッケル鉱は黄鉄鉱と直接共存しない。過剰の硫黄があればゲルスドルフ鉱が生成されるためで、これを証すような標本といえる。

補記:ニックは地下妖精だが、水の妖精(ニックス、ヴァッサーマン)とみなされることもある。もと(キリスト教以前)は泉や湖を支配する神の一人であったかもしれない。地下にある壮大な洞窟、または宮殿への入り口はしばしば川底にあり、水妖に請われて用を務める人物はまず川や湖に入って地底の部屋に至る。

「リューゲン島の森の中に深い湖があり、魚がたくさん棲んでいるが、水が濁っているために釣りには向かない。あるとき何人かの漁師が湖水に小舟を持ってきた。網を取りに戻って翌日戻ってみると舟がない。探してみると、高いブナの木の上に載せられてあった。「どこの悪魔野郎だ、こんなことをしたのは!」と叫ぶと、近くで声がした。「悪魔じゃない。俺とニッケル兄貴がやったんだ」 しかし姿は見えなかった。
(グリムドイツ伝説集 上 55)

補記2:文献上に「ニックの銅」 Kupfernickel の名が見えるのは 1694年、スウェーデンの冶金学者 G.ヒエルネの金属関連の著作が最初で、彼はこれを銅の混じったある種の「コバルト」あるいはヒ素だと述べた。ここに言う「コバルト」は銀鉱石のように見えて銀の抽出できない困った鉱石を指したもので、やはりドイツの鉱夫用語。当時は元素のコバルトはまだ発見されていなかった。 cf. No.90

補記3:ゲルスドルフ鉱は銀白色で強い金属光沢を持つ。日本では変成層状マンガン鉱床中にふつうに産するが、愛知県三河地方の音羽町宝鉱山では径1-4mmの八面体結晶が出て、国産最良と目された。

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