703.水晶 日本式双晶 Quartz Japan law twins (日本産)

 

 

水晶 (日本式双晶) −長野県南佐久郡川上村大深山産
この双晶の接合面はξ(クシー)面。ξ面は自形単結晶では通常現れない。
大深山林道の工事で晶洞が現れ、90年代後半頃はさかんにコレクターが
訪れて日本式(傾軸式)双晶を採っていったという。

 

虫大好き博士奥本大三郎氏のエッセイに、夢中で採集に耽る元昆虫少年は実は昆虫学者に向いていない、という趣旨の一文があって、心の中に残っている。これは鉱物蒐集でも同じだ、と思ったりする(cf.No.527追記)。というか、蒐集の喜びと、学問の喜びは必ずしも一致しなくて当たり前だ、と思われる。

もちろん中には一致する人もあろう。神話学者のケレーニイは、「学問は芸術と共通点をもっている」、「祝祭的なものは芸術、学問、宗教、呪術の四つのもののなかに同時に溶けこんでゆく。いや、それらすべてに共通する根源的雰囲気を示しているのが祝祭である」と述べており、彼自身が実に楽しく浮き浮きと勉学にいそしんだこと、学問を遊びとし(芸術とし宗教とし)、生きる力の源としていたことが窺われる。
そして昆虫やら鉱物やらへの博物志向の本質もまた無我夢中の遊びであり、祝祭的気分への没入・回帰であるとすれば、この点において趣味は芸術、学問、宗教、呪術と根源的雰囲気を共有するものだと言え、従って鉱物(昆虫)少年から気鋭の鉱物(昆虫)学者が育ち、やがて年老いて再び趣味三昧に立ち戻る老博士があってもおかしくはないと言える。
とはいえ、大方の蒐集家が学問に振り向かない(適さない)のもまた事実で、彼らはそんなことはどこ吹く風、ひたすらキレイなモノ、光るモノ、珍奇なモノ、見栄えのよいモノ、ともかく何らかの点で心に響くモノを蒐集して悦に入り、その祝祭の境地を護持して人生を一息に生きる。学者さんのように名を残すことはないが、それぞれに充実した幸せな一生をまっとうするのである。

そのあたりの消息は、松岡正剛氏が「千夜千冊」 1044夜で次のように述べられている(ネット上で閲覧可)
「しかし、なんとか鉱物や岩石の実在感に興味をもちつづけると、ここに異常なほどの"シュールミネラリスト"たちが誕生する。世の鉱物ファンの大半はここに属する。」、「このファンたちはたいてい鉱物学には関心がない。」、「ごく最近になって、日本でも鉱物科学研究所の堀秀道さんの『楽しい鉱物学』シリーズなどが出て、なるほど鉱物採集や鉱物コレクションは鉱物学に踏み分けるものだという感覚がやや広まってきたようではあるのだが、それでも鉱物学を求めて大学に入る学生がふえてきたというニュースも噂も聞いたことがない。だいたい北海道大学を除いて本格的に鉱物学科を設けているところが、あまりにも少ない。」
続けて「それなら自分で取り組むべきなのである」と、お話は鉱物学のススメに移ってゆくのだが(氏は鉱物学は「地球の内部の"芸風"に目をむける」ことだという)、それはともかく、人は誰しも人生のどこかの時点で、天啓というか神の閃光というか認識の炎というか愛の思い出に出会い、以後の人生をひたすらその輝きを追って生きるものであり、鉱物愛好家にとってはそれが鉱物標本なのであらうと思ふ。

0119夜に松岡氏は、自らの鉱物派への接近が中学1年の倶楽部活動での楽しかりし採集の日々の思い出にあると明かし、中2の時に買ったポケット版鉱物図鑑との蜜月を懐旧されているが、そうした後光の射すよな思い出を人生の若い日に持った人は倖せである。
氏は思い出をバックボーンに、益富寿之助著「鉱物」の冒頭の一節への絶対帰依的な共感を表明する。
その一節とは、
「鉱物にはいろいろのものがある。そのなかで、水晶ほど見る者に感動を与えるものは少ない。ことに少年たちが水晶を見ると、何か先天的に水晶にあこがれをもっているような興奮をあらわす。筆者もまたそのような少年だったのである」
これぞ益富博士の魔法の言葉で、単に客観的な観察を述べているのでなく、自分自身そうであったという博士の幸せな思い出の告白に重みがあり、打てば響く鉱物愛好家の心がこもって、読む人を彼のはるけき境涯に誘き込むのである。

同じことは昆虫趣味にも言えて、横山光夫著「原色日本蝶類図鑑」(保育社 1954)の序の鮮やかな表明、
「昆虫への関心はひたすら少年の日の思い出のそれの様に、この道のファミリアーへの天与の夢であり、心の憩いでもある。」「昆虫への趣味と学究的な関心は、必ずしも採集家であり、蒐集家であるべき約束はなく、広く豊かな知性と識見をもって自然を鑑賞し、自然に親しむことこそ、よりよき人生の営みでなくてはならない。」は、愛好家をとらえて離さない呪文となっている。言葉の意味はよく分からないが、とにかくすごい情熱であることが、ひしひしと伝わってくるのだ。

以上の表明はさらに、佐藤さとる氏が述べた少年の日々の豊かな体験の大切さに、またドストエフスキーがカラマーゾフの兄弟に語らせた言葉(No.513)に通じるものだと思う。幸せな思い出はいつまでも、春の日の花と輝き続ける(cf.No.600)。

cf. No.938   No.995 (ガルデット式双晶 / 日本式双晶)

 

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