610.満ばんざくろ石 Spessartine (オーストラリア産)

 

 

Spessartine スペサルティン ガーネット

スペサルチン・ガーネット−オーストラリア、崩壊丘産

 

オーストラリアの有名鉱山、ブロークン・ヒル産の満ばんザクロ石。方鉛鉱の中に暗い橙色の粒状結晶が入っている。当地に特徴的な産状で、同じ伝でバラ輝石の結晶が入ったものは鉱物雑誌を飾る定番写真のひとつとなっている。

ブロークン・ヒルはニューサウスウェールズ州の西部にぽつんとおかれた、隔絶された鉱山町である。もっとも近い都市は州都のアデレードで 500kmの距離がある。海抜 722m、年間降雨量235mm、夏季の気温は40℃を越える半砂漠地帯だ。
オーストラリアでもっとも古い鉱山町であり、世界屈指の鉱山会社BHP社の発祥地でもある。「銀の町」(The Silver City)、「西部のオアシス」などと呼ばれてきた。往時は風化により崩壊した丘の連なりが見られたそうで、探鉱家のチャールズ・スタートは1844年にこのあたりを探査した折、日記にブロークン・ヒルという言葉を書き留めている。先住民(アボリジニ)はこの土地を「跳ね飛ぶ頂(いただき)」と呼んでいた。アボリジニが住んだ痕跡はあるが一時的なものだそうで、おそらく生活用水が確保できずに移り去ったと考えられている。その荒涼たる連丘も、採掘活動によって地上から消えて久しい。

ブロークン・ヒルに銀鉱が発見されたのは1883年のことである。牧場監視役のチャールス・ラスプという人物が、ギプス山の柵を見回っていたときに鉱脈を見つけた。その地は後に彼の名で呼ばれるようになった。ラスプはスズ鉱を見つけたと思ったそうだが、持ち帰ったサンプルを調べてみると銀や鉛が入っており、非常に品位の高いものであった。翌年にブロークン・ヒル・プロプライエタリ(BHP)社が設立されて、採鉱が始まった。この会社は20世紀のはじめに鉄鋼業にシフトして大成功を収める。
ブロークン・ヒルの鉱産資源は銀、鉛、亜鉛などだったが、満ばんザクロ石やバラ輝石の存在が示すようにマンガンをも豊富に含んでいた。

話は変わるが、日本にはかつて小規模ながらマンガンを掘った鉱山が沢山あった。京都府加茂町法花寺野(ほうけじの)にもマンガン鉱山があり、素晴らしい満ばんザクロ石を出した。後に花崗岩の採石所に変わってからも、折々マンガン脈にあたったときは採集できたという。
私も何度か訪れたことがあるのだが、残念ながらいつもバラ輝石などの塊状の石ばかり採って帰った。花崗岩中には径3センチほどのころころした暗赤黒色のザクロ石が埋まっており、それはいくらもあった。表面は雲母が被っていて透明感もないのでキレイとはいえないが、私はうれしくて随分集めたものである。そのため法花寺野というと、マンガンを含まないザクロ石の採れるところ、と思ってしまうが、あるいはそのザクロ石にも幾分かマンガン気が混じっていたのかもしれない。

cf. No.892 補記

補記:余談だが井上ひさしの「黄色い鼠」は、二次大戦中のオーストラリアを材にとった小説で、主人公は腕のいい鉱山技師の日本人、銅鉱脈の探査を依頼してきた BHP社のペテンにかかって国外退去の機を逸し、日本人収容所に収容された、という設定になっている。
大陸北部の木曜島でボタン貝(真珠母貝)採集の潜水夫をしていた人物もチラと出てくる。

鉱物たちの庭 ホームへ