702.アクアマリン Aquamarine (ナミビア産) |
その伝でいけば、産地での鉱物採集と即売会での標本購入の心的プロセスはメタファーとして等価であり、晶洞を開く採集家のハンマーとタガネは、購買者が社会への扉を開く魔法の鍵に等しいわけである。そうして市場でよい石に出逢うためには、運も必要であれば、たゆまぬ努力や粘り、ノウハウの蓄積が欠かせないこと、やはり採集と同じである。(cf.No.593)
田舎の少年にとって駈けずり廻って石を拾う裏山が宝のヤマならば、都会の少年にとって迷路のような街に紛れた秘密めく標本店は偽装された宝のヤマ(鉱山)であろう。彼らはそこで聖なる時間を持ち、聖なるモノに出逢う。
さればこそ、ガス灯のあかりで育ったような(足穂)、長野まゆみ描くオートマータ(自動人形)もどきの理科少年たちは、放課後の気随な時間を標本店に過ごし、己が心をぴたりと吸い寄せる鉱石たちとの第三種接近遭遇に耽ったのである。彼らは毎月、小遣いのほとんどをその店で費やした。あるいは理科教室に侵入して、奇妙な鉱石図鑑をこっそり持ち出そうとした。それは「小さな狩り」でなくてなんであろうか。
ある日、少年たちは標本店で謎めいた少年に出会う。彼は「ちょうどホタル石を日に晒したときのように、燐光を放っている」指先を、少年たちの一人のまぶたにあて、そこから土耳古石(トルコ石)のようにも海柱石(アクアマリン)のようにも見える碧い結晶を取り出してみせた。(長野まゆみ「鉱石倶楽部」(1991))
少年とは身体の中にそんな結晶を育てる生き物である。