182.モルガナイト Morganite (ブラジル産) |
19世紀末から20世紀初頭のアメリカは資本主義興隆期を迎え、向うところ敵なしの勢いがあった。この時代ほどアメリカ人が自信に満ち、世界を闊歩した時はなかったと言われる。大資本家たちは、王侯や皇帝に並ぶ経済的実力を持っていた。彼らはそうした富を背景に、自分たちの祖先の地である欧州の文化遺産を集めまくった。ジョン・ピアポント・モルガンはその代表格である。
大銀行家モルガンは、アメリカ財界の調整役であり、産業の集中によってアメリカ資本主義を安定、拡大させた大立者だった。話はやや横道にそれるが、1880年から1900年にかけて、アメリカの製鉄業の発展は目覚しかった。ベッセマー法による熔鋼の生産高は10倍近い伸びを示した。ピッツバーグの電報配達夫の少年がペンシルバニア鉄道会社の電信助手、そして主任になり、自分で橋の製作会社を作って錬鉄の橋を架けまくり、日産100トンというルーシー大高炉を建設した。ベッセマー鋼のレールを製造するために建設したエドガー・トムソン製鉄所は未曾有の大発展を遂げ、世紀の終わり、この少年アンドルー・カーネギーは世界の鉄鋼王となっていた。
カーネギーは、1900年に「富の福音」という書物を刊行した後、世俗的な富を蓄積するのに終止符を打ち、もっと真剣な仕事である富の分配に専心する決意をした。彼はモルガンの主宰するU.S.スチールに、すべての事業を一括して5億ドルで売り渡したのだった。
U.S.スチールは、多数の鉄鋼、原料、加工、輸送会社を束ねる大トラストであり、一社でドイツやイギリスの鉄の生産に対抗可能な巨大企業であった。国家規模の資本主義競争を勝ち残るためには、こうした買収・連合が必要な時代が来ていたのだ。それはカーネギーの愛した牧歌的な「古きよきアメリカ」が終わり、すべてを利潤で割り切り、冷酷に計算する巨大独占資本の時代がはじまったことをも意味していた。
話を戻そう。モルガンは、実業家として多忙な日々を送る一方、巨大な資産を用いて膨大な数の美術品をアメリカに集めた。彼の収集は美術品ばかりでなく、希覯本、宝石・鉱物標本、宝飾品、時計にまで及んだ。今日のメトロポリタン美術館があるのは彼の援助の賜物であり、希覯本はニューヨークのモルガン・ライブラリに、宝石・鉱物標本は自然史科学博物館に収められて、世界最高の収集品と折り紙をつけられている。
アメリカは、美しいバラ色(淡いピンク色)のベリルにモルガンの名を留めた。彼ら大資本家の敷いたレールを走り続け、資本主義大国としての名を恣しいままにしてきた。しかし、その歩みが、モルガナイトのようなバラ色の日々ばかりでなかったのは、歴史の示すとおりである。
cf. No.692 セシウム・ベリル