98.鉛丹 Minium (USA産) |
鉛鉱石が酸化して出来る二次鉱物で、きれいなオレンジ色をしている。前出の硫カドミウム鉱と同じく産出量は少ないが、よく目立つので、やはり古くから知られていたらしい。
ことに中国では、鉛丹、あるいは光明丹と呼ばれ、密陀僧(やはり鉛の酸化物の一種)とともに仙薬として扱われていた。赤色系顔料としても有力で、大量に必要な場合は、鉛粉と硫黄と硝石を混ぜて焼成した。
話は飛ぶが、世界で初めて人造ガラスを作ったのは古代メソポタミア人だった。その歴史はBC23世紀以前に遡る(脚注参照)。BC18〜17世紀頃には、かなりのノウハウを蓄積していたらしく、バビロニアの遺跡から、ガラス製造に関する粘土板文書が出土している。色釉薬のレシピを隠し文字で記した秘伝書だそうだ。他の国では真似の出来ないさまざまな色のガラスを作って、トンボ玉に加工し、重要な交易物資としていたとか。西方シルクロードが「玉の道」であるというなら、それは「ガラス玉の道」であった。
古代オリエント・ガラスの多くはソーダ・ガラスで、珪砂粉とソーダ灰または木灰に石灰などを混ぜ、熱融合して作った。この時、ソーダ灰や木灰の代わりに、酸化鉛を用いると鉛ガラスが出来る。秘伝書には、その調合法も記されているという。 No.97の硫カドミウム鉱は黄色の発色剤として珍重されたそうだから、ろう材への添加も、あるいはガラス製造技術の転用だったかもしれない。人類はかなり古くから錬金術的知識に目覚めていた。その端的な現われが、さまざまな鉱物を添加することで生み出される、色ガラスの美しい発色だったのではないかと思う。
さて、ガラスの製法はその後東漸して、BC5世紀には中国に伝わり、美しい七星紋のトンボ玉などが作られるようになった。中国の古代ガラスの大部分は鉛とバリウムを多量に含む独特のガラスで、珪砂に鉛丹や密陀僧を加えて作った。成分中、酸化鉛はしばしば40〜60%、酸化バリウムは10〜20%を占めたので、むしろ鉛丹に珪砂を加えたと言った方が当たってるかもしれない。鉛丹は珪砂の融点を下げるとともに、ガラスの流動性を高める効果があり、中国では、ガラス製品は鋳型に流し込んで作るものという認識が生まれた。何故、バリウムを加えたのかはよくわからないが、一説では、ガラス製造の盛んだった湖南地方は、バリウム(重晶石?)を伴った鉛鉱石の産地なので、鉛丹を作るとき、ついでに混入したのではないかという。面白くもなんともない話だ。(酸化バリウムにも流動促進作用があるそうだから、本当はちゃんとした目的で加えたのだろう。)
補記:エジプト第四王朝時代(BC24世紀頃)の遺跡には、すでにガラス吹製の図が残されている。また、フェニキア人に製法が伝わった頃、エジプト人は、酸化コバルトの青色、酸化クロムの緑色、酸化マンガンの紫色を使いこなしていたし、珪砂に含まれる鉄分の影響で緑色がかったガラスに、二酸化マンガン(軟マンガン鉱)を加えることで、これを無色化することも知っていた。ガラス製造の始祖はエジプト人であったかもしれない。ベック博士は、石英砂に混じった金を洗浄・溶解・精錬する過程で、彼らがガラスを発見したというのは、ありそうなことだとしている。金は人類が知った最古の金属であり、エジプト人は、歴史が書かれる以前から、金の加工に長けていたのであるから。
補記2:本草綱目啓蒙の鉛丹の項には、一名 国丹、鉛黄華、軍門、金竜、華蓋、竜汁などが見られ、「丹はもと辰砂のことなり。和名に丹というは辰砂に比すれば色黄なり(※オレンジ色)。故に唐山にては黄丹という。」とある。
密陀僧の項には、一名 ロカス、ルゾコ、シロカネのネリソコなどが見られ、「銀の灰吹のカスを銀密陀僧という。…金密陀僧は和産なし、舶来あり。色黄赤にして束鍼紋ありて甚だ重し。古今医統に金錫という。銀錫は別ものなり。などとある。
ルゾコはクリソコラ(※金をつなぐもの)の訛音のようにも思われる。