631.方輝銅鉱・デュルレ鉱 Digenite/ Djurleite (USA産ほか)

 

 

Digenite 方輝銅鉱

ディジェナイト−USA、モンタナ、ビュート産

Bornite 斑銅鉱

斑銅鉱 −チリ、チュキカマタ産

Djurleite デュルレ鉱

デュルレ鉱 −ナミビア、ツメブ産
日本ではハリス鉱と呼ばれていたものから
1962年に発見された

Djurleite デュルレ鉱

デュルレ鉱の結晶 (左側の黒褐色は海王石)
−USA、カリフォルニア、サン・ベニト鉱山産

 

アメリカというのはそもそも移民の国である。それぞれの地方や町が独自の成立過程を持っており、それは人の住むところ世界のどこでもそうなのだろうが、始まりと成長の記憶が都市化した歴史の浅い、あるいは昔のままの土地を現在進行形で照らしている。その意味でアメリカ中西部の町の多くは、ゴールドラッシュという大きな潮流と、土地に固有の資源開発(あるいは農耕地開拓)と定着の歴史とに密接に結ばれて、1世紀ないし2世紀間の残響を響かせる場所であり共同体なのであって、鉱山や鉱夫の文化は中西部に住む人々のアイデンティティを構成する重要な要素なのだといえよう。
日本の鉱物愛好家からみて、鉱物学や標本収集の淵源が、より古い歴史と明治以来の強い学問的関わりを持ったヨーロッパ(ドイツやフランス)にあるのは当然として、アメリカがホットな鉱物趣味の一大帝国としてあかあかと輝いてみえるのは故のないことではない。

方輝銅鉱とデュルレ鉱とは輝銅鉱と類縁の硫化銅鉱物である。インディゴ・カッパー、すなわち藍色の銅と呼ばれるコベリン(銅藍)に対して、カッパー・グランス(輝ける銅)と呼ばれる輝銅鉱は、旧世紀の古い鉱物書をひもとくと、「銅成分73〜79%、硫黄分20〜27%の鉱物で、これほど銅品位の高い鉱石は赤銅鉱をおいてほかになく、かつ存在量は赤銅鉱をはるかに上回る重要な資源だ」とある。
「多かれ少なかれ金属光沢を放ち、条痕は青灰色ないし黒灰色、木炭板上において吹管で吹けば硫黄分が分離して銅粒を生じる。燃えカスを水に溶いたものを銀のコインに塗ると黒く変色して硫黄の存在を知らしめる、輝銅鉱は硝酸に溶けて明るい緑色の溶液になり、過剰のアンモニアを加えると深い青色を呈する、すなわち銅の存在を証するものである」(SPS訳)、などとある。こうした鑑定試験は当時は伊達や酔狂でなく、世界に雄飛する経済活動、人類の未来、進歩と調和、輝かしい科学の世紀を支える技術であったのだろう。

方輝銅鉱は原色鉱石図鑑(1957 保育社)に次のように紹介されている。「ダイゲナイト Digenite はCu9S5の組成を有する等軸晶系の鉱物で、鏡下では青味が強いことと異方性を欠くことにより識別される。銅藍CuSとして従来扱われてきたものは、最近の研究により、狭義のコベリンCuSと、Cuのやや過剰を有する青銅藍 blue-remaining covelline Cu1+xS, (x<0.3) の二種を含むことが明らかとなった。後者は前者に比し、異方性・反射多色性がやや弱く、油浸系で赤色化しない。これらの銅鉱物は多く低温性鉱床にみとめられ、多くは互いに相伴って硫化鉱床の二次富鉱帯にきわめて普通に発見される」と、従来、輝銅鉱と呼ばれて来た鉱物が輝銅鉱と方輝銅鉱の2種に分類できることを述べている。輝銅鉱に対してより強い青みと貝殻状断口が特徴というわけで、その青色は銅藍に比されている。
油浸系というのは、私はまったく門外漢だが、顕微鏡で光学的性質を観察するときに試料と高倍率の対物レンズとの間を屈折率の高い油(イマージョン)で充たすことに関係する(コンデンサと試料間も油で満たす。こうして光を回して(開口を上げ)解像限界を上げる)。
Dana 8th によると、命名は1844年でギリシャ語の「2種類の」に因む、すなわち二つの酸化形(第一、第二)を持つと推定されたことによる、とある(実際にCu+とCu2+双方を含む)。

一方、デュルレ鉱はCu31S16 の組成を持ち、銅と硫黄の比率は輝銅鉱と方輝銅鉱の中間にある。単斜晶系。紫味の強い色を示す。Dana には、1962年の命名でこの成分の化合物を最初に合成したウプサラ大学の化学者デュールに献名されたとある。合成は1958年のことで、自然界で本鉱が発見されるに先立っていた。彼はCu2Sに近い組成領域に、Cu2S とCu1.96S の二つの独立相が存在することを見つけたのだ。
原産地にはメキシコの地名(チワワ州バランカ・デル・コブラ/ 記載者はアメリカ地質調査所のローズブーム・ジュニア)があげられている。一方、日本語のWikiには「尾去沢鉱山の方鉛鉱の仮晶をした輝銅鉱の研究から日本で発見された鉱物」とある。「日本の新鉱物」(2001 フォッサマグナ)には阿仁鉱はあるがデュルレ鉱は載っていないので、「日本で」でなく「日本では」と書くところかもしれないが、ただ、No.523 方鉛鉱に書いたように、かつてハリス鉱と呼ばれた方鉛鉱仮晶の輝銅鉱が、後にデュルレ鉱であることが分かり、日本の学者はローズブームとは独立に産出を確認したのではなかったかと思う。
余談だが生野にある三菱コレクション中の邦産デュルレ鉱(ハリス鉱)標本は逸品で、私は何度見てもその前に立ち尽くす。(展示物は岩崎家に引き揚げられたという。 2018.7)

阿仁鉱は秋田県の阿仁鉱山で発見された鉱物で、組成はCu7S4、記載は1969年である。輝銅鉱に似た外観を持つ。実験室では簡単に合成できるらしいが、自然界では報告が少ない。その理由は、X線粉末回折試験のために試料を擦ると、方輝銅鉱と同じ結晶構造に変化してしまうからだという。言い換えると、阿仁鉱を分析すると(組成がやや理想から外れた)方輝銅鉱という結果が出るわけで、自然界に存在する(はずの)阿仁鉱は方輝銅鉱とされてきた可能性があるというわけだ。
実際、これらCu-Sニ成分系の鉱物は肉眼的な識別が難しく、X線回折などで構造を調べないと分類出来ないのだが、その汎用的な手法が阿仁鉱には通用しないらしい。もっとも資源鉱石としてはいずれの鉱物もまったく同等の扱いが可能であろうから、人類の進歩に貢献する鉱業的には輝銅鉱(グループ)としてまとめて扱っても無問題なはずである。

方輝銅鉱もデュルレ鉱も、あいにく結晶標本を持ち合わせないので、塊状標本を載せた。ついでに斑銅鉱も並べてみたが、これらをどうやって区別すればいいのか分からないほど似ていると思う。(外観はゲルマン鉱も似ている)
前述の「原色鉱石図鑑」は、斑銅鉱について「銅赤色を呈すが表面は紫藍色に変色する。…顕微鏡下で観察すると、しばしば輝銅鉱、黄銅鉱、四面銅鉱と格子状ないし微文象状の共生をなし、これらの鉱物と固溶体をなすことがわかる。」と書いているから、まあ区別しないでもいいかもしれない。
といいつつ、「方輝銅鉱と信じていたのに、あにはからんや、阿仁鉱だったとは」といった展開を期待しないでもない。

ああ…それにしても、このメタリックな青銅藍の魅力はどうだろう。

追記:デュルレ鉱の結晶を手に入れたので画像を追加した。見かけは、輝銅鉱にそっくりだが…(この産地では輝銅鉱も出るという)。ちなみに、黄銅鉱と共存するものは輝銅鉱であることが多い。斑銅鉱と共存するものはデュルレ鉱である可能性が高い(輝銅鉱の可能性のあるがデュルレ鉱の方がより密接に共存)。方輝銅鉱は輝銅鉱やデュルレ鉱よりやや色が明るいが、識別はやはり難しい(三者共存することもある)。

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