869.オベール石、苦土毛ばん Aubertite & Pickeringite (チリ産) |
そこで
IMA種名には標本の色や形、物理的・化学的・結晶学的特徴のなにがしか、原産地に関係するなにがしか、発見者や関係者に関連するなにがしかが語られていることが多い。その方が委員会の賛意を得やすいのである。
そうは言っても人名の鉱物名はやはりコンセンサスの形成が難しいらしく、例えば記載者/団体のパトロン/協力者、上司・恩師、同業(研究)者の名をつけることは理解を得やすいが、単に知名人だからとか、学界に無関係だけれど尊敬しているからといった動機が見える命名は通りにくい。では通らないかといえばそうでもないところに味わいがある。命名は「科学」ではない。
命名モラルに関する政治的な力学は部外者には必ずしもよく分からないもので、IMA名は誰もが統一的に(一義的に)利用できる便利なツールであるけれど、あくまで学(界)名であるという大前提も踏まえておかねばならない。
人名といえば、昔は単に姓を冠した献名が普通だったが、最近は姓+名を用いるケースも増えている。既存の名称にかぶらないための措置だ。例えば夏目漱石博士に献名する意図で、最初の記載者が
Natsume-ite
とつけたとする。次いで別の種に夏目静博士の名をつけるには、Natsume-lite
とか Natsum-ite
とかが可能だが、最初の種名と紛らわしい。静のイニシャル
Sを使って、Snatsume-ite とかNatsumes-ite
が考えられる(実際このタイプの種名もある)。しかし
Snatsume-ite は発音に困る。それなら Sizuka-natsume-ite
にすればよい、といった感じである。同じ姓の研究者は沢山いるから、この傾向は今後次第に主流となっていくかもしれない。
すると、「夏目○○石」のバリエーションが増えていく一方、最初の「夏目石」の夏目とは誰のことよ? 分かりやすく「夏目漱石」に改名しようよ、と言った議論も生まれてくるかもしれない。
傍ら、同じ人物に複数の鉱物を献名するのは如何なものか、といったモラルが醸成されるかもしれない。と、これは IMAの種名リストを眺めながら妄想したこと。
さて本題。
上の画像は苦土毛ばんとオベール石の結晶標本。苦土毛ばん
Pickeringite はNo.858に南ア産の亜種(ブッシュマン石)を紹介したが、こちらはチリ、タラパカ県の内陸にあるセロ・ピンタドス産、原産地標本である。記載は1844年で、当時このあたりはチリ硝石や銅・金を探して山師が跋渉していた。セロ・ピンタドスには硫酸塩鉱物(ミョウバン類)の露頭や銅鉱床があり、献名されたピカリングは米国科学アカデミーの総裁だったから、採集された標本が何らかの事情で米国に渡って分析され、羽状アルムの類ではあるがマグネシウムを多く含む新種であることが明らかにされたものと想像される。もっとも想像するだけで、詳しい事情は種名からは知りようがない。
標本の白色部、綿アメのような絹糸光沢の房状結晶が苦土毛ばん。組成
MgAl2(SO4)4・22H2O。
オベール石 Aubertiteは同じくチリが原産で、やや南方のアントファガスタのケテーナ鉱山で採集された標本から発見された。命名はフランスの国立地球物理学研究所のアシスタント・ディレクター
J.オベール博士に因み、チュキカマタ地方の鉱物調査の一環で
1961年に博士が取得した標本に拠って 1978年に記載申請された。
銅とアルミの塩化・硫酸塩で14水和物。組成 CuAl(SO4)2Cl・14H2O
。数ある複雑な硫酸塩の一つといえる。原産地では鉱山の酸化帯にシアン青色
Azure-blue の侵蝕粒からなるクラスト状で産し、コピアポ石、アマラント石、パラバトラー石、ホフマン石などの硫酸塩を伴った。希産鉱物である。
セロ・ピンタドスでは画像のように淡水色のものが出た。標本商氏によるとこの標本のオベール石は「結晶(!)」だそうで、その上を苦土毛ばんが覆っている。いずれも水溶性。
産状からすると風化物であるオベール石がさらに風化を受けて苦土毛ばんが生じたように見える。もしそうなら、この産地で苦土毛ばんが発見されてから1世紀以上、誰もオベール石に気づかなかったのかという疑問が湧く。あるいはこの標本を出した箇所の産状が特異なのか。残念だけれど、それは標本を見ていても分からない。
ちなみにケテーナ鉱山は苦土毛ばんの有名産地でもあり、柱状の結晶が産するという。
下の画像はこのテキストを書いた後で入手したもの。楽しい図鑑2に「見るものを唖然とさせる」と評されているタイプで、絹糸を束ねたような様子をしている。