632.硫砒銅鉱・ルソン銅鉱 Enargite/ Luzonite (ペルー産)

 

 

Energite 硫砒銅鉱

エナージャイトと黄鉄鉱 -ペルー、キルビルカ、ラ・リベルタッド

Luzonite ルソン銅鉱

ルソン銅鉱 −フィリピン、マンカヤン、ベンゲト、レパント鉱山産

 

金属鉱石の区別は、長い間、私には謎の世界であった。鉱石はだいたい金属らしい外観をしている。鉄であるか錫であるかステンレスであるか、チタンであるかビスマスであるかコバルトであるか、そういう区別をまぎれもなくできる人には奥行きの感じられる深い世界なのだろうが、私にはどうもどれもよく似たシロモノ(いやネズミ色モノ)に見えてなかなか気持ちが動かないのであった。
それよりも鉱石の表面に生じた、おそらくは酸化被膜だとかの干渉によって生じる「色」に心がふるえた。

硫砒銅鉱は例によってドイツ語の図鑑で初めて見識った。その大きなページには、本鉱とLuzonite(ルソン銅鉱)とゲルマン鉱の写真が並んでいた。自形結晶を見せているのは本鉱だけで、あとの2者は塊状だった。本鉱は藍鉄鉱の深緑色とコベリンの紫色の混じったえもいわれぬ色あいを示していた。後になってこれは本来の色でないと知ったが、言葉の読めない図鑑では分かるわけがない、すごい色の鉱物だ、と頭の中に刷り込んだ。
なので初めて実物を目にしたときは一瞬がっかりしたものだが、しかし今度はその独特の、ナイフで切ったような鋭い、レンズ状の端面を持つ、柱面に鮮明な縦筋の入った結晶形がいいと思った。だから金属鉱石の中でも本鉱は好きな石のひとつである。

この3種が並んで載せられていたのは、たぶんそれなりに理由のあることで、思うにいずれもある種の紫色を帯びることが特徴のひとつだからだと思う。また、ゲルマン鉱は銅・鉄・ゲルマニウムの硫化物で成分が異なるが、硫砒銅鉱とルソン銅鉱とは同じ成分で結晶構造の異なる同質異像の関係にある。
原色鉱石図鑑は「従来、硫砒銅鉱と称されたものには、斜方晶系に属する普通の硫砒銅鉱と、黄銅鉱に類し正方晶系に結晶する呂宋鉱 luzonite との二種あることが、近年わが国の学者によって明らかにされた」と誇らしげに語っている。前者は暗灰色で著しいへき開を有するのに対し、ルソン銅鉱は暗紅色でへき開を欠く、と。
面白いことに楽しい図鑑2でも、本鉱とゲルマン鉱が同じ見開きページに並べられている。本鉱のページにはルソン銅鉱への言及があり、「特有の紫色の塊状で、結晶はマレ」という。やはりこの3種はつながっていそうだ。

図鑑2は、本鉱の名産地は台湾の金瓜石(チンクアシー)鉱山とモンタナのビュートだったがすでに過去の産地になったと言っている。残念ながらそうらしいので、ここは最近見かけるペルー産のものを載せる。
五角形の面を示す結晶は黄鉄鉱。やや黄色味の感じられる鉛色の板っぽい結晶が本鉱。持っているうち、いつか紫色に変わってくれないものか…。
ちなみに金瓜石産の結晶は紫黒色で光沢が強かったらしい。ビュート産はMR誌に、「ビュート産鉱物としてもっともポピュラーなもののひとつで、本鉱の特級標本は、ほとんどのミネラル・コレクションに収められている」などと歯ぎしりしたくなるようなことが書いてある。ビュートではかつてどこでも本鉱が出たそうだが、もっとも優れたものはやはりレオナルド鉱山に拠った。明るい、鏡のような端面に、黒く鈍く光る柱面。結晶は単結晶、平行連晶、扇状、ジャックストロー(麦わらのような細長い柱状結晶がランダムに交差して集合したもの)、放射球状など、ありとある形を示したとか、ときに表面に輝銅鉱がまぶされていたとか。あああ。

cf. 金瓜石-九份   台湾玉市

補記:台湾島は中国の福建省と幅150-200kmほどの海峡を隔てて向かい合い、漢民族には長く原住民が住む東夷の島として知られたが、大航海時代にオランダやスペインが領有を宣言して貿易拠点とし、また日本人も貿易に立ち寄ったり海賊行為の拠点とした。その後、清朝の台頭に押された明朝の抵抗勢力の拠点にもなったが、17世紀末には抑えられ清朝に下った。
西洋人として最初に台湾島を訪れたのは商船に乗り組むポルトガル人と言い、緑豊かな島の美しさに感動した船員たちは「イーリャ・フォルモッサ」(美しい島だ)と唱えた。以来、台湾はフォルモッサ Formossaと雅称され、中国語に美麗島と呼ぶ。
中国人の伝統的な台湾観を継いだ清朝は、この島を化外の地、蛮族の地とみなしていた。領有はしたものの、特に統治に熱心だったわけでないが、やがて対岸に住む漢民族が移住して土地を開発するようになった。19世紀初には台北あたりが本格的に彼らの永住地になって、混血も進んだ。

19世紀は欧州列強による植民地拡大、維新以降の日本の軍国化があり、清朝は台湾島を国防上の拠点と認識するようになる。1887年には港湾市の基隆(キールン)と台北とを結ぶ鉄道が敷設された。
1890年、鉄道工事の作業員が偶然、砂金を見つけた。ゴールドラッシュが起こり、金瓜石でも 1894年に金鉱が発見される。翌95年(明治28年)、大日本帝国は戦勝によって台湾島の割譲を受ける。そうして台湾島の本格的な開化時代が始まったといわれる。
余談だが、当時の台湾は衛生状態が悪く、(日本人は)「台湾の水を5日間飲むと死ぬ」と怖れられて、上下水道の設置が急がれた。

金瓜石鉱山は日本の統治期に開発されて、1904年に硫砒銅鉱の大鉱体が発見された。最盛期は 1930年代で、金産 5トン、銀 15トン、銅は実に 11,000トンを出して、東洋一の鉱山と讃えられた。二次大戦以降産量を落とし、45年の日本敗戦を期に閉鎖された。
その後、1955年に台湾政府(中華民国)が再開発を行い、1985年まで稼働が続いた。末期は(採算に合う)鉱脈が枯渇したといわれる。
金瓜石は熱水性の硫化鉱床で、銅鉱石として主に硫砒銅鉱が採掘され、黄鉄鉱、ルソン銅鉱等を伴った。希産だがファマティナ鉱(硫安銅鉱)も出た。ファマティナ鉱の良晶標本産地は乏しく、金瓜石産は銘柄品だった。
硫砒銅鉱は結晶形がシャープで、条線が発達した柱状美晶で知られ、大きなものは15cm長さに達した。この地の標本は 80年代までは比較的入手しやすかったが、90年代に入ると速やかに市場から消えていった。

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