699.紅鉛鉱 Crocoite (オーストラリア産) |
鉱物愛好家の、鉱物愛好家による、鉱物愛好家のための本、と唱えれば、私の念頭に浮かぶのは、御大草下英明の「鉱物採集フィールドガイド」(1982)と、益富寿之助翁の「鉱物」(1974)の二つである。
堀氏の「楽しい鉱物学」(1990)に、これから趣味を始める人への手引きとして、当時入手可能だった鉱物関連図書や雑誌、また活動していた博物館、同好会、標本店などが紹介されている。図書を数えると
19点。ところがまえがきには、鉱物を知って間のない方たちから良い参考書を紹介してくださいと頼まれるが、「日本には良くも悪くも本がない」とある。別の著書でも「『図鑑』(1992)を書いた頃は鉱物の本は数冊しかなかった」と振り返られており、それが実感だったようだ(cf.No.696)。 氏が想定されていたのは専門の難しい学書でなく、「知の面と情の面とがバランスされ、読める文章で基本知識が解説され、読者が鉱物を好きになる」ような本だったからだろう。
だが少なくともこの2冊は、初心の愛好家が読んで楽しい読み物であり、かつベテランが折に触れて手にしてなお味わい深い本であった、と私は思う。今、古本でしか手に入らないのは残念なことだ。
逆に当時幻に近かったフェルスマンの「石の思い出」は、
2005年に新訳が出た。こちらは鉱物ブームさまさまである。
草下氏は「フィールドガイド」のあとがきに、「宇宙ブームとか、宝石ブームとか、(中略)、何かのきっかけでブームが起こることがある。ところがおよそ何も起こらないのが『鉱物』である。『鉱物』という存在がなぜか不当に忘れられ、無視されているのが日本の現状である」と書かれている。
だがその数年後、金石学導入以来の明治初期からの伝統を破って、起こらないはずの「鉱物」ブームが起こるのだ。
鉱物でなく岩石、例えば水石・鑑賞石のブームなら、それまで日本では何度か繰り返されてきた。実際、フィールドガイドは
1978年から80年にかけて、その方面の月刊誌「愛石界」に連載された記事をベースに加筆されたものである。堀氏もまた同誌に拠って鉱物の魅力を折々語っていた。だが鉱物のブームとしては、
1980年代末〜90年代前半がおそらく最初ということになるのだろう。
起爆源のひとつは、やはり海外産の美麗標本が一般人(あえて言えば庶民)にも比較的容易に手に入るようになったことだと思われる。その舶来のキラキラしさに感応した人々の(文化的な)支持によって市場が形成され、商業的ブームに発展したのではないか。
「フィールドガイド」のカラー口絵に、国産の美品と並んでタスマニア産の紅鉛鉱が載っている。
日本に産出しないこの石を草下氏は色の美しさという点で代表的な鉱物のひとつと紹介し、現在はほとんど産出を絶っていること、もろくてこわれやすいのでなかなか日本までやってこないこと、「標本屋などでは、おそろしく高価な貴重品になってしまっている」ことを述べている。一応その頃には、標本店に行けば海外産の標本が手に入ったことが分かる。(結局氏は、タスマニアに調査に出かけた鉱物学者の友人に願って、あこがれの標本を手にいれた。「天にも昇る心地」がされたという。)
ちなみに紅鉛鉱標本の流通事情については、「奇跡の星/奇跡の命」さんが
91年頃の状況をサイトに語られている。⇒リンク
。
上の標本はフランクフルトの鉱物・化石店で購った。その後、No.531のものが日本でずっと安価で手に入って、正直言うとちょっとがっかりした。
cf. 月刊愛石界は 1964年3月創刊の「樹石」が1971年に改題された愛石家・玩石家向けの冊子。庭石(水石)から床の間石(美石)まで広く取り上げた。 87号から300号(1988年12月号)まで続いた。毎号相当の紙数を割いて石の誌上販売コーナーが設けられ、半ば有料通販カタログの性格を持っていた。その編集スタンスは鉱物誌「ミネラ」にも採用されており、日本的な特徴のように思われる。