90.輝コバルト鉱  Cobaltite   (スエーデン産)

 

 

おいらのごちそうは、おいしい銀だよ。バリバリ。

輝コバルト鉱 −スエーデン、ハカンスボダ産
新鮮なものは銀白色〜鋼灰色で、長期間、空気に触れていると
赤みを帯びる傾向がある。これは表面に薄くコバルト華
生じたものではないかという。

 

No.89で紹介したニッケルが銅を食らう地霊なら、コバルトは銀を食らう山の精である。

言い伝えによれば、その昔、ドイツ、ザクセン地方の鉱夫たちは、銀白色の鉱石を見つけて銀を抽出しようとしたが果たせず、これは悪霊コボルトが邪魔をしているのだと決めて、この種の鉱石の名前にしたという。コボルトはゴブリンの一種で、鉱山の穴に住むという種族だ。

ついでながら、タングステンのことをドイツではウォルフラムという。これは錫を含む鉱石を精錬するときにタングステンが混じっていると、スラグ(鉱滓)を作って錫の歩留まりがぐんと落ちることから、羊の群(錫)の中の狼(ウォルフ・ラム)と呼んだのだ。ウォルフラマイト(鉄マンガン重石)という名前はその名残である。
さらについでの話で、第二次大戦中、イギリス空軍の航空機はしばしば原因不明の故障を起こしたが、これを兵士たちは機体に巣くう小悪魔のいたずらとして、グレムリンと呼んだ。

わけの分からない不具合を妖精的な生物のいたずらに帰するのは、ヨーロッパ人のお家芸のようだ。

さて、ニッケルが実は有用な鉱物だったと同じく、コバルトもまた、それと知られる以前から人々の生活に役立っていた。古くはBC 2,000年以前から、エジプトの陶器、イランのガラス器の青い着色素材にその酸化物が使われていた。時代は下って18世紀、ドイツ、フライベルクの銀山では、銀の精錬の際にコバルトを含んだ青いガラス質の副産物が採れて、これを顔料に使った陶磁器が近くのマイセンで焼かれた。顔料はスメルト(精錬物)と呼ばれて、遠く日本にも輸出されたという。ついでながら、「白いゴールド」、マイセン白磁の焼成に成功した錬金術師ベドガーは製法の秘密を守るため生涯幽閉の身の上であったという。
良質のコバルトの採れなかった中国では、中近東や東南アジアなどから、いわゆる呉砂(ごす・呉須)が入手出来た時期に限って、陶磁器の青い染め付けがひときわ鮮やかになっている。 cf. No.351 サフロ鉱   No.797 リチオフォル石(アスボレン)

※ウォルフラムの語源は、狼クリーム(錫を食らう狼のようなスラグ)だとも言われている。
追記:コボルトは錬金術的(自然魔術的)概念において、万物を構成する4大元素土のシンボルとされた。
    「火の精サラマンデル、燃えよ/水の精ウンディーネ、うねれ/風の精ジルフェ、消えよ/土の精コボルト、つとめよ/この四元を その力を その性質を知らぬものは、霊どもを御する師にはなれまい」(ゲーテ「ファウスト」高橋健二訳 1273)

プルシャン・ブルー(プロシア藍/ベロ藍/ベルリン藍/ベレンス)は鉄のシアノ錯体から作る青色の合成染料で、1704年にベルリンで発見された。発見者は錬金術師ヨハン・デッペルの下で働いていたヨハン・ヤーコブ・ディースバッハ。高価なウルトラマリン(ラピスラズリ)を置き換えて、陶磁器の彩色などに広く使われた。7年戦争時のプロシア(プロイセン)の歩兵や砲兵はこの染料で染めた青い軍服を着用した。着色力が強く、他の色と混ぜてもこの青色が強くでた。そのため狼色とも呼ばれた。日本にも輸入されて浮世絵に使われた(ベロ藍)。

追記2:呉須土(ごすど)はコバルトを含有する水酸化マンガン土で、砂礫層の酸化帯下部や古い地下水面上に層板・膠状で産する。かつて愛知県瀬戸の砂礫層に大量に産して瀬戸物の彩色に用いられた。語源については「大言海」に詳しいそうで、呉須の須は当て字で「万宝全書」には「呉洲」と書かれ、呉州の意という。「呉須焼は支那の南京、呉国の磁器の一種ならん」と述べ、中国から舶来した青い顔料で絵や文字を描いたものを「染付」といった、とあるそうだ。呉須焼(染付)に使う顔料自体をも日本では「呉須」と呼んだ。コバルトを主とする黒い、青緑を帯びた顔料で、こまかく磨り砕き、水にとかして絵の具にした。また、「染付」は古い染織用語で、「平家物語」や「吾妻鏡」にでている。(春山行夫「紅茶の文化史」P.238)

追記3:余談の余談になるが、二次大戦時、アメリカ陸軍は爆撃機の迎撃に必要な弾道計算を行わせるため、高速自動演算システムの開発を進めた。これが最初期のコンピュータと目されるENIAC である。重量30トンの巨大装置で、18,000本の真空管を使用したENIACは、ハンパない電力を消費した。そしてその熱と光とを慕って蛾が群がり集まり、システムの内部を飛び交っては回路をショートさせた。以来、コンピュータのプログラムミスを修正する作業を「虫取り(デバッグ)」と呼ぶようになったとか。こちらは原因が明らかな故障であった。 

追記4:ヨーロッパで高温焼成磁器の製作に成功したのは従来ベドガーが嚆矢(1709年)とされていたが、現在ではエーレンフリート・フォン・チルンハウスが最初(1704年)だったとみられている。ベドガーはもともと錬金術を業としていたが、アウグスト2世の庇護下に入ってチルンハウスの薫陶を受け、製陶(製磁)家チルンハウスの没後、マイセン磁器工房の立ち上げに成功した。 cf. No.826

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