143.珪線石 Sillimanite (ノルウエイ産) |
珪線石−ノルウエイ、フロランド産
写真の標本の、繊維状に見える部分が珪線石。緑色の脈はクロム白雲母、あずき色はコランダム(ルビー)。固いのか、というとガチガチで、原始時代から格好の石器材料として重宝されてきた。
19世紀末から20世紀初にかけてのイギリスの指導的な人類学者A.C.ハッドンは、ボルネオ島のある村落を訪問したとき見つけた古い磨製石器の呪符についてこう書いている。
「この石器の石斧の頭は、早くから上流ティンジャール河の河床で発見されたものであった。それは長さ20センチ、幅5センチ、一端は刃まで研磨された、狭い薄い繊維状の珪線石の板石だった。この硬い丈夫な石は、利器をつくるために極めて適している。そのため、原住民たちはこれを利器とはいわず、「シラン・バリン・ゴー」つまり雷神バリン・ゴーの足跡といっているのである。彼らはまた、これが天から降ってきたとも信じていた。」
<ボルネオ奥地探検(1901年)>
ハッドンらが見つけた石器はたいへん古く、家に幸運をもたらす神聖な品物とみなされていた。「ほとんど全世界にわたって、石器が金属にとって変わられた場合には、どこでも古代のものに対する尊崇の気持ちが見出され、しばしば呪術的な性質を持っている。しかし、これらの石が、天から降って来たものだと見なされているのは不思議である。」と博士は述べている。
続けてハッドンは、こういった信仰の実例は少なくないが、二つほど挙げてみようと、次のような話を紹介している。
C.H.リード、O.M.ダルトンの両氏は、「大英博物館所蔵、西アフリカ、ペニン市とその他地方出土の古代遺跡」の中で次のように書いている。
「ジャンゴはいろいろなものにたとえられるが、中でも名高いのは雷電の神としてである。彼はジャクダ、つまり投石者として知られ、すべての隕石は彼が投げたものとして尊崇されている。石を投げる道具のあるものには、王の手に磨製石斧の頭を握っているところが型どれて、全世界にわたってある。これと似たような信仰から見て、これがジャンゴの象徴であったということが出来る。この斧はヨルバの諸地方で尊崇され、いまでもアラ・オコと見なされ、しばしばヤシ油と血を塗られている。」
しかし、石器に関する迷信を調べるため、わざわざアフリカまで出かける必要はない。ヨーロッパにも同じようなものがあるのだ。農夫はこれを雷神と見なして、呪術に使っている多くの記録がある。デンマークでは有史以前の石斧または石鏃が「雷石」とか「雷光石」とか呼ばれている。それらの石斧は、超自然的な力を持っている呪符と見られ、炉のそばや屋根の葺き藁、扉の上や下に置かれている。その超自然的な力のうちでも、とくに重要なのは防火の守り、つまり火事から守るというものである。T.ウィルソン教授はアメリカ科学振興会人類学部の会長として、その演説の中で、
「デンマークで、斧が雷光中に天から降るのを見た男がいる。その斧は彼の家の隣に落ち、彼がそれをよく見ると、まだ熱い石だったといっている。」と述べた。その男は、その斧を、絶対手放そうとしなかったという。同じような信仰はイギリスにもある。いわゆるセルト(石斧)は、おおむね「雷てい(激しい雷)」として、また石鏃は「妖精の矢」として信じられている。私はアイルランドの北部で、1,2年前まで家畜の病気を治すために、石器が呪符として使われているのを見たことがある。私たちとして、ボルネオ人が、同じような石器を雷神の歯や足爪とみなしたり、収穫神バリ・タウの歯とみなしたり、さらには河川に住んでいる巨竜バルンガンの小足の爪とみなしたとしても、これを笑ったり、批判するわけにはいくまい。
ヨーロッパでは、長い間、「創世記」による人類史観が支配的で、大洪水の後、箱舟に乗って生き延びたノアの子孫が世界のさまざまな民族の祖となったと考えられていた。17世紀のある大司教は聖書に登場する人物たちの血統を研究し、人類創世を起源前4004年と算定したが、この説は聖書同様に神聖絶対と見なされていた。19世紀半ばまで、イギリスやフランスの学会は、古代人類の存在を認めていなかったし、進化論的な人類史観も持っていなかった。原始時代の石器類にしても、これを人間の作ったものと考える学者はいなかった。ようするに、アジアの未開地の住民の世界認識とヨーロッパ人の認識との間には、つい最近まで質的な差がなかったのである。
それはともかく、天から落下した石と雷と神々と龍とに関する信仰が世界中に散らばっているのは、私にはとても興味深いことだと思われる。
追記:「続日本紀」に、仁明天皇 承和6年10月(839年)、出羽国田川郡西浜に雷雨の後、鏃に似た石が降ってきた、との記述あり。
補記:雷は「神鳴り」だというが、「神成り」であるともいえよう。樹木への落雷は、その幹を柱として神が降臨した、あるいは通過してどこかへ(地下へ?)去った痕跡と認められる。一瞬だけ神が宿った(通過した)ために聖化された物質(→cf.
No.690)。