259.湯河原沸石 Yugawaralite (日本産)

 

 

湯河原沸石 −神奈川県湯河原町不動ノ滝産

 

杉石の決定が発見から30年以上かかったことをNo.257に記したが、湯河原沸石は二次大戦を挟み、20余年の歳月を経て新種と判明した鉱物だ。その経緯は以前ひま話で簡単に触れたが、ここでは発見者の言葉によってもう少し詳しい紹介をしておこう。アマチュア鉱物学者の櫻井欽一氏は、昭和5年の春、祖父のお供で湯河原の温泉へ行き、不動ノ滝付近で美しい沸石の結晶を見つけた。

…当時私は旧制の中学生で、何であるかわかりませんでしたが、小学生時代から好きで鉱物をあつめていたので、この美しい結晶をみつけ大よろこびいたしました。ところが家へ帰っていろいろしらべてみましたが、どうやら沸石の類らしいとまではわかっても、本にのっているどの鉱物にも合わないので、自分勝手に湯河原沸石という名前をつけておきました。その後私は家の商売をつぐため上の学校へ行くことができなくなりましたが、鉱物のことは一日も忘れず、たくさんの参考書を次々によみふけり、又ひまがあれば博物館へ行って陳列の鉱物をあかずにながめておりました。(中略)

その熱意が天に通じたか、氏は伊藤貞市先生(東京大学)をはじめ、多くの学者先生やアマチュア研究者の知遇を得て、鉱物学を学ぶにこれ以上ない環境に恵まれた。当時東大の教室にいた片山信夫氏(片山石に名が残る)は手をとるように氏を教え導いたという。

…さて、終戦後、私は親友の林瑛(アキラ)君を始め反田(ソリダ)栄一君、下田信男君の協力で、再び湯河原沸石の研究に着手し、とうとうこの鉱物が世界中のどこにもなく、湯河原温泉のほんの一部分だけにしか出ない新しい種類であることをつきとめ、昭和27年、専門の雑誌に発表いたしました。
思えば昭和5年、中学生の時みつけたものを、20年あまりもたってからまとめあげたのは、ずい分気のながい話ですが、それだけ縁が深く、この石をみるたびに自然の恩恵と、諸先生、諸友人の恩恵に感謝の念を禁じ得ません。厚く御礼申上げると共に、熱心であれば中学生でもこのように興味ある鉱物を見出すことが出来るという例として湯河原沸石を紹介しました。(「鉱物の採集と見分け方」 昭和29年 恒星社刊)

氏は鉱物愛好家の育成に大変力のあった方で、その業績は「櫻井コレクションの魅力」(1997年 神奈川県立 生命の星・地球博物館刊)に詳しい。冊子によると、湯河原沸石は「沸石としては比較的低温生成の部類に属し、我が国ではすべての産地で脈鉱物の形で産します。」ということだから、当時の氏の見解に反して、湯河原にしか出ないわけではなかった(北海道、宮城、静岡県などに産地がある)。世界的にはインドの沸石産地から見事な結晶標本が出ている。しかし、最初にその鉱物を発見する−それが未知のものであると知る−ことは、決して決してたやすい業でない。

追記:「鉱物採集の旅 関東地方とその周辺」(1972)の 16章は湯河原を取り上げて、沸石類やパーガス閃石、鉄かんらん石の産状を紹介している。執筆者は櫻井博士だが、湯河原沸石の発見をまるで他人事のようにさらっと書いているのが面白い。
不動の滝から奥湯河原に向かい、分岐を左に入った先に少しえぐれた崖があり、沸石の露頭になっているという。元は平らな岸壁だったのが、大勢の採集者が訪れて掘り込んで地形が変わったものである。
博士は「桃李もの言わず、下おのずから道をなす」の諺を引いて、「鉱物は物をいいませんが、人がどんどんとりにくるのでおのずからえぐられてしまったのです」と書かれている。確かに鉱物は物を言わないにしても、愛好家が産地を紹介しあうからそうなったのではなかろうか。

ちなみに静岡県清越(せいごし)鉱山から大洞林道を南東へ下ったあたりで、林道の延長工事のために玄武岩質安山岩(と凝灰岩)を削り取った崖がある(あった)。白い沸石脈が走っており、多いのは濁沸石だが、無色透明で強いガラス光沢、先の尖った薄板状の結晶が見えたら、それは湯河原沸石、と「鉱物採集の旅 東海編」(1997)に出ている。湯河原産に匹敵する大きさのものが出たという。

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