870.毛ばん(ハロトリ石) Halotrichite (USA産)

 

 

 

Halotrichite 毛ばん ハロトリカイト

ハロトリ石 -USA、ユタ州サン・フアン郡ホワイト・キャニオン地域マーキー鉱山産

石綿

石綿 −岡山県高梁市成羽町吹屋吉岡鉱山産

 

古来、ミョウバンの一種として羽状アルム・羽状ミョウバンと呼ばれた物質のことを No.858に書いた。この物質は19世紀前半に化学組成が調べられるなかで、いくつかの鉱物種に細分された。本鉱はこのうちドイツで毛状の塩 haarsalz (英語でヘアー・ソルト)として知られたもので、鉄毛ばん(または単に「毛ばん」)Halotrichite と呼ばれる。ハロトリ石という和名もあって、私はその響きに惹かれるが、たいへんにエキゾチックに思える。名前を聞いてもどういう物質なのかまったく想像がつかない。ハロ(光暈)を取る?

毛ばんは組成 Fe2+Al2(SO4)4・22H2Oの含水複硫酸塩で、Fe2+の代わりに Mg, Mn2+, Zn, Coが、Alの代わりに Fe3+が、それぞれ少量含まれることがある。また Na, K を含むこともある。毛状のほか、柱状結晶(霜柱状)、被膜状、球状、房状などで産し、柔らかく、もろく、軽く、水に溶け、口に含むと収斂味がある。黄鉄鉱の分解産物として風化の進んだ金属鉱床の酸化帯に生じたり、堆積岩の露頭の表面に生じたり、火山の噴気孔に生じたりする。また炭坑で坑道を掘ると暫くして壁に吹き出てくることがよくある。産状や性質の似た可溶性の硫酸塩鉱物は多く、しばしば識別が困難である。
日本ではこの種の鉱物としてアルノーゲンが最初に発見されたため、白色毛状の可溶性硫酸塩が出るとなんでもアルノーゲンと鑑定される風潮があったが、実際はむしろ毛ばんの方が多いと加藤博士は述べられている。
ちなみに硫化鉱(白鉄鉱、磁硫鉄鉱など)を含む標本で年月を経過すると、き裂が入ったり膨満したりして、同時に白色のホコリのような綿状物質が吹き出てくることがある。だいたい毛ばんが生じていると言う。勘弁してほしい。

古代ギリシャ・ローマ時代にアルムと呼ばれた物質が、今日の(あるいは中世以降の)アルムと同じかどうかは怪しく、緑ばんを指したとみられることを No.855に書いた。が、デ・レ・メタリカの英訳者フーバー(後にアメリカ大統領)に言わせると、この説はベックマンが言い出したことで、みな右に倣えするけれども、白いアルメンに関するプリニウスの記述(衣料の媒染に用いられることなど)は確かにミョウバンの性質であると言う。フーバーは、(粘土壌を伴って)風化した硫化鉱から硫酸塩類の溶液が生じるとアルカリを含む場合にはミョウバンが礬類(ヴィトリオール)と同時に、または先行して析出すること、たいていは混合物が得られただろうこと、プリニウスが数多くの種類とその質の良し悪しを評しているのは純度が関係しているだろうことを述べている。
プリニウスが示すアルメンのうち、ギリシャ語でキストス schistos と呼ばれる固形の種類は白っぽい色で撚糸状に割れるため、トリキティス trichitis (毛状物)とも呼ばれた(ディオスコリデス)。おそらくは(鉄)毛ばんか、苦土毛ばんだったと思われる。

アグリコラは「デ・レ・メタリカ」(第十二巻)に塩類の製法を述べて、ミョウバン類を含む土を貯槽に入れて水に溶かし、尿を混ぜ、底から取り出した溶液を釜で煮詰めると、脂肪質のミョウバンが得られると言う。尿を混ぜるのは緑ばんを分離させるためで、こうするとミョウバンは沈殿して貯槽の底に溜まり、緑ばんは表面に浮くのだ。酔狂でするのではない。
そして得られたミョウバンの中には「石綿(アスベストス)あるいは石膏の非常に白い軽い粉末が含まれていることが珍しくない」と記しているのが興味深い。
というのはミョウバンは石綿との混同もしばしばあったと考えられるのだが、一つの土壌(原料)からミョウバンと緑ばんと石綿とが混じって出てくるのであれば、これらの性質を兼ね備えた混合物がかつて利用されていたとしても不思議はないと思われるからである。

上の画像は毛ばんの標本。産状は、破砕された母岩石の空隙を埋めて毛ばんが生じ、母岩のき裂方向に垂直に柱状結晶が生え揃って霜柱のような破面を見せている、と考える。
下の画像は石綿の標本で、似たような形状を見せるもの。私としては、ん〜似ている、と思うのだが、如何でしょう? 

プリニウスはアルメンの産地をいくつか挙げているが、もっとも良質なのはメロス島のもので、エジプト産がこれに次ぐとしている。エジプト産のアルメンは衣料の媒染に用いられたから、ミョウバンと思われる。
エジプトと言えば、毛ばんの亜種でコバルトを含むマスライト masrite が有名である。1890年代初に上エジプトの干上がった川床から採集された繊維状のアルムである。ちなみにこの川は現地で「バー・ベラ・マー(水無川)」と呼ばれるが、6,000年前には水が流れていたという。古い川筋にそっていくつかの小さな湖があり、その水は薬効があると信じられている。
当時、エジプトは大英帝国の植民地で、カイロにはロンドン政府の管理下に考古学的な化学分析を主業務とするケディヴィアル研究所があり、ここで標本が調査された。そしてアルミ、鉄、マンガン、コバルトが確認されたが、ほかに性質のよく分からない別の元素が少量含まれているようだった。元素は2価の金属らしく、原子量228のアルカリ土類と推測され、新元素マスリウム Masrium として報告された。エジプトのアラビア語名(ラテン語で綴ると Masr)に因む。 元素記号は Ms。マスリウムを含む鉱物はマスライトと呼ばれた。
この発見はあまり信用されず、キュリー夫妻がラジウムを発見し(1898年)、純粋な塩化物を得て原子量が決定されると(1902年)、誤認とみなされた。ラジウムは原子量226 で、アルカリ土類として周期表の最下段を占める放射性の重元素である。
マスライトはコバルトを含むことから、研究者は古代上ナイル・下ナイル地方で顔料として用いられていたかもしれないと考えてカイロ博物館に照会したが、コバルト顔料の使用例はないとの回答を受けた。しかし毛ばん類であるから、染色業に用いられて何か特殊な発色を示したということはあったかもしれない。

ちなみに今日では、エジプト新王国の第18王朝期にコバルト着色剤を使用した青色ガラスのあったことが知られている。
ガラスの製法はBC15C頃にメソポタミアからエジプトに伝わったが、その当初から微量のコバルトを含む濃青色のガラスが(銅着色の水色ガラスと共に)作られて、BC14Cにかけて盛んだった。
この種のガラスは貴重なラピスラズリ(やトルコ石)の模造を期したものだが、それ自体もまた貴重品だったとみられる。当時のメソポタミアではコバルト着色のガラスは知られておらず、一方エジプトではダフラ・オアシスに産する含コバルト・苦土毛ばん Pickeringite を使って濃青色のガラスやファイアンス(着色セラミック)が出来ることを発見したようである。
ところがBC13Cになると材料が手に入らなくなったのか、エジプト製のコバルト着色品は姿を消す。BC7Cになって再び現れるが、原料となったのは苦土毛ばんでないという(何かは不明)。

補記:メンデレーエフの周期表によって存在が予言されながら、20世紀に入るまで発見されなかった元素にテクネチウム (Tc)がある。不安定な放射性核種で比較的半減期が短い。1925年、これに相当する元素がドイツで報告され、マスリウム masuriumと呼ばれた。語源は報告者の一族の出身地であるポーランドの一地方マスリア Masuria に因む。上記のマスリウムとは別モノ。やはり誤認とされている。

補記2:大分県には日本有数の温泉地帯がある。別府温泉である。別府市街や周辺の観海寺、堀田、明礬、鉄輪(かんなわ)、滋賀石、亀川などに多数の湯が湧いている。別府は江戸期には幕府の天領だったが、山手は1万石ほどの小名、久留島家が宰領する森藩に属し、なかで明礬温泉は明ばんの製造で名を馳せたところである。「豊後明ばん」と呼ばれて国内一の産額を誇った。
地底から吹き上がる硫気(硫化水素ガス)孔の上に小屋を掛け、床に粘土を敷き詰めておくと、硫酸となった蒸気がアルミや鉄分を含む粘土と反応して、粘土の上に毛ばんや鉄明ばんの霜柱を立ち上げるのだ。
豊後明ばんは、明治になって安価で良質の輸入品が入ってきたために廃れたが、その後また「湯の花」として需要が興った。

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