618.ジルコン Zircon (中国産) |
一般にジルコンという言葉は、元素であるジルコニウム(Zr)や酸化物であるジルコニア(バデレイ石相当の酸化物またはキュービックジルコニア)と混同されがちであるが、我々鉱物愛好家の間では宝石または鉱物として天然に産する珪酸ジルコニウム(ZrSiO4)のことを呼んでいる。この場合のジルコンは鉱物種名と同義である。
ジルコンは光学的に屈折率が高く分散がよいので、透明なものは美しいファイアを放ってダイヤモンドそっくりにきらめく。スリランカ産のジルコンがマタラ・ダイヤモンドあるいはセイロン・ダイヤモンドと呼ばれ、ミャンマーに産するものがラングーン・ダイヤモンドと呼ばれたのはそのためだ。実際19世紀後半から20世紀にかけて、無色のジルコンはダイヤモンドの恰好の模造石または代用石とされていた。(同様によくきらめく無色のトパーズにも○○ダイヤモンドという通称があった)。
ただジルコンは光学異方性(一軸)で、カット石をよくよく覗き込めば背面のカットの稜線が複屈折によって二重に見えるので、識別はさして困難でない。そのため単屈折性のキュービックジルコニアが登場すると、模造石としてのジルコンの需要はほとんどなくなってしまった。(メタミクト化(非晶質化)したロー・ジルコンは二重像を生じないが、透明度が落ちて潤んだ感じになる。宝石に用いられるのはふつう結晶質のハイ・タイプ)
18〜19世紀にかけてヨーロッパでは、トパーズ、クリソベリル、シトリンなど、黄〜橙色系の宝石が流行した時期があり、ジルコンもまた黄色石が人気を博した。宝石商はこれをヒヤシンスと呼んだ。ヒヤシンスの花に由来するとされるその名は、中世期には東方(「インド」という概念でひとく くりになっていた)から入ってきた黄色系の宝石(シナモン色のザクロ石を含む)の総称に等しかったが、後に黄〜橙色のジルコンのみを指すようになったという。とはいえ今日ジルコンの需要は熱処理によって鮮やかな青色に呈色した石に集中して他の色は顧みられないから、ヒヤシンスの名が用いられることもほとんどない。
しかし日本の鉱物愛好家の間ではその名はまだしっかりと記憶に留められ、和名の風信子石(鉱)として残っている。これは一般に「ふうしんしせき(こう)」と読ませるのだが、「ふうしんし」は「ひやしんす」の別名で、「ひやしんすせき(こう)」と呼んでも差し支えない。
植物のヒヤシンスは安政年間以降に日本に渡来し、「ヒアシント」と呼ばれていた。明治初期に「飛信子」とあて字され、その後、「風信子」「夜香蘭」などの雅称が創られた。現在はヒヤシンスの表記がスタンダードだが、大正頃までは「風信子」がよく用いられた。風信子鉱はその名残りの表現で、明治以降の鉱物学の学灯を献げる本格派は言うに及ばず、鉱物名にロマンの香りを追ういわゆる鉱石派の愛好家からも篤い支持を受けている(と信じる)。
ここで引っ掛かるのは、ヒヤシンスの花のイメージは何色か、であろう。例えば、吉屋信子の花物語の一篇「ヒヤシンス」に出てくるのは純白と淡紫の2本の花で、語り手が姉と慕う女性の凛とした気丈さ、希望、清らかさ、そしてそれゆえの悲運を象徴している。現代の日本ではふつう青紫色や白色またはライラック色が連想されるだろう。
またヨーロッパでも、少なくとも19-20世紀にはやはり青がかった紫色が一般的だったらしく、スペンサーは「世界の鉱物」(1911)の中で「赤色がかった茶色の宝石質のジルコンはヒヤシンス
hyacinth の名で知られており、緑や黄色の石はジャーゴン
jargoon
と呼ばれることがある」と書き、一方では、この石の色(赤、橙、茶系)はヒヤシンスの花から誰もが連想する紫色とは全然つながりがないので、ヒヤシンスは宝石の名前から省いた方がよいと思う、とも述べた。
もともと(花の)ヒヤシンスの語はギリシャ神話に出てくる薄幸の美少年ヒュアキントスと関連している。彼は太陽神アポロンと西風の神ゼピュロスに愛されたが、移り気なゼピュロスよりもアポロンの方が好きだった。ある日ヒュアキントスはアポロンと円盤投げをして遊んでいたが、それを見たゼピュロスは嫉妬し、アポロンの投げた円盤に強い風を送って少年の額に激しく打ち当てたのだった。驚いて駆けつけたアポロンの前で、少年は地面に血を流しながら絶命した。血の中から紫貝で染めたよりも美しい(赤)紫色の花が咲いた。それがヒアシンスである。
そして紫水晶に似た、やや淡い色の石がヒュアキントスと呼ばれた(補記1)。
春山行夫は「宝石2」で、もともとヒアシンスはサファイヤ(コランダム)を含む青色石の名だったのが、青色のコランダムはサファイヤ、赤色はルビー、黄色がヒヤシンスと別れて、続いて中世期には漠然と黄色系の石を指すようになり、宝石の知識が進むとセイロンから出る黄色いジルコンを指すようになった、というスミスの説を紹介している。
一方、ジルコン Zircon
の語源は、Wikiなどを見ると「アラビア語でバーミリオン(朱色)を指す
zarqun (zerquin) またはペルシャ語で金色を指す zargun
である」と載っている。その通りならインド〜アラビア世界ではもともと黄・橙・赤色系の宝石をその名で呼んでいたわけである。私はアラビア語で「青い」を意味する
zurq (複数形は zurqun)との類似を疑いたいのだが、それは素人考えというものか。(補記2)
クラップロートが1798年にスリランカ産のジャーゴンから元素ジルコンの存在を確認しジルコン土と名づけたことを前項(No.617)に書いたが、これより早くブリュックマンは1753年にセルコニエ cerkonier
、1778年にはジルコン Zyrkon の名を用いており、1783年にはウェルナーもその名を採用しているという。ジルコンの語源が通説の通りアラビア/ペルシャ語であるなら、彼らのいうジルコン/ジャーゴンは黄・橙・赤系の石だったはずで、ヒヤシンスと呼ばれた黄色系の宝石(例えばヘッソナイト・ガーネット)との間に何らかの区別があったと思われるが、そのあたりはどうもよく分からない。スペンサーが指摘しているように(上述)、ヒヤシンスとジャーゴンは別の色のジルコンとみなされたのかもしれないし、別種(別産地)の石と考えられたのかもしれない。
私はザルクン/ゼルキン/ジャーゴンという響きと、ヒヤシンス/ジャシント/ ジャーキントという響きの類似性が名称の混同に一役買っている気がしてならない。中世期以降の「黄色いヒヤシンス」は、「東方から入ってきた」黄色い宝石のアラビア語名などから訛化して、(実物の宝石などあまり目にする機会のなかった人々の間で)覚えやすい花の名前に同化された言葉であり、その名が定着したずっと後になってまた新たにスリランカからジャーゴンという名前の(少し色目の違った)宝石が入ってきて2者に分かれたのではないか、つまりローマ時代の紫石ヒュアキントスと違って、花のヒヤシンスとは色が似ていたのでなく音が似ていただけではないかと思うのだが。
なお、結晶標本として現在出回っているジルコンはたいてい画像のような赤褐色系、または冴えないベージュ〜小麦色系である。
補記1:ブルフィンチの「ギリシャ・ローマ神話」は単にアポロンとヒュアキントスが円盤投げをしていてこの悲劇が起こったと述べて、ゼピュロスがやっかんだことはそういう説もあると紹介している。ローマ時代のプリニウスの博物誌に出てくる宝石「ヒュアキントス」は「紫水晶との間には相当の違いがある。見た目は紫水晶にごく近い色から少しずれているだけだが、紫水晶の特徴である明るい紫色の輝きが、この石ではヒアシンスの花の色に薄められている。」として、紫水晶ほどには魅力的でないと書かれている。
補記2:例えばマホメットの時代、ヤマーマに住んでいた遠目の利く女は「ザルカー・ル・ヤマーマ」、ヤマーマの青い目の女と呼ばれて伝説となっている。女の青い(ザルカー)目に拠る。
ラピスラズリやラズライトの語源となったアズール(青色)はアラビア語にAzuraq
(Aaqraq) といい zurq
はその複数形ともいうが、残念ながら詳らかにしない。
補記3:スペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラに産する赤褐色の鉄水晶は「ファチント・デ・コンポステーラ(コンポステーラのヒヤシンス)」と呼ばれているが、それはおそらく色ではなく、イガイガの形状からの連想であろう。(No.552)
補記4:本邦の鉱物書では、柴田・須藤理学博士共著「原色鉱物岩石検索図鑑」に、赤色透明のものはヒヤシンスと呼ばれる、とある。
補記5:「フィシオグロス」(AD2C)のフェニックスの項にいう、「クジャクの羽は緑と金にきらめくが、フェニックスの羽はヒヤシンスとエメラルド、また貴重な宝石で輝いている。頭には王冠を、足には飾り玉をつけて、王様さながら」