630.輝銅鉱 Chalcocite (USA産)

 

 

Chalcocite 輝銅鉱

輝銅鉱 -USA、モンタナ州、ビュート産

 

 

モンタナ州ビュートは、押しも押されもしないアメリカ最大級の鉱山町のひとつだった。そもそも鉱山町として拓かれ、発展し、現在に至るまでつねに鉱業を中心として経済が回ってきた。
1860年代初期、漂砂鉱床をさらって砂金を採る鉱山キャンプが出来たのがその始まりで、産金は小規模だったので、ほどなく銀を掘るようになった。だが採算はとれなかった。最大の原因は最寄の鉄道まで400マイルも離れているため、なんにつけ地の利が悪かったことだ。ビュートでは硫化鉱を製錬して銀を抽出するのに塩化法を採用し、そのための原料に岩塩を用いた。岩塩は隣りのユタ州に大量にあったが、ビュートまで持ってくると輸送費の上乗せだけで価格が4倍に上がった。採集した金属を市場に出すにもコストが嵩んだ。ビジネスとして立ち行かず、町は寂れて一時はゴーストタウンと化した。

ところが1881年に カッパー・グランス(閃く銅) と呼ばれる輝銅鉱を含むきわめて豊かな(品位30%以上の)銅鉱石が発見されたことで状況が一変した。電力施設の建造など、折りからの銅需要の急増が追い風となり、ビュートは一躍、「地上でもっとも豊かな丘」と呼ばれるようになった。その年の終わりには4つの銅精錬施設が出来、町の人口は4万人に上った。
ちなみにビュートというのはアメリカ西部に特徴的な地形で、平原の中に孤立してそびえ立つ、周囲が切り立った丘のことである。その名のついた地名が各地にある。(やはり西部に特徴的なテーブル状の浸食台地「メサ」と同様の地形)

アメリカは1883年にチリを抜いて世界一の産銅国に踊り出たが、ビュートの銅産は1887年にスペリオル湖周辺のそれを超えてアメリカ第一となった。それから1920年頃にかけて全盛期を迎え、中西部でもっとも豊かな鉱山町として繁栄を謳歌した(鉱床には亜鉛や鉛ももちろん含まれていた)。
この町にはコーンワル、アイルランドをはじめ、ヨーロッパ、東ヨーロッパ、その他さまざまな地域から鉱夫がやってきた。文化も宗教も異なる人々がひとつの町に集まって暮らした。初めのうち彼らはわりと仲良くやっていたが、20世紀に入ると激しい対立が生じることもあった。中国人もやってきてチャイナタウンを作った。彼らはやがて洗濯屋やレストランを営むようになった。
コーンワル人だけを雇う鉱山は「サフラン・バン」と愛称された。これはサフラン色に着色したコーンワルに伝統的なパンのことである。坑道の中で手軽に食事をとるために工夫されたコーニッシュ・パスティは今日ビュートの名物料理のひとつとなっている。
同様に町のマーケットではスラブ系移民に由来の、祝日に食べるスラブ風パスタが売られている。

往時、町ではさまざまなスポーツ競技が行われた。2人の鉱夫がチームを組んで、1人はドリル、1人は大槌を手に掘削の技を競うドリルコンテストは、いかにも鉱山町らしい催しといえよう。マイク・デイビィとハリー・ロッダは伝説のペアで、二人とも発破で眼をやられていたが、誰よりも精確にドリル坑を穿つことが出来たという。彼らはニューヨークのマディソン・スクウェアに呼ばれてパフォーマンスを披露したこともあった。
首から上を残して地面に埋めたニワトリに向かい全速で馬を疾走させるという荒々しい賭け事も人気があった。1982年まで紅灯地区があったのも鉱山町らしい。アメリカの都会地としてはもっとも遅くまで残った例だという。

1950年代に入るとビュートの活況は翳りを見せはじめた。鉱石の品位が下がってきたし、ほかの鉱山との競争も激しくなった。コストが割高でリスクの大きい坑道採掘から安定的な歩留まりの見込める露天掘りに転換したのはこの頃だったが、産銅量は次第に減少していった。旧市街や郊外の住宅地が露天掘りのために取り壊されたのも町の活気を殺いだ。
単独の鉱山としてビュート最大、いや世界最大の産銅を誇ったアナコンダは、1875年に銀山として始まり、富鉱が発見されてブレイクした歴史的な大銅山だったが、1983年に主力の銅採掘・製錬事業を終息させた。その後は別の会社が断続的に操業を行っている。

役割を終えて排水ポンプを停めた露天掘り坑はたちまち湧水が溜まって水没してゆくのがならいである。かつての露天掘り跡には、ヒ素や鉛などの重金属が溶け込んだ酸性水をたたえた巨大なため池が生じ、危険区域に指定された。バークレー・ピットはそんなひとつで、水鳥が大量死したため90年代に社会的な問題となったが、現在はアメリカ最大の(露天掘り跡の)ため池として観光客を集めているという。今日のビュートは閉止された鉱山地域に関連する環境回復事業が経済の一翼を担っているそうだ。

鉱物標本について言えば、アナコンダ鉱山は産量のわりにあまりめぼしいものを出さなかった。この方面で有名なのは、1890年代に開かれ、一時は1600人の鉱夫を擁する大銅山として活動したレオナルド鉱山である。1962年の閉山までに菱マンガン鉱、硫砒銅鉱、黄鉄鉱、輝銅鉱などの美品を産し、銅藍の結晶は世界一と目された。
余談だが、往時町にあったとある酒場にはきわめて優れた鉱物標本が大量に集まっていた。鉱夫たちが飲み代として置いていったのだ。

輝銅鉱はCu2Sの単純な組成を持つ硫化鉱物である。黄銅鉱の約2倍の銅を含み、硫黄と分離するだけで簡単に銅が抽出できるため、古くから重要な鉱石とされた。黄銅鉱が風化して生じると考えられ、粒状または塊状で産することが多い。結晶形を示すものは比較的少ない。常温では斜方晶系の構造を持つが、105℃以上の温度では六方晶系に変態する。
新鮮な結晶はやや青みのある暗灰色で金属光沢を示すが、空気中におくと次第に光沢を失って黒変する。へき開不明瞭。
硫化銅を主成分とし、かつて輝銅鉱として扱われていたが、のちに別種に分かれた鉱物がある。方輝銅鉱(digenite : Cu9S5)とデュルレ鉱(djurleite : Cu31S16 )である。

 

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