706.アガード石 Agardite-(Y)  (ギリシャ産)

 

 

アガード石(アガルダ石) -ギリシャ、ラウリオン、ヒラリオン産

 

1980年代末から90年代にかけての鉱物趣味、とくに海外産標本蒐集は、私の感覚では、未知の(海外の)モノへの憧れとハイソな文化的気運とに先導されたものだった、と No.698 に書いた。そして人々は文化教養としての鉱物知識に心惹かれた、と。それは私のような鉱石抒情派の立ち位置にして正当な観方だと思う。

だが、立ち位置が違えば別の観方も当然可能である。
私は滅多に触れないけれど、当時はストーンヒーリング、あるいはパワーストーン文化(ビジネス)が勃興した時期でもあった。 これは 80年代中頃のアメリカでの流行が日本に飛び火したもので、水晶のペンダントや貴石のビーズ、アクセサリをお守り(チャームやタリスマン)として身に着けたり、宝石貴石やその原石を肉体的な疾患の予防・治療に用いる方法の紹介であったり、ニューエイジ文化が標榜する霊的進化のためのツール−例えばサイキック・ヒーリングやリーディングに貴石や鉱物の結晶を用いるメソッド−への関心であった。また携帯することで直截な現世利益が叶うという触れ込みの貴石グッズが流行した。
この種の「精神世界」の潮流を現在の鉱物ブームの根幹と観る人々も多分大勢おられるだろう(そして標本蒐集を傍流と)。この領域の話はあまり気のりがしないけれど、ひとつだけ指摘すると、貴石を使ったボディ(チャクラ)・セッションや、ストーンヒーリング情報の日本への紹介(例えば「クリスタル・エンライトメント」の邦訳(1991年))に、いわゆる OSHO サンニャーシンたちが果たした役割は相当に大きかっただろうと思っている。

ところでその頃は、「アメリカで流行ったことは10年(あるいは5年)遅れて日本でも流行する」と言われ、アメリカ文化の追跡は商業的な動機ともなっていた。戦後のアメリカ崇拝に根差した日本人らしい挙措であり、やはりその時代の気分−ハイソな海外文化への志向−に連なるものといえそうである(だから標本商さんやヒーラーさんたちはツーソンを目指したのだ、とも言える)。
この観方を採用しても、流行の原動力が鉱物学とは何の関わりもないことは言うまでもない。またこの立ち位置の人たちには、産地での標本採集はほとんど無縁だったと考えていいだろう。

画像はアガード石(アガルダ石)。1969年、フランスの地質学者ジュール・アガール(1916-2003)に因んで記載された。原産地はモロッコのBou Skour 鉱山。イットリウムやカルシウムと銅の含水ヒ酸塩で、「希土類元素を主成分とする唯一の銅の二次鉱物」、と加藤昭博士は述べている。イットリウムでなく、やはり希土類元素であるランタンやセリウムやネオジムを主成分とするものがあり、区別するときはイットリウムアガード石と呼ぶ。ミクサ石グループに属し、1880年記載の ミクサ石のビスマス成分がイットリウムに置換したものに相当する。1978年に発見されたガウディ石 goudeyite はアルミニウム置換体であり、イオン半径の大幅に異なるイットリウム族の希土類元素とアルミニウムとが置換体関係を持つほぼ唯一の例だという。
ギリシャ、ラウリオン産としてアガード石とミクサ石の標本が出回っているが、両者の区別は素人目にはつかない。ラベルを信じるのみ。

cf. 戦後の日本人のアメリカ文化への憧れは、水村美苗の「私小説」や「本格小説」に生き生きと描かれている。(逆に日本近代文学や高度成長期の日本へのノスタルジアも)
村上春樹は、彼が十代だった1960年代は、「アメリカはものすごく大きい存在だった。何もかもぴかぴかに輝いていました。」といい、当時はほかの日本人もアメリカ文化に惹かれていたか、との質問に、「圧倒的でしたね」と答えている。(2006年のインタビュー;「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」所収)

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