823.ゼノタイム Xenotime-(Y) (ブラジル産)

 

 

xenotime

ゼノタイム-(Y) -ブラジル、バイア州、イビチアラ産

 

希土類の鉱石といえばまずはモナズ石、それからバストネス石で、その次あたりにくるのがゼノタイムだろう。和名、燐酸イットリウム鉱の名の通り、理想組成 Y(PO4)。モナズ石-(Ce) : Ce(PO4) と比べれば、つまりはセリウム族の軽希土類に替えてイットリウム族の重希土類が入った燐酸塩であると考えられる。
実際、ほかの重希土類(エルビウム、スカンジウム、ジスプロシウムなど)を若干量含むのが普通で、種としてはイッテルビウムが優越する ゼノタイム-(Yb) も報告されている。アクチノイド元素のトリウムやウランも加わる。そしてモナズ石にイットリウム(族)が含まれるように、ゼノタイムにはセリウムやランタンが含まれうる。長石中に「埋没して」産することも同じ。ただ結晶構造は単斜晶系のモナズ石と異なり、正方晶系である。

一方、ジルコン ZrSiO4 とは空間群が同じで(異質同像)、同軸上に平行連晶をなすことがよくある。ジルコンはへき開不明瞭、ゼノタイムは(100)に明瞭。とはいえ両者は含有するトリウムのためにメタミクト化(結晶構造の不明瞭化)が進んでいることが多い。ジルコンのジルコニウム成分はセリウム族・イットリウム族のどちらの希土類でも置換される。加藤博士は、「花崗岩ペグマタイトではふつうゼノタイムが生成に必要な希土類を先取りし、ジルコンにはその余りが回ってくるようだ」との観察を述べられている。ヤマ数を踏んでない私にはどういうことなのかよく分からないのだけれど。

本鉱の命名にはおかしなエピソードがある。
1815年、スウェーデンの化学者ベルセリウスは、ファールンの銅山に産したガドリン石らしき風変りな鉱物を分析して、その中に未知の金属土を発見したと考えた。しかし亜鉛酸化物を新元素(金属土)と誤認してガーニウム(鉱山監督官のガーンに因む)と命名した若い頃の失敗を肝に銘じて、報告は控えめに行い新元素の命名をしなかった。ただ私的には 1817年に北欧神話の神トールに因みトリウムを期したという。
その後、ノルウェー南部のヴェスト・アグデル県(リンデネーズなど)に同様の鉱物の産出が報告されたので、これらの標本を用いて再評価を行った。そして新しい金属土が見つかることを期待したが、結果的に得られた物質は既知のイットリアであった。ノルウェー産の鉱物はイットリウムの燐酸塩と分かり、ベルセリウスは Phosphate of Yttria と呼んだ。1824年である。グロッカーはイッテルスパー Ytterspath と呼んだ(1831)。
フランスの鉱物学者ビューダンは 1832年に出した鉱物書で既知の種を整理したとき、これをギリシャ語のケノス(むなしい)とティム(名声)とに因んでケノティム kenotime と呼ぶことにした。イットリウムを新元素と間違えたベルセリウスへの非難を籠めたとされている。しかしビューダンの意図はそのままには通らず、不思議なことに印刷された書物では xenotime と記されていた。(cf.No.828 補記2
そしてそんな経緯でありながら、その名が普及して本鉱はゼノタイムで通るようになった。語源としてはギリシャ語のゼノス(縁のない)とティム(栄誉)とに因み、(類似の鉱物であるモナズ石と比べて)産出が少なく、結晶が小さいので見過ごされがちであること、希土類資源として後塵を拝しあまり注目されないことが由来のようだと解釈するのがならいある手筋だ。
とはいえ今日では、従来ジルコンとして一括されていた物質が実は相当な確率でゼノタイム(ないしモナズ石)であることが指摘されており、また重希土類資源を求める風の高まる中でゼノタイムの存在が見直されていることを付言しておきたい。
本鉱は原標本を提供した N.O. Tank 氏に因み Tankite (Tankelite)の名も提唱されたが、普及しなかった。

トリウムの名は、その後、ノルウェーのルーヴー(ルーブーヤ、ロヴォ、Løvøya)島で採集されたガドリン石類似の鉱物を構成する新元素に採用された。1829年である。標本を提供した牧師の H.M.T.エスマルクは、この鉱物を Berzelite と呼びたいと希望したが、分析者のベルセリウスはトール石 Thorite の方が簡潔でいいとした。トール石の組成は (Th,U)SiO4。ゼノタイムと共にジルコン・グループの一つである(ウラン優越種はコフィン石)。
上述のとおりゼノタイムにはふつうトリウムが含まれている。歴史に「もしも」はないと言うけれど、もしもベルセリウスがリンデネーズ産のゼノタイムからトリウムを分離出来ていれば、トリウムは少なくとも5年早く発見されていたであろうし、トール石と呼ばれたのは本鉱だったかもしれない。

ゼノタイムは長らく主鉱石として採集されることはなかったが、錫石やジルコン、チタン鉄鉱などを採集した砂鉱の残滓からモナズ石とともに副産物として得られ、イットリウムなどの希土類が抽出された。
20世紀中頃までイットリウムには(ほかの希土類同様)あまり用途がなく、ブラジルやインド産のモナズ石砂(イットリウム品位は 2%程度)から抽出される分で間に合っていた。その後、蛍光素子などに利用されるようになり、1980年代頃までマレーシアの錫鉱山が主要な供給源となった。漂砂鉱の原岩がチタン鉄鉱系の花崗岩で、ゼノタイムを多く含んでいたのである。(ちなみにマウント・パスのバストネス石にもイットリウムが 0.1%ほど含まれていた。)
しかし1985年の市場暴落によってマレーシア錫が壊滅的な打撃を受けると、希土類生産に力を入れ始めた中国が後を引き継いだ。バイユンオボのゼノタイムから、やがて南部のイオン交代鉱床から各種の重希土類が抽出され、比較的こなれた価格で提供されるようになった。市場が重希土類を受け入れ新たな用途が開発されたのは、安価な中国産が現れたおかげという面もある。

補記:J.J. ベルセリウス(1779-1848)を記念する鉱物は Berzeliite (1840年) と Berzelianite (1850年)とがある。

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