731.シルバニア鉱 Sylvanite (フィジー産) |
森の向こう、あるいは森の奥地を意味するトランシルバニアの金鉱石から元素テルルが発見された経緯を
No.730に述べた。この金鉱石、「ファチェバーニャの白い葉状金鉱」(Faczebajer weißes blättriges Golderz)がどんな鉱物種であったのか、今となってははっきりしないが、一般には(白灰色の)シルバニア鉱だったと考えられている。ただ、シルバニア鉱は金釘文字のような集合形象で産するため当時すでに文字鉱または文字金鉱(独名:
Schrifterz)と呼ばれていた。葉状鉱(独名: Blättererz/一般にナギャグ鉱を指す)とはいささか外観を異にしたと思われる。アンチモン、ビスマス、モリブデンなどの金属が含まれると想定された経緯もあって、さまざまな鉱物の混合物だったのではないかとの見解もある(補記1)。
いずれにせよこの鉱石を用いて、F.J.ミュラー・フォン・ライヘンシュタイン男爵(1740-1825)は、1780年代にトランシルバニアのシビウ(ドイツ名ヘルマンシュタット)の簡素な実験室で試験を繰り返し、1785年には未知の金属の存在を確信していた。
最終的にこれを新元素テルルとして報告したのはクラップロート(1743-1817)だったが(1798年)、それより早くハンガリーのキタイベルはドイチェ・ピルゼン産の鉱石からテルル(彼はピルズムニャクと呼んだ)を発見していた(1789年)。後にキタイベルは先に発見したのはミュラーだったとのクラップロートの主張を受け容れた。
ドイツのA.G.ヴェルナーはこの新元素をゲジーゲン(自然)・シルヴァンと呼んだ。シルヴァンはトランシルバニアに因んでおり、おそらくは天体の名をつけるよりも産地名をつけた方がよいとの判断であろうか。キュビエ(1769-1832)の自然科学辞典(19C初)は、「ヴェルナーは元素名『テルル』を認めず、つねに『シルヴァン』と呼んだ」と述べている。
そのヴェルナーは、1789年、ナジャーグ産の黒い葉状金鉱をナギャグ鉱の名で分類記載し、後にハイジンガーがこれを種名として確定した(1845年)。そしてテルルが発見されたと目される鉱石は、白い金鉱
(Weiß
golderz)とかテルル化金(Aurotellurid)とか呼ばれたが、ヴェルナーは古くからの名称、文字鉱 Schrifterz
を採用している。
ところがアイルランドのリチャード・キルワン(kirwan:1733-1812)は、ヴェルナーがテルルをゲジーゲン・シルヴァンと呼んだことに倣い、文字鉱をシルヴァン鉱と呼んだ。ジェームソンがこれに倣い、フランスではビューダンも倣った(1932)。そして最終的にルイス・アルベルト・ネッケル・ド・ソーシュール(1786-1861)が種名として確定した(1835年)。
以上の経緯によって黒ないし灰色の葉状金鉱はナギャグ鉱、灰色ないし白色の文字金鉱はシルバニア鉱となった。
どうもややこしい話だが、従ってシルバニア鉱の語源には、産地のトランシルバニアに因んだ側面と、テルルの別名シルヴァン(シルヴァニウム)に準じた側面とが伴っている。
スペンサーの「世界の鉱物」(1916)や加藤昭博士は両面を併記しているが、最近の鉱物書は前者のみを述べることが多い。楽しい図鑑2は後者を採用している。そして、「トランシルバニアは『テルルを産出する奥地』という意味になる」と述べているが、それは少し勇み足で、地名トランシルバニアはテルル発見の以前から存在し、むしろテルルの別名シルヴァンがルーマニアの深い「森」に因んでいる。テルルは森の奥に隠された金属だったのだ。
シルバニア鉱は AgAuTe4 の組成を持つ金と銀のテルル化鉱物である。自形は庇面の発達した柱状がよく知られて、それが双晶によって幾何学的な折れ線模様を描き、文字のように見えることから文字鉱と呼ばれた。別名に針状テルル鉱もある。また扁平な八角形または菱形の輪郭の板状を呈することもあり、あるいはその種のものが白色葉状鉱と形容されたのかもしれない。
日本の鉱物書では、この文象はヘブライ文字に喩えられるのがつねだが、トールキンや中山星香やクリドラを初めとする魔法ファンタジーに親しんだ世代の我々にはむしろルーン文字に見える。そしてそれでこそ、「妖魔の国の文字」(堀博士)と呼ぶに相応しく感じられる。
トランシルバニア産の本鉱の良品は、テルル金銀鉱の中でも一際高額で、それこそ魔法でも使わなければ入手不可能と思われる。
市場にはクリップルクリーク産やフィジー産の(あまり文字らしくない)標本が多少なり安価に出回っている。
上の画像はフィジー産。
フィジー諸島にはベースメタル鉱脈あるいは金-テルル鉱脈としてリッチな金鉱脈が多数存在する。代表的なエンペラー鉱山(バツ・コウラ鉱山)は日本の菱刈に匹敵する大規模鉱脈といわれ、20世紀半ば以降、百数十トンの金を産した。数年前にはクーデターに伴う騒動が起こったが、標本の方はいつも同じようなペースで出回っているように思う。
cf. ナギャグ鉱が黒テルル、シルバニア鉱が白テルル(白シルヴァン)なら、黄テルルはクレンネル鉱である。
cf. ヘオミネロ5
補記1:カラベラス鉱を記載したF.A.ジェンス(1820-1893)は、シルバニア鉱には2種類あり、ひとつは「文字のような模様のあるテルル」、もうひとつは「白テルル」や「黄テルル」の混合物であると考えていた。
補記2:A.G.ヴェルナー(1749-1817)はドイツの地質・鉱物学者。ライプチヒ大学在学中に「鉱物の外部の特徴について」(物理的・化学的特徴による体系的な鉱物分類に関する本)を書いた(1774年)。1775年から1817年までフライベルク鉱山大学の教授を勤めた。伝説的な地質学講義は1779年に始まった。ソクラテスを想わせる講義は大変な人気で、ヨーロッパ各地の若者がフライブルクに集まってきた。斯界への大きな影響力を持った。
補記3:余談だが、日本では古来、雁の群れの飛ぶ形が文字や手紙になぞらえられた。
sowerby exotic mineralogy より 文象テルル(シルバニア鉱)