892.灰鉄ざくろ石 Andradite (日本産)

 

 

 

Andradite Green Garnet

淡褐色の粘土層に脈状に散る 淡緑色の灰鉄ざくろ石
(背面に見えるクシャクシャはクッションに敷いたビニール。
母岩が崩れやすいのである。ご容赦)

Andradite

アンドラダイト - 埼玉県秩父市中津川後山産

 

 

No.891に書いたように、緑色のガーネットはたいていクロムやバナジウムを含むウグランダイト系−灰バナジン系のもので、宝石として採掘された例はないにしろ日本にも産出が知られている。

灰クロムざくろ石(ウバロバイト)はクロム鉄鉱やクロム苦土鉱に伴って見出される。日本のクロム鉱床は小規模なものばかりだが、なにしろ合金鋼に不可欠の軍需物資であるから、明治以降、特に大戦中は各地でクロム鉱石を採掘した歴史があり、中国地方の一部の鉱山は 1990年代まで稼働していた。緑色ガーネットは黒色のクロム鉱を染めて粉末〜被膜状で産することが多く、時に肉眼サイズの自形結晶が見られた。
試みに図鑑を繙けば、「原色鉱石図鑑」(1957)に熊本県猫谷(現山鹿市)産と愛媛県赤石鉱山産とが載り、「原色鉱物岩石検索図鑑」(1964)に大分県鷲谷産、「日本の鉱物」(1994)に赤石鉱山産や北海道八田鉱山産が載っている。

「鉱物採集フィールドガイド」(1982)の 20章 「ガーネットの名産地」には 9つの産地が記されて、このうち埼玉県越生町如意(ねおい)は、「多産したことがあるが、産地そのものがつぶされてゴルフ場になってしまった」と注釈がある。ここは関東クローム鉱山として戦時中に採掘されたところで、今も時折標本が出回る。コースの芝生をアイアンで擦ったりすると出てくるのかしらん?(こらこら)
「日本のものは、クロムを含む灰ばんざくろ石で、本当の灰クロムざくろ石はないそうである」とあるが、その後、各産地の標本がEPMA分析で比較研究されて(※小林暉子「日本産含クロムざくろ石の化学組成」 1986)、クロム鉱床に産する緑色ガーネットはたいてい灰鉄ざくろ石との間に固溶体をなし、多くが灰クロムざくろ石に分類出来ることが示された(灰鉄に属するものもある)。上掲の鷲谷、八田、如意産は灰クロムの結果を得た。ただし中間的なものも多いから分析しないで決め打ちするのは難がある。古いデータ(※北原 1951)だが赤石産は灰ばんざくろ石という。

灰クロムざくろ石の色目は鮮やかで美しいが、一般に透明度が低いので海外産も含めて宝石として商業ベースに乗せられたものはない、というのが私の認識だが、草下氏は「外国ではかなり大きな結晶も出て、宝石にもなり、ひすいやエメラルドの代用品とされることもある」としている。
当時大きな結晶(~1cm)が市場に出たのはフィンランドのオートクンプ銅山くらいのはずで、この産地の結晶は緑色が深く暗い。不透明でもある。カットされたものがあったのかもしれないが、エメラルドの代わりになったかどうか。近山大事典は(灰クロムざくろ石は)「ほとんどが不透明。透明結晶は通常小さく、宝石用となるものはほとんどない」としており、やはり商業ベースでなく、コレクター向けのレアアイテムだったのではないだろうか。
ひすいの代わりといえば、南ア産のトランスバール・ジェードカリフォルニア・ジェードが思い浮かぶ。これらはハイドログロッシュラー、ないしハイドログロッシュラーとベスブ石との混合物で、ひすいといってもジェダイトでなくネフライトの感じに近い。クロム発色のジェダイトひすいの代用にするなら、やはり含クロム系のガーネットだろうが、さて、どの産地のどんな石が使われたのか。(※ちなみに蛇紋岩帯に伴うネフライトひすいも自体クロムを含んだり、灰クロムざくろ石を含むことがある。 cf. No.486 ポーラー・ジェード

以上の記述に続いて草下氏は、採集家の間で伝説化したエピソードを語る。
「埼玉県秩父地方の奥の奥、大滝村中津川の後山というところでは、かつて磁鉄鉱を掘っていた鉱山から、緑色のかなり大きな灰鉄ざくろ石が出たことがある。鉱山の調査に行った鉱物採集家の長島乙吉先生が、宿屋に着いてわらじを脱ごうとしたら、わらじの裏に緑色のざくろ石がくっついていて、あわてて元の道をたどって発見したという伝説がある。今はその場所も埋没してよく分からず、幻の産地となってしまった。」

いつ頃の話か述べておられないが、長島氏(※1890-1969)の略歴から拝察すると、大正から昭和初期にかけてのことと考えられる。以来半世紀、発見譚は口承・書承を繰り返しながら愛好家間に伝わったが、肝心の産地は公にされることがなかったらしい。
伝説には別のバージョンがあり、翌日、足元によく注意しながら後山越えの同じ道を辿って鉱山に向かったものの、ざくろ石を踏んだ場所は結局よく分からなかったという。この話では長島先生が得たざくろ石も一つきりだったことになる。
しかしそれだけの情報が伝われば、猛者揃いの採集家連中が産地を探さないということはありえない。これも伝説になるが、多くの採集家が後山の峠に百度を踏んだ。草下本の読者も頻りと挑戦しただろう。いつしか「峠のあたりにいつもカラスがとまっている三本杉があって、その付近が産地だ」との口伝が広まった(私は笑話みたいに聞かされた)。採集に成功した人もあったのだろうが、そうとしても精確な情報は秘されていた。

ところがネット時代に入って気がつくと、産地は秘密でなくなっていた。峠越えの細道のすぐ近くにある白い大理石の露頭の、大理石と磁鉄鉱との間の淡茶色の粘土層にざくろ石が埋まっている、向かい側の斜面には分離結晶が沢山散らばっていて、どうやら先生のわらじにささったのはそれらしい、と。その後、露頭は崩されて、斜面で分離結晶が拾えるだけとなり、それも荒らされて今では採集出来ない(立入禁止)という、絵に描いたような成り行きである。
とはいえ長島先生の発見譚が流布した時から、いつかこうなることは決まっていたのだろうと思う。鉱物趣味は業の深いものなのだ。
一時は「幻の」と呼ばれたこの灰鉄ざくろ石は、鉄分が多く赤褐色を呈するものと緑色のものとが共産し、なかには塁層状に色の変化する結晶もあった。
ちなみに上掲の検索図鑑(1964)には秩父郡中津川産の、接触石灰岩中にスカルン鉱物として産する無色透明(これはこれで珍しい)の灰ばんざくろ石が載っている。後山の緑色ガーネットも、中間的なもの、灰ばんに属するものがあるかもしれない。

このほかバナジウムを含む緑色ガーネットも日本に出るが、自形を示さないものがほとんどで、透明度が乏しく、やはり宝石にはならない。

 

補記:「フィールドガイド」 20章の本題は長野県和田峠産の満ばんざくろ石である。
「まだ鉱物採集を始めて間もないころ、和田峠に美しいざくろ石が産出すると教えられて、どんなところかとさっそく出かけてみた」と草下氏(1924-1991)は語る。峠の茶店で力餅を食べて一服していると、店のおばあさんの指環の石が「なんとざくろ石の天然石なのだ」った、と。
氏の「星日記(私の昭和天文史)」(1984)によると、「石叩き、鉱物採集に夢中になってしまった」のは 1964年の終り頃で、「十一月に…東餅屋の小母さんに和田峠で採れたガーネットを見せられたのが、大きなきっかけのようである」と回顧されている。(※年譜を拝見すると、ガーネットを見せられたのは 4月で、11月の終わりに採集行をした様子。)
翌 1965年、「この年から猛然と鉱物学の勉強を始める。まさしく四十の手習い、大先達の桜井欽一氏に、『始めるのが一時代遅かったね』などとバカにされながら、こつこつと山歩き、石叩きをやりだした」とか。
それからさらに二世代分の星霜を隔てて石を集めているのが今の我々である。

その後、1974年の6月から、「何を思ったか、鉱物採集家、コレクターのための情報誌『鉱物情報』を国立科学博物館の協力を得て刊行することになった。まったく独力で 10年間なんとか続けて、1984年にやっと他の人に引き受けてもらうことができた。」
この間に氏は情報誌同人の協力を仰ぎつつ「愛石界」に「鉱物採集の旅」を寄稿(1978-1980)、これに加筆したものと採集法の手引きとをまとめて、「フィールドガイド」(1982)として世に出されたのだから、八面六臂の大活躍だったといえよう。
あとがきに、「鉱物採集家としてはまったくの駆け出し、アマのアマ…」と書かれているが、10年以上続ければ立派な趣味と胸を張られていいかと思う。「穴があったら入りたい」とは、穴があったら潜って鉱物を探したいの意と解く。

補記2:ついでに書くと、「青いガーネットの秘密」(2007)のカラーページ(p.153)に和田峠産の満ばんザクロ石(スペサルチン)をあしらったバラの花のブローチの写真が載っている。

補記3:大分県大野郡三重町の鷲谷は明治初期にクロム鉱山として知られたところで、蛇紋岩中にクロムが濃集してクロム鉄鉱などの鉱床をなした。幕末の植物学者、賀来飛霞(かくひか)(1816-1894)のコレクションに「鷲谷コローム石」の標本が残っている。ここには鱗片状の紫色の石が出て、紫石と呼ばれたらしい。岩佐巌は鷲谷の紫色と緑色の鉱物を分析して(1877)、それぞれ紅礬土石(ブンゴナイト)、緑礬土石(ジャパナイト)と命名したが、後に菫泥石、灰クロムざくろ石だったことが分かった。
なお、近隣の若山クロム鉱山は、二次大戦中にニューカレドニアからニッケル鉱石が入らなくなった時に、京都の大江山などと共に俄かに開発された土地で、こちらは珪ニッケル鉱や翠ニッケル鉱、クロム鉄鉱、針ニッケル鉱などが出た。

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