ひま話 フライベルク工科大学コレクション4 (2020.3.29)


エルツ山地の尾根筋はドイツとチェコとの国境をなす。その名の通りエルツ(鉱石)の産地で、北麓のザクセン王国や南麓のボヘミア(ベーメン)王国では、中世末から近代にかけて経済的・文化的繁栄の基幹となった。
12世紀フライベルクの銀鉱発見から 20世紀末までの 800年にわたる地域鉱業史は、大まかに6つに区分出来る。

第一期:鉱業の始まり  12世紀中葉〜15世紀中葉(~1450)
深い森に覆われた森林地帯だったエルツ山地はボヘミア山地(森)、闇の森(ミリクイディ)と呼ばれていた。12世紀中頃から農民が入って開拓を始め、北麓のフライベルク盆地や周辺地域の原生林を拓いて町作りが行われた。 1168年にクリスチャンドルフ周辺で銀鉱脈が発見されると、鉱夫が招来されて鉱山町が作られる。この鉱山開発運動を(第一次)ベルクゲシュライ(山の呼び声/鉱山の叫び)という。

第二期:ザクセン鉱山街の成立と繁栄 15世紀中葉〜17世紀初(~1620)
北麓のオーバーエルツ山地に新しい銀鉱脈が次々に発見され、いくつもの鉱山町が繁栄した。
1470年のシュネーベルク、1491/92年のシュネッケンベルク、1519年のマリーエンベルク、1537年のアンナベルク(=ブッフホルツ)の大鉱脈発見などが画期的。(※鉱山町としての始まりはアンナベルクが 1442年、シュネーベルクが 1453年、あとの2つは上記の年。)
シュネッケンベルクの鉱脈はフローナウから渡ってきた鉱夫カスパー・ニッツェルの発見といわれ、これを機に地方の人口が急増して、フライベルクはザクセン最大の都市となった。
南麓では 1516年(※16C初/1512年とも)にヨアヒムスタールに鉱脈が発見された。エルツ山地は大鉱業地域として発展し活況を呈した。

第三期:戦乱と再建の時代 17世紀初〜18世紀中葉(~1750)
三十年戦争(1618-1648)による荒廃と再建の時期。フライベルクやヨアヒムスタールは戦争により甚大な被害をうけて、鉱山・精錬施設が破壊された。また不十分な復旧作業のまま再開されて大きな事故を経験した。新大陸から大量の銀が欧州に流入するようになっていた。鉱区の統廃合や新鉱脈の探査が進められて、18世紀に入る頃から緩やかな回復基調に乗った。

第四期:産業化の始まり 18世紀中葉〜19世紀中葉(~1850)
七年戦争(1756-1763)によってザクセン王国は再び大きな被害を受けたが、数年のうちに再建に成功し、(1770年頃から)高揚期を迎えた。1765年のフライベルク鉱山学校設立が画期。
この時期に採掘された鉱石は一般に低品位鉱だったが、新しい技術を取り入れて産業化が進められた。銀以外の金属(コバルトなど)の製品も重要な収入源だった。

第五期:鉱業の自由化 19世紀中葉〜20世紀中葉(〜二次大戦)
銀産業の衰退は時代の流れで、1871年に建設されたドイツ帝国は金本位制を採用し、銀価格の低迷は止めるべくもなかった。鉱業衰退を遅らせるべく構造改革が行われた時期。

第六期:社会主義時代 二次大戦後〜20世紀末(~1990)
戦後、ソ連邦が管掌した東ドイツ・東欧諸国は社会主義圏となり、西側資本主義圏との勢力争いに巻き込まれた。ザクセン〜ボヘミア地方の鉱石は銀、Bi-Co-Ni のほかウランをも含んでおり、ウラン鉱石として探査・採掘が進められた。戦災を免れた鉱山施設はソ連邦の管理下に運営された。

 

◆世界各地の標本から気になったものをいくつか。古典標本ばかりでなく、
わりと最近入手されたと思しいものも結構ありました。
つまり博物館として現役(発展途上)なわけ。

ツィンケン鉱(ジンケン鉱)の星。泥土堆積層にレンズ状の菱鉄鉱脈が
走り、特殊な鉱化作用が起こって硫塩鉱物を生じた土地柄。
1979年に報告された比較的新しい産地で、1990年代中頃に輝安銅鉱を
伴うツィンケン鉱の放射針状美晶が市場に流れた。大きな結晶は 6cm
長に達し、世界最良産地と目されている。 cf. No.639、 No.659

 

ルチル(金紅石)の星。赤鉄鉱を核に金色のルチルが散る。
有名産地の銘柄標本。1990年代からあふれている。 cf. No.57、 No.316

孔雀石:孔雀石細工の故郷ロシア・グミョーシキ産。
古い官営の銅山を 1757年に手に入れたトルチャニノフは、独自のノウハウで
鉱石の精錬に成功し、巨財を築く。 1770年代にはこの銅山で採れる美しい
孔雀石が人々の噂に上り始めていた…。フライベルク鉱山学校が開かれて
間もない頃。 cf. 孔雀石の話、 孔雀石の話2

孔雀石: ロシア産。切断研磨片。空隙は屑ペーストで埋めてある。
製鉄業(武器製造業)で財をなしたデミドフ家が開発したメドノルジャンスカの
銅山産。この産地の石を使った孔雀石細工は 19世紀前半に大流行した。 
 cf. 孔雀石の話3

サマルスキー石: ロシア、ミアースク産の原産地標本。
1879年頃、希元素サマリウムが抽出された。見栄えはしないが、
自形結晶がはっきり見える、今では得難い逸品。 
cf. No.822 、 WHNM2 (ページ末の標本)

ナギャグ鉱:ルーマニア・サカランブ(ナジャーグ)産。 葉状テルル鉱の名に
相応しく、葉片状の組織(へき開)がよく分かる古典品。cf. No.730、 WNHM1

ヨルダン鉱:希産硫塩鉱物のひとつ。
スイス、ビンネタールと標識されているが、おそらくレンゲンバッハ産。
(原産地で、1−2cmクラスの結晶が今も時々出ている。)

鉄・マンガン団塊:大西洋南東部の深海底に産したものらしい。サメの歯の
ような化石が核になってノジュールを形成しているが、4,650mの深みに
大型魚類の遺骸が沈積しているかと思うとフシギな気がする。

石膏:ルーマニアのカブニックの鉱山地帯に産したもの。
無色透明な石膏の標本は数世紀来のお馴染みだそうで、時に数十cm
サイズに達するものが出る。ボールド鉱山は最近(といっても1997年)
レベル4で美晶を出して話題になった。この標本どこかで(写真を)見た気が。

方解石:イギリス、カンバーランドのエグレモント産。一世を風靡した産地だが、
今は良標本を得難い。透明美晶でキレイだなあ。

ゲイシール石:なんだかよく分からなかったので、後で調べようと撮って
おいた。Geysir はアイスランド島にある間欠泉で、この現象が有名に
なって、間欠泉のことを英語に Geyser ガイザーと呼ぶようになった。
Wiki によると、19世紀に盛んに活動したが 1935年以降鳴りを潜めていた。
2000年の地震で再び活動し始め、現在は日に平均3回、高さ60m の泉水が
上がるとか。入江亜紀のアイスランド観光マンガ「北北西に曇と往け」(2018)
にも紹介されている(2巻)。行ってみたいねえ。
で、 Geysirit/ Geyserite の方は、この有名な観光地に見られる沈殿性の
物質で、1812年にデラメテリエが記述したもの。固く凝結したたんぱく石。

ユーコル石:フェルスマンの「石の思い出」に出てくるこの極圏の石に
ついては、いつかしっかり書いてみたいなあと思っていたり。(思ってるだけ)

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