495.ひすい輝石  Jadeite (日本産)

 

 

Jadeite from Wakasa, Japan 若桜ひすい

若桜ひすい- 鳥取県八頭郡若桜町角谷産

 

日本では昭和の初めに糸魚川流域でひすいが確認されて以来、鳥取の若桜、岡山の大佐、兵庫の大屋、長野の栂池、静岡の引佐、北海道のカムイコタン、高知の円行寺、長崎の三重、熊本の八代等々、各地でひすいが見つかっている。日本列島は環太平洋エリアのプレート沈み込み帯にすっぽり入っており、ひすいが出るのにうってつけの環境にあるのだ。今のところ宝石質のひすいは糸魚川付近以外に見るべきものがないらしいが、今後どこか新たな産地が脚光を浴びることも十分ありうると思いたい。

画像は若桜ひすいと愛称される鳥取産のひすい輝石。近畿の屋根、「氷の山」の西方山麓、三郡帯と呼ばれる変成岩の分布する地域で蛇紋岩が貫入したあたりに出る。蛇紋岩は風化しやすいため、ひすいは転石となっている場合が多い。糸魚川のひすいがそうだったように、若桜のひすいも偶然ではなく、狙って見出された。発見者は当時の日本鉱物趣味の会の会員で一行寺の住職さんだった。このあたりには出るとめぼしをつけ、時間を捻り出しては山を歩き回って探しあてたらしい。ちなみに住職さんの座右の銘は「2時間の余暇があれば行動する」だそう。

この発見は昭和42年7月の読売新聞に、「世界一のヒスイ 鳥取の住職発見 原石で4500万円」という見出しで記事になった。
『大きさ、品質ともに世界一というヒスイの原石が鳥取県で見つかった。さる40年10月、鳥取市戎町一行寺住職中野知行さん(47)が八頭郡若桜の中国山系で趣味の石集めをしていたとき発見した大小約30ケのうちの1つで、このほど一部を国立科学博物館の加藤昭博士に送りレントゲンによる分析検査を依頼したところ、品質は良質のビルマ産そっくりの「硬玉」という鑑定で色も白、淡青、淡緑とさまざま。さらに鳥取大農学部名誉教授原田光博士(75)(地質学)の調べでは一番大きな石は高さ、巾とも1.7mで4.5トンもあり、中国の古書に「約5トンのヒスイの原石が発見されたことがある」という記録があるが、現存しているものでは世界最大という。このままでも4,500万円以上もするが、みがけばぐんと価値が出るとみられる。ヒスイの種類は軟玉と良質の硬玉があり、軟玉は兵庫、長野、北海道など各地で発見されているが、硬玉は新潟県の糸魚川沿いにあるだけで中国山脈で発見されたのは初めて。中野さんの話、「砕いて宝石にするのは惜しい。原石のまま保存する」…』

こうした発見をモノにするには、運もあろうが、あきらめずに粘る根気がなにより大切である。話はそれるが、私は氏のお姿を、ある標本商さんで何度かお見受けしたことがある。あるとき、某コレクターから放出された国産コレクションを、後日の即売会に先立って拝見する機会があった。たまたま折りよく行き合わせたのだが、もろ欲しい標本があったので売ってもらえないかとダメモトで頼んでみた。が、もちろん店主は、「即売会で公平に売り出すものだから」と、頑として首を立てに振らない。あきらめて早々に帰った。ところが、氏はその後も閉店時間まで残って交渉し、ごっそりと標本を抱えて帰られたという。
とても悔しい思い出だが、さすがに年季の入ったコレクターは意気込みが違う。きっと氏はダメモトなんて一瞬も考えなかったのだと思う。簡単にあきらめるようでは大成しないということ。
いつか私も氏のように…と思うが、いまだそういう力技に成功したためしはない。

追記:フォッサマグナミュージアム発行の「よくわかるフォッサマグナとひすい」という本に、若桜ひすいの発見とその後の成り行きに関する記事がある(p.107)。それによると、中野氏は発見を伏せていた2年の間にほとんどのひすい(総重量15トン)を一行寺に運び出して、防火池を兼ねた庭園に作った。発見が公表されたのは庭園の竣工式のときで、その時にはもう産地にひすいは残っていなかった。地元の教育委員会は何も知らされずに持ち出されたことに不快感を表明しており、また若桜町のパンフレットは町内で発見されたひすいについて一言もふれていないという。 (2011.4.29)

補記:若桜には糸魚川石も出ている(糸魚川に続く第二産地)

Cf. No.921 ひすい輝石(兵庫県大屋産)

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