667.空晶石 Chiastolite (USA産)

 

 

Chiastolite 空晶石

Chiastolite 空晶石

十字模様の空晶石(断面研磨) 
−USA、MA、ワーセスター、ランカスター産

 

異文化の最大の魅力がまさに異質であること、部外異端の香りをまとうこと、すなわちエキゾチシズムにあるとすれば、異国異民族がもたらす未知の宗教哲学・学知もまた、その魅力の幾分かはやはりエキゾチシズムに根ざしているであろう。それは新鮮であり、眼から鱗の体験であり、いままで気づかなかった新しい視線である。(もちろん驚くほどに高い実用性・実効性を発揮するはずだ)。

異文化はさまざまな仕方で消化される。ときに元の文化に対して一定の距離を維持し続け、永遠に異文化なる傍流として許容されることもあれば、そっくり自分たちの根っこででもあるかのように(起源を忘れられて)普遍的な文化として受容されることもあろう。ときには元の文化に交わり融けて新しい混成文化が生まれることもある。しかし、いずれにせよエキゾチシズムの香り自体は薄れゆくのが慣いである。継続する刺激はもはや刺激として感じられなくなるからだ。その時にようやく見えてくるアラだとか荒唐さもないではない。

では哲学・学知の場合はどうか。仮に発見されるべき普遍的な真理、といったものがあるとすれば、時代や民族や文化を超えて、まさに普遍的なものとして扱われるだろう、と一応言ってみることは出来る。しかし、普遍的であるかどうかは、その時代その国にある知の体系によって解釈されるほかなく、従ってやはり文化と同様、さまざまな仕方で消化されることになると想定するのが妥当だろう。

ヨーロッパがイスラムの優れた学知に瞠目の視線を注ぎ、一端としてアラビア錬金術を吸収したとき、そこにはエキゾチシズムの妖しい輝き、卑金属から金が作られるとか、疾病に対する万能薬が存在するとか、不老長生の効果を持つ石や液体を作ることができるとか、良くいえば夢のような、悪くいえば胡散臭い、半疑半信で対せざるを得ない、しかし一笑に付すにはあまりに魅惑的な、不思議の世界への扉の誘惑が、キリスト生誕を告げる東方の夜明け、ベツレヘムの星のようにヨーロッパ人の頭上に瞬いていたはずである。

一方で、もしも仮に錬金術の説く変成が実現可能であるとするならば、その現象はヨーロッパを数世紀に渡って完全支配した知の体系、神と精霊とキリストの教義の下に、つまりはキリスト教の神学に矛盾することなくその足下に適当な位置を占めなければならなかったであろう。少なくとも体制派の学僧たちや知識人にとっては。
とこう書くのも、ヨーロッパに入った錬金術は、実際キリスト復活の似姿として概念化され、神の栄光と恩寵を得て初めて成就する奇蹟として再構成された、と思しいからだ。

そもそも物質の変容は、聖書に述べられたいくつかのエピソードの中に、遠い過去にすでに実証されていた。
ミサにおいてはパンやワインが秘蹟によってキリストの肉となり血と化した。であるならば同じ奇蹟は、鉱物の上にも神の名の下にもたらされうるであろう。祈りが届くならば。
そして錬金の成就はキリスト復活のビジョンに重ねられ、一度殺された(黒化された)物質が再誕(昇華統合)を迎える救済劇としての枠組みを持った。
ここにおいて錬金術師の役割は、神の位置に立って第一原質(マテリア・プリマ)を救済することにあるが、もちろん彼自身が神となるのではない(それはサタンの傲慢に比すべき罪であって、異端である)。術師はすべてのプロセスを正確かつ完全にこなす責任を担うが、それはあくまで神への奉仕であり、また物質的な側面にすぎなかった。作業には超越的存在の霊的介入が不可欠であった(ついでにいうと星からの不可視の影響力も考慮する必要があった)。

事の正否は神の恩寵が得られるかどうかに決定的にかかっていた。術師は作業(オプス)に先立ち、心を清め、ひざまづいて祈りを捧げた。彼は従順なる神の僕として、神の祝福が身体を通じて流れ出す清浄な容器となるのだ。こうして奇蹟が成就したとき、救済された物質(金)は他の物質(金属)を救う力を持つ輝ける存在となり、また人間の身体と魂とを救う貴薬ともなるはずである。キリストの復活は錬金術によって幾たびも象徴的に繰り返され、そのたび神の栄光が実証されるのである。

だが逆に言えば、錬金の奇蹟はただプロセスをなぞるだけでは起こらないのであり、また、そうたびたび起こるとも限らなかった。
そして神によらない錬金術は悪魔の業と怖れられ、異端の疑いがかけられるのであった。

cf. No.416 空晶石

補記:キリスト教の教義によれば、キリストの死と復活は歴史上ただ一度きりの出来事でなければならない。しかし一方で、救世主の降誕と復活は祝祭劇として再演され、歳ごとに記念されてきた。象徴的な復活はむしろつねに想起され、繰り返されるべきなのだ。
余談だが、ガラス容器の中に生まれ育つ生命体「ホムンクルス」の発想は錬金術と同じ純粋進化の枠組みに則っているが、キリスト教徒には著しく異端なものとして嫌悪されるという。生命の創出は神のみが行うべき業であり、人間が行うことは許されないからだ。ただし上述の通り、錬金術師はその業を神の恩寵に拠って行う−もっともホムンクルスについて最初に述べたと思しいパラケルススはそんなこと言っていないようだが。

補記2:錬金の素材となる第一原質(プリマ・マテリア)は、キリストと呼ばれるほか、黒色である(黒化される)ことから、黒、黒き土、アンチモン、エチオピア人、黒人、悪魔などと呼ばれることもある。またイシス・オシリス神話においてバラバラにされた後で蘇るオシリスにもなぞらえられる。

補記3:No.665 補記2に記したように、イスラームがギリシャ哲学を始め、世界各地の異文化を取り入れた動機もまた、それらが彼らにとってエキゾチックだったことにある。彼らはなんとか理解しようと試みた。ちなみにイスラームは視覚的物質に重きを置く文化で、霊や生命の観念も身体という物質を通じてのみ理解される。

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