824.パリス石 Parisite-(Ce) (コロンビア産ほか)

 

 

 

Parisite-(Ce)

パリス石 (半逆光で撮影)−コロンビア、ボヤカ、ムソー鉱山産

parisite-(Ce)

パリス石(Ce) -USA、モンタナ州ミネラル郡、雪鳥鉱山産

 

 

パリス石は軽希土類とカルシウムとのフッ化炭酸塩で、組成式 Ca(Ce,La)2CO3F2 。成分中の希土類はたいていセリウムが優越する。ネオジムの優越する Parisite-(Nd) は 1986年に中国バイユン・オボ産のものが報告されており、 Dana 8th や mindat に記載されている。一方 IMA は論文を正式に受け取らなかったらしく、IMA リスト (2017年9月)に示されているのは Parisite-(Ce) とランタン優越種の Parisite-(La) (2016年登録:ブラジル原産)のみである。

結晶構造は単斜晶系だが(いくつかのポリタイプが報告されている)、疑似六方(三方)晶の晶癖を示し、自形結晶は六方両錐形をとることが多い。柱面に平行に条線が発達し、この面にへき開完全である。セリウム優越種の原産地はコロンビアの有名なエメラルド鉱山で、白亜紀に形成された瀝青質に富んだ石灰岩中に産する。晶洞中の方解石(や苦灰石)結晶上にエメラルドや蛍石(フッ化カルシウム)を伴った標本はいわゆるエリート・コレクター御用達だそうで、MR誌に写真が載っている。稀にエメラルド中にインクルージョンとして含まれることがある。

鉱物記「チャルチウィトルの話」で南米産のエメラルドがスペイン人の手に落ちた経緯に触れたが、今日に続くムソー鉱山は 1594年に発見されたヤマである。しばらく盛んに採掘された後産量を落とし、18世紀半ばに火災が起こってからはコロンビアが独立するまで再開されなかった。
スペイン領中南米は19世紀初に始まる独立戦争を経て 1820年頃から一斉に独立してゆく。主導したのは現地生まれのスペイン人たち(クリオーリョ)で、コロンビアは「南アメリカ解放の父」と讃えられるシモン・ボリバル(クリオーリョの名家の出)がボヤカの戦いで勝利したのを機に、 1819年に大コロンビア共和国を宣言したのが始まりである(後にコロンビア、ベネズエラ、エクアドルに分裂)。
ムソー鉱山の採掘権は 1824年にボリバルの友人ホセ・イグナシオ・パリスに与えられた。10% のロイヤリティを課す14年間の貸借契約で、その後  5% に減額して10年間の契約更新がなされた。パリスはイギリス人技術者ジョージ・カイエンのアドバイスを受けて採掘法を坑道掘りから露天掘りに戻し、掘り崩した山の斜面の土砂を水洗してエメラルドを回収する手法をとって成功した(ちなみにコスケス鉱山は水源に乏しいため、この方法が採れなかった)。パリスが鉱山を経営した24年間(1824-1848)に採集されたエメラルドは相当な量に上ったといい、共和国の歳入もそれなりに潤ったと思われる。
契約が終了するとコロンビア政府は国営化を試みたが、例によって利益が上がらず、すぐにまたリース方式に戻った。
 1835年、地質学者のホアキン・アコスタはムソー鉱山で採集したサンプルをヨーロッパに送った。パリス石はその中から発見された新鉱物である。結晶標本2点を入手したイタリアの蒐集家ラヴィニオ・デ・メジチ・スパダがムソー石 musite の名を与えたが、透輝石の一種でチロル地方 mussa に産するムサ石 mussite (1806年)に酷似することが分かったため、改めてパリス氏に献名された。

それから半世紀の間ムソー鉱山はパリス石の唯一の産地だったが、19世紀末頃にグリーンランド南西部の霞石閃長岩帯(ナルサルスク・ペグマタイト)からも産出が報告された。ところが、よく調べてみると物性がやや異なるようであった。フリンク博士は当初ノルデンショルドと同様にパリス石と考えていたが、のちに(1901年に)新鉱物と判断して Synchysite シンキス石(シンチス石/シンチーサイト)の名を与えた。混同された、誤認された、を意味するギリシャ語に因む。ヘンな名前である。
とはいえパリス石とシンキス石の類似に関する疑義はその後もくすぶり、1953年に USGS のドネーがX線回折によって各地の結晶標本を調べ直してようやく整理された。今日バストネサイト、シンチーサイト、パリサイト、レントゲナイトに4区分されるサブグループが明らかにされたのだが、このうちレントゲン石はナルサルスク産のシンキス石(と考えられていた)結晶からドネーが発見した新種である(1953年)。X線を使って初めて識別出来たことに因んで、X線の発見者レントゲンに献名された。

これらは REE(OH,F):(CO3):Ca(CO3)の一般式で括ることが出来る。3つの成分項の比率は、バストネス石で1:1:0、シンキス石で1:1:1、パリス石で 2:2:1、レントゲン石で 3:3:2となる。いずれかの自形単結晶にほかの種が混じり込むのはよくあることで(但しバストネス石とシンキス石との組み合わせは未報告とか)、種の混在を肉眼的に(非破壊的に)確認することは困難である。
しかし酸に対する反応が多少異なることを利用した識別法はある。バストネス石は冷硝酸にほとんど溶解しないが、パリス石はゆっくりと、レントゲン石はたやすく、シンキス石は素早く溶解する。もしひとつの結晶中に共存する場合は局部的に溶解速度が異なるのが観察されるそうだ。ドネーは上記の報告で、レントゲン石とシンキス石の共存結晶を希硝酸に10分間浸けてシンキス石を溶脱させた標本を示している。

シンキス石の 組成は Ca(Ce,La)CO3F2 。セリウム優越種のほか、ネオジム優越種とイットリウム優越種とが報告されている。レントゲン石はセリウム優越種のみ知られている。
なおナルサルスクからはパリス石のカルシウム成分をバリウムが置換したものに相当するコーディライト Cordylite も記載されている(1898年)。組成は Ba(Ce,La)2CO3F2 。シンキス石に似た六角錐状の結晶をなすが、頭部が膨らんでチューリップ状/セプター状/こん棒状になる特徴があり、その名もこん棒に因む。セリウム種とランタン種とがある。
ついでに言うと、組成 SrCe(CO3)2(OH)・H2O のアンシライト Ancylite もナルサルスクが原産で 1899年に記載されている。セリウム種とネオジム種とがある。

パリス石はマウンテンパスやバイユンオボのバストネス石鉱床など、各地で産出が報告されているが、ムソー鉱山は今でも美晶の産地として知られる(上の画像)。
下の画像はモンタナ州のスノーバード鉱山産。スノーシュー鉱山、F&S鉱山とも呼ばれ、1970年代にはパリス石の巨晶を出すことでつとに有名だった。6センチサイズのものがごろごろ転がっていたらしい。最大24センチに達したという。組成に占める希土類の比率は セリウム 21.2%、ランタン 12.9%、ネオジム 10.6% というデータがあり、ほかの11元素は痕跡量程度というから、Parisite-(Ce) になる。

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