その5。茶葉はポットに直に入れるべし。茶こしも、ムスリンの袋も、その他茶葉を収容する器具は一切使わないこと。
国によっては、注ぎ口の下に小さな吊るし籠を嵌め込んだティーポットがあり、浮き葉を捕まえています。茶葉に害があると思っているのでしょう。実際はかなり多量の茶葉を飲み込んでも何も悪い影響はありませんし、ポットの中で茶葉がほぐれないことには抽出はうまくいかないのです。
その6。ティーポットをケトルまで持っていくべし。逆は不可なり。インパクトの瞬間までお湯は沸騰し続けなければなりません。すなわち、注いでいる間もケトルは火にかかっているべきなのです。さらには初めて沸騰させる水だけを使うべきだとの説もありますが、私はそれでなにか違いの出ることがあったとは思いません。
その7。お茶を作った後は掻き混ぜるべし。ポットをよく揺するのはなお善し。そして茶葉が落ち着くのを待ちます。
その8。よいモーニング・カップから飲むべし。−つまり円筒形のカップです。底の浅い平たいタイプでなく。モーニング・カップは沢山入りますし、もう一方のカップに入れたお茶は、さあ飲もうという頃には冷めかけています。
その9。お茶に使う前に、ミルクからクリーム(乳脂)を流し出すべし。クリームが多すぎるミルクは必ず変な味がします。
その10。まず紅茶を先にカップに注ぐべし。これはもっとも異論の出るポイントの一つです。実を言ってイギリスのすべての家庭内に、この件に関する二つの派閥があると言っていいでしょう。「ミルクが先」派はかなり強力な論拠を持ち出せるでしょう。しかし私は我が説に反論の余地なしと言います。それは、お茶を先に入れてからミルクを注ぎつつ掻き混ぜれば、ミルクの量を正確に調節できるのに対し、ミルクを先にすると多めになりがちだからです。
最後に。紅茶は−ロシア式で飲んでいるのでない限り−砂糖を入れずに飲むべし。私が少数派であることは十分承知です。とはいえ、砂糖を入れてお茶の香りを台無しにするようでは自分を本当の紅茶好きと言えるでしょうか? 胡椒や塩を入れる場合も同じことが言えるでしょう。
お茶はビターで(渋く)あるべきです。ビールがビターで(苦く)あるべきように。甘みを加えてはもはやお茶を味わっていると言えません。ただ砂糖を味わっているのです。熱い白湯に砂糖を溶かしてもほとんど同じ飲み物が作れるでしょう。
お茶自体が好きなわけでなく、ただ暖まって気分を高めたいから飲むのだ、味をなくすために砂糖が必要なのだ、という人もあるかしれません。そんな道を外れた方々にはこう言いたいです:砂糖を入れないお茶を飲んでみて下さい、まあ、二週間ほど。そうすれば甘味をつけてお茶を台無しにしたいとは二度と思わないでしょう、と。
お茶を飲むことに関して論ずべき点はこれで全てでありませんが、レシピの全容がいかに細部にわたって展開してゆくのか、お分かりいただけると思います。また不可解な社交エチケットがティーポットを取り巻いていますし(なぜ茶椀皿から飲むことがはしたないとされるのでしょう、一例として?)、茶葉本来の使い方以外に、茶葉占い・訪客の予知・ウサギの餌やり・火傷の治療・カーペット掃除への応用についても多くの文献が存在します。
ポットを温める、確実に沸騰しているお湯を使う、といった細部に注意を払うことは大切です。2オンス(60g)の配給品から、適切に扱えば実現するはずの、20杯の美味しい、濃い紅茶を確実に引き出したいのであれば。
1946年
以上
備考:イギリス人のジャーナリスト・作家ジョージ・オーウェル(1903-1950)は自身が育った社会階層を中流の下とみなしていたらしいが、ミャンマーで警察官として働いた経験や、その後の経歴を通じて、どちらかといえば下層階級の生活・労働者に親近感を持っていたらしい。このエッセイは
1946年1月12日のロンドンの夕刊紙「イブニング・スタンダード」に掲載されたものだ。
オーウェル自身の紅茶の嗜好も労働者寄り、あるいは庶民派と言ってよさそうだが、そこはやはりインテリのこだわりで、抽出には陶磁器のポットを使っていた。
オーウェルは二次大戦中 BBC放送で働いていたが、同僚と紅茶を飲む機会があって、受け皿に注いで飲んだ。この流儀は 17世紀頃のイギリス上流階級の茶会の作法で、皿から音を立てて啜ることが茶を供してくれた主人への感謝を示す仕草だったのだが 20世紀にはすでに廃れて、ただ下層労働者の間で伝統が保持されていた。唐代の中国の風習に学んだ日本が、中国で廃れたお屠蘇を江戸期にもなお頂いていたのに似ている(cf. No.490)。 オーウェルはその飲み方に馴染んでいただけだろうが、周りからは眉をひそめられた。文化作法にはそういう狭量なところがあり、ある一つの文化コミュニティに従属する一員たることの証として機能すると同時に、滑稽なプライドの温床にも、お里の知れる異分子排除の地雷踏絵にもなりうる。
ちなみに茶葉として中国産や(蘭領)インドネシア産でなく、(英領)インド産や(英領)セイロン産を使うことは、当時は植民地経済を支持する愛国的行動でもあったが(インドは
1947年、スリランカは 1948年に独立)、実際問題として一般のイギリス人は
19世紀中頃から主に安価なインド産やセイロン産の濃い紅茶を好んで飲んできた。上流階級には中国茶への嗜好も根強く残っていたが。とはいえ、この時節には中国産の方が経済的だったらしい。紅茶配給制は
1953年まで続いた。
いずれにしてもこのエッセイは、夕刊紙の読者層に向けた、夕食(ハイ・ティー)時に共感や「議論百出」を誘うべき気軽な話題提供であったと思われる。
遡北社「一杯のおいしい紅茶」(1995年)に邦訳があるが、ニュアンスの受け止め方があるので、私なりの訳文で紹介した。
現在のイギリス庶民の紅茶の淹れ方は、ティーバッグをマグカップ(お気に入りのマイカップ)に放り込んで熱湯で抽出し、ミルクティにしてがぶがぶ飲むのが主流というか、ほとんどデファクト・スタンダードであるらしい。濃いのが欲しい人はティーバッグを2袋使うことになろう。茶葉は世界の生産高から推して、ケニア、スリランカ、インド産のブレンドだろう。こういう淹れ方をする限り、ミルクは当然後入れになろう。砂糖を入れる人は感覚的に3割くらいらしい。
W.H.ユーカースの"The romance of tea" (1936)に次の言葉がある。
「ミルクは紅茶に加える方がよい。茶の味を豊かでまろやかにし、コクを与える。一方でミルク中のカゼインがタンニンを凝結させ不溶性にする。」
「砂糖を加えるかどうかはお好み次第だが、入れずに飲む人が多い。茶本来の味を覆い隠してしまうというので。」
なお、イギリスのインテリを代弁すると思われるイギリス王立化学会は、「完璧な一杯の紅茶のための私のレシピ」(my own recipe for the perfect cup of
tea)を披瀝したオーウェルへのオマージュとして、「完璧な一杯の紅茶の作り方」 (How to make a Perfect Cup of Tea)というエッセイを、生誕100年記念にあたる
2003年6月24日にプレスリリースしたことがある。
こちらもいわば一介の科学者のユーモラスな、議論百出を誘うべき話題提供であったと思われるが、日本では日本人らしく至極真面目に、権威主義的な受け止め方をする向きが多かったようだ。
永遠のお楽しみ議論である「ミルクが先か、紅茶が先か問題」について、「ついに科学的に決着がつけられた!」といった感激報道をする、紅茶作法の先生方がお墨付きマナーとして著書に引用する、といった反応である。ネット上には、低温殺菌牛乳のPRに引用している牛乳メーカーがある。「控えおろう!王立化学会の御言葉なるぞ!」と言いたいかもしれないが、私の方は
"Don't be serious. Keep calm."
とコックニーで言ってみたい。 -SPS (2025.7.27)
cf. イギリス紅茶のゴールデン・ルール 「思い出のマーニー」とクイーンメリー紅茶
補記:オーウェルはお茶とビールを並べて、どちらも苦いもの、と言っているが、17世紀後半にイギリスでお茶(まだ紅茶ではない)が流行した初めは、コーヒーハウスにおいてだった。そこでは茶の煮出し液をビールと同じように小樽につめて保存しておき、注文があると温めてサーブした。イギリスの古いテキストにはお茶を「中国のビール」、「温かいビール」と呼ぶ例がある。オーウェルの連想は文人としては必ずしも突飛でない。
補記2:
「一杯の紅茶 (a cup of tea)(our cup of tea)」という言い回しは、俗に「お気に入りのもの(人)」という意味で用いられる。
オーウェルは 2項目で軍隊の紅茶に言及しているが、戦地へ輸送する水はオイル缶に入れて運んだ。オイル臭のする水がよくあったという。
成人一人あたり週 2オンス(56.3g)の茶葉の配給は、紅茶 20杯分にあたり
1日 3杯弱はいただける計算である。当時のイギリス人としては随分我慢している感覚だったのかもしれないが、年(53週)に直すと
3kgにあたり、現在のイギリス人一人あたりの平均消費量
(1.7kg)の 1.75倍になる。
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