709.トラピッチェ・ルビー Trapiche Ruby  (ミャンマー産)

 

 

トラピッチェ・ルビー(上:カボッション面、下:裏のラフ面) −ミャンマー、モン・シュー産

 

 

トラピッチェ・エメラルドがいつ頃西洋圏で知られるようになったかは諸説があるが、遅くとも1964年には知られていた(cf. No.60 追記)。
一方、トラピッチェタイプのコランダムはおそらく1995年まで気づかれなかったようである。 G &G 誌 1996年冬号にドイツ人研究家によるトラピッチェ・ルビーの観察報告が載っているが、イダーオバーシュタインの宝石商が仕入れたミャンマー、モン・シュー鉱山産のルビーの中にこのタイプのものが混じっており、何人かの収集家が 95年に指摘したのが(ドイツでは)最初の記録だと述べている。
記事の著者らは 95年11月にタイで開催された国際宝石学会の後、ルビーの集散地として世界中のディーラーが注目するミャンマー国境付近の町メーサイを訪れた。そこでモン・シュー産ルビーの山の中から約30ケのトラピッチェタイプを攫い上げ、後日バンコクの宝石商を廻って 70ケ以上のラフを探し出した。都合100ケをこえるサンプルをもとに形態観察および生成に関する考察を行ったのだった。
これらのサンプルの中にはベトナム産のルビーも含まれていたとみられ、バンコクのある宝石商は5年ほど前に扱ったベトナム産のルビーの中にもこのタイプの石を見たと話したそうである。
(もっともモン・シューの開山当時、知名度の低いこの産地のルビーがベトナム産(Yen Bai 県 Luc Yen鉱山産)のロットに加えられて取引きされたとも考えうる。)

トラピッチェ・ルビーの形態はコロンビア産トラピッチェ・エメラルドのそれに似て、中心から花弁状に分かれた6つの分節を持つ。分画境界は白色または黄色(生成後の風化によって鉄分が沁みて着色したとみられる)の方解石あるいは苦灰石やアンケル石などの炭酸塩である。この分画部はほぼ帯状のものと、外に向かって扇状に広がるものとがあり、No.708の標本のように中心付近は直線で途中から拡散するものもある。いずれの場合も、放射配置するルビーの結晶成長方向(外側へ向かう柱軸方向)に平行な、縫い目状・糸杉状・羽毛状のパターンが観察される。細かな縫い目のそれぞれはあたかもルビーの結晶に吸収されるかのように消え、また方向性を持ったチューブ状のガス/液体2相インクルージョンが形成されている。この観察により、ルビー結晶部と分画部とは熱水からの晶出時に同時的に成長したと考えられている。
トラピッチェ・エメラルドの中には炭素を含む黒色の分画部を持つものがあるが、トラピッチェ・ルビーでは見つかっていない。ただ中央に核を持つ形態のものには黒色の(コランダムの)核が見出されることがある。上の標本はこのタイプで、核は六角形、分画部は直線状(帯状)である。このタイプはまず核が生じた後に熱水環境が変化してトラピッチェ式の分節が導かれたと推測されるが、詳細な過程は不明という。

ミャンマーのシャン州にあるモン・シュー(シャン族の発音ではマイン・シュー)は90年代初、赤い彗星のように突如出現し、瞬く間に大量の原石を掘り出す一大産地に躍り出た土地である。それは空前の壮挙であった。
「プロが本音で語る宝石の常識」(1996 双葉社)という宝石商さんの宣伝ムックには写真入りの産地訪問ルポが載っているが、開鉱は 1990年で、訪問当時は政府が鉱区への外国人立ち入りを禁じていたとある。(それでも立ち入れてしまうところがアジアであり、活字にして出版してしまうところが日本である)
西洋圏の情報通によると、1991年には大規模な採掘が始まり、産量を落としたタイ・ルビーに替わって、(ベトナム産と並んで)ルビー市場を牽引する鉱山となった。
モン・シュー産ルビーには従来になかった特殊な熱処理が行われており、95年頃それに気づいた西洋圏のディーラーの間に、一時、大混乱を引き起こした。(cf.No.712)

補記:モゴックでルビーを採掘していたある男が、地元のナム・ンガ川で水浴びをしていたとき、足の指の間に挟まった赤い石を見てルビーであることに気づいた(1991年といわれる)。そうしてモン・シュー鉱山が始まり、人口8千人の町は押し寄せた鉱夫でにぎわい、盛時、3万人を擁した。

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