666.ファーマコライト Pharmacolite (ルーマニア産)

 

 

Pharmacolite ファーマコライト 毒石

毒石(白色)、鶏冠石(橙)、パラ鶏冠石(黄) 
-ルーマニア、スチャヴァ、 シャル・ドルネイ

 

ヨーロッパ人によるアラビア錬金術書の翻訳紹介は 1144年、チェスターのロバートによる「錬金術の構成の書」が嚆矢だという。
12〜13世紀には金でない物質を金に変える(見せる)試みが随分盛んになっていたらしいが、13世紀の碩学、百科博士アルベルトゥス・マグヌスや驚異博士ロジャー・ベーコンは、自らも錬金術操作を実験した結論として、術書に記載された処方で金を作ることは出来ないと述べ、安易な作業によって世間を惑わす術師たちを批判し退けている。錬金術で得られる物質が一見金や銀のように見えてそうでなかったり、品位を落としたものであることは、ある程度の知識と判断力を持つ識者には早い時代から明らかだったのである。
それでも錬金作業で造られた偽金が大量に流通したことをうけて、14世紀初、アビニヨン教皇庁は修道士が錬金術に関わることを戒め、やがてフランス王やイギリス王もそれぞれ(似非)錬金術の禁止令を発布する運びとなるのが時代の流れで、社会的には実際に金であることよりも、金に見えることの方が与える影響が大きかったわけである。

いずれにせよ錬金術(冶金術)による通貨金属の鋳造(濫造)や改鋳は、逼迫した財政を好転させ疲弊した経済を立て直す、カンフル剤的な魔法の切り札となりうるもので、合法か非合法か、国家的なプロジェクトか個人的な作業かは別として、ヨーロッパでは後々までこの種の発想に人気があった。
ゲーテのファウストでも、沈滞ムードの宮廷がファウスト博士とメフィストによる通貨製造によって一気にバブルに沸きかえる変転が、面白おかしく語られている。
こうした景況への影響力は、実際に領土に豊かな金鉱や銀鉱(や石油)が発見されて貧国が急速に繁栄するのと似たところがあると思う。あるいは現代における紙幣発行や株式発行・上場権の行使にも似ている。

それとは別に、真実、錬金術によって至純の金を作り出そうとする試みも熱心に行われていた。
作業(オプス)によって得られる金/エリクサは、自然状態の金と異なり、肉体の純化、病気の治癒、不老長生といった、人体への神秘的な薬効を持つと信じられたからだ。
また、作業の過程で実際に得られる生成物の中には、明らかに肉体に作用する毒劇物または薬物が認められた。水銀や砒素、アンチモンなどの金属質(レグルス)の塩類がそれである。16世紀、パラケルススは鉱物薬を積極的に用いて、彼がフランス病と呼んだ原因不明の病気や、恐るべき死病ペストに感染した患者の治療を試みた。毒を以って毒を制す、起死回生の妙薬である。
17世紀初にトルデが編纂した「アンチモンの凱旋車」は、アンチモン製剤の薬効を述べた書であった。
その意味で錬金術(アル・ケミー)とは、金属鉱石を原料とし、熱による化学反応を活用した錬薬術でもあった。

画像は Pharmacolite (ファーマコライト・毒石)。カルシウムの砒酸水和塩で、組成は CaHAsO4・2H2O。石膏(CaSO4・2H2O)に似た組成の希産鉱物で、白色の針状結晶が放射状・球状に集合して産するのが典型。
英語名はギリシャ語のファルマコンに由来する。ファルマコンには毒薬の意味と治療薬の意味とがあるが、この場合は砒素を含むための毒性を示したものである。やはり嘗めたりするとマズいのであろう。
ちなみに薬学(ファーマシー)とは、そもそも処方の加減によって毒にも薬にもなる物質を適切に操作する知識の探求であったらしい。英語のポイズン(毒)とポーション(水薬)が同じ語幹を持つのも同様の経緯である。

補記:「薬物と毒物との境は、きわめて微妙ですから、ギリシャ人はそのどちらをもパールマコン[劇物]と呼んでいました」(エーコ「薔薇の名前」上p174)

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