282.硫 黄 Sulphur (Sulfur) (イタリア産)

 

 

硫黄−イタリア、シチリア島、チャンチャーナ産

 

地中海に浮かぶシチリア島は中世以来の硫黄の名産地であった。19世紀の後半には島内のカルタニセッタやガーゲンチ郡に1000近い鉱坑が掘られ、世界中に硫黄を輸出していた。当時、天然の硫黄は硫酸の製造に不可欠な戦略物資だった。

その生産法は原始的というか、ごく大雑把なもので、掘り出した原鉱をバスケットいっぱいに載せ、ピットに放り込んで火をつける。硫黄の大半は燃えてしまうが、残った部分が熱で熔け、冷やすとバスケットの中で頃合いのインゴットになる。それを出荷したという。すごい無駄使いだが、それだけ資源が豊かでもあった。
泣き所は、燃焼によって二酸化イオウ(亜硫酸ガス)が発生することで、鉱山の周囲数マイルでは、植物がまったく育たなかった。二酸化イオウの薬剤は扁桃腺炎の治療や寄生虫の駆除に有効だが、過ぎたるはなんとやら、島の住民の健康にはちっとも役に立たなかったという。
この手法は、北米で開発されたフラッシュ法(No.283参照)が普及したことで、20世紀の初めに終りを迎えた。おかげで島の自然は急速に回復した。

硫黄の鉱床は火山作用によって生じる場合と石膏床の変成によって生じる場合とがあり、日本には前者−火山ガスに多量に含まれる硫黄が地表付近で結晶化した産状が多い。シチリア島は後者で、石膏の成分である硫酸カルシウムが、有機物質(嫌気性バクテリアともいわれる)のために還元されて硫化カルシウムとなり、さらに炭酸水と反応して炭酸カルシウムと硫化水素になる。さらに硫化水素から硫黄を生じる…という変化を辿るらしい。

CaSO→CaS+2O   
CaS+CO+HO→CaCO(方解石・あられ石)+H

島の地底には広大な石膏の層があり、その上部に石灰岩と硫黄の鉱脈が分布しているという。美しいレモンイエローの結晶には、しばしば黒いタール状の物質が付着しており、上記の反応に有機物質が関与したことを仄めかしている。

cf.No.283 黄鉄鉱  No.193 硫黄(ポーランド産)

備考:黄鉄鉱や方鉛鉱などの硫化鉱から硫黄が生じることもあるが、その量は多くない。

付記:イタリアとシチリアの硫黄鉱床の歴史は古く、紀元前後にすでにプリニウスが詳しい描写を与えて、医薬用の棒状硫黄、硫黄蒸気による布の漂白、硫黄マッチなどについて書き残している。
18世紀以降の記録にはしばしば火を吐く山、轟音と足元で揺れる地面、煙霧の描写に加えて、硫黄、古い硫黄の精製設備などに言及されたものがある。たとえばデービーは1810年にシシリーでの硫黄を採集に触れ、「鉱山から掘り出されると、硫黄を含んだ石灰岩は小さく砕かれ、一種の窯で熱せられる。この間に少量の硫黄は燃え、硫黄製の酸性ガス(亜硫酸ガス)の形で大気中に立ち上るが、大部分の硫黄は溶けて沈み、取り出し口から流れ出る。私はこの方法をグエンチ(シシリー島南西部ジェルジェンチ−アルゲントゥム)の近くの大きな硫黄鉱山で目にした。硫黄の産地ではこの方法が一般に用いられていると信ずる」と書いている。

付記2:トルヌフォール(1656-1708)は1700年にレバント地方を旅行した時の記録の中で、ミロ島(メロス島)の硫黄はきわめて美しく、緑色がかってよく輝くので、古代人はイタリアの硫黄よりもこちらを好んだと述べている。

追記:シチリア島の手掘りによる硫黄採掘は、採算性においてフラッシュ法(フラーシ法)に太刀打ち出来るものでなく、上述の通り、20世紀初には凋落期が訪れて相次いで閉山を迎えた。チャンチャーナ村付近のいくつかの鉱山は長く残っていたが、それも60年代から80年代にかけて閉止した。70-80年代に良標本を出したと言われる Cozzo Disi 鉱山は 1988年に、La Grasta 鉱山は 1987年に、Giumentaro-Capodarso 鉱山は1984年に閉山している。シチリア島の古い硫黄坑はいずれもコレクターの立ち入り禁止が定められているが、現実に地下坑に潜って採集する人々があるらしく、21世紀に入っても標本は出回っている。2007年に市場に現れた一群の美晶はチャンチャーナ鉱山のファルコネラ坑から出たものという。同じ年、カルタニセッタのCento Caruzzi 鉱山で採集されたという標本も出回った。
シチリア島はかつて巨大な硫黄の美晶で知られたが、今日ではクラッシック標本で得難い。1970年代、5cm大の結晶が霰石/方解石の母岩に着床した逸品が出回った。アグリゲント地方の地下1,000m レベルから掘り出されたものとされたが、やがてフェイクの噂が流れて80年には姿を消した。真相は長く闇の中だったが、2000年のトリノ・ショーでシチリア産の母岩に人工的に硫黄を晶出させた標本と純天然の標本とを並べて展示するブースが現れ、かつての品が人造品だったことが明かされた。まるで区別のつかない出来栄えに標本業界は唸るほかなく、「やあ、みんな揃って騙されちゃったね。区別がつかないんだから、しょうがないねえ」といった感じであった。その後、同位体比の測定で区別がつくという研究も示されたが、普通のコレクターに出来るはずもない。硫黄数百kg分(1,000点以上)の標本が作られたとみられるが、どの博物館にしても、自分たちの展示物が人造品だったと認めるわけはない。
画像の標本は2001年に入手したもの。天然品だか合成品だか私には分からないけれど、ここは堀博士の眼力を信じたい。(2019.5.3)

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