940.水晶 Quartz (ブラジル産) |
いずれも「水晶ギャラリー 6」の標本から
右と左の概念は厄介なところがあり、何を基準に観察するかで解釈が反転する。向かって右(正面を向いて右)、と言えば、向かれた対象を基準にすると左のことである。
今、右ネジと左ネジを考えてみると、右ネジは頭の部分を時計回りに回すとネジ込まれて行くらせんで、左ネジは反時計回りに回すとネジ込まれてゆくらせんである。
右ネジをネジ頭の方から見た時(見おろした時)、ネジ込みの回転方向を右回りと呼べば、これは自動車の運転者がハンドルを右手廻しに回したとき車が前進しつつ右折・右旋回する方向に一致し、競技場のトラックを走者が右手をトラックの中心側に向けて走る時の周回方向に一致する。人の頭のつむじが外側に向かって右に渦を巻く方向でもある(但し、吸い込まれる渦巻きと考えれば左に巻く方向となり、台風ではこれを左巻きと呼ぶ。風は上空から見下ろした時、左回り/反時計回りに旋回して吹き込むが、台風の目の位置で地上から見上げると周囲の雲は風と共に右回り/時計回りに流れている)。
右ネジを頭を下に先端を上に向けてネジ込む回転方向は、先と同じ位置の観察者から見ると反時計回りであり、左手廻しであり、つむじが左に巻く方向である。
この時ネジ山(谷)が描く上昇らせんは、頭からネジ先に向かって、観察者から見て手前では左下から右上に斜めに上ってゆく(右肩上がり)。これは植物の蔓(つる)が「右巻き」に上ってゆくらせんである(※しかし面白いことに、日本では昔は植物(アサガオの蔓)のこのらせんを「左巻き」と表現していた。回転軸から(アサガオから)見れば、左回りに回っているからだ)。
今、右手の親指を立てて、他の4本の指を揃えて軽く握れば、4本の指のつけ根から爪先に向う(反時計回りの)円が親指の向いた方向に上ってゆくのが右巻きらせんである。(同様に左手の親指を立てて、他の4本の指を揃えて握った時に描かれる左肩上がりの円が左巻きらせん。)
バネやコイルを巻く時は、手前から遠ざかる方向に、あるいは上から下に時計回り/右回りに巻いていくと「右巻き」バネ(コイル)が出来る。
以上、ややこしいことを書いたが、「右と左」、「時計回りと反時計回り」の表現は観察の基準(上下左右/内と外)で入れ替わる。しかし軸方向と結びついた旋回(らせん)の実態は変わらないから、「右ネジ」は観方によらず「右ネジ」である。一度「右巻きらせん」と定義したらせんは、左右どちらに回っているように解釈出来ても「右巻きらせん」と呼ぶほかない(ただそう決めたから)。DNA
遺伝子の二重らせんは右巻きと呼ばれて、多分この表現が将来世界の標準になるだろう。右巻きらせんは左巻きらせんと対掌関係にある。
さて、水晶の右手と左手に話を戻すと、No.939で述べたように水晶は6つの柱面と片側に6つの錐面(結晶学的には菱面体面)を持つ。そして時には柱面と錐面の間の肩に小さな面が現われる。
錐面は普通、3つの大きな面(r面)と3つの小さな面(z面)とが交互に現われるが、大きな錐面を正面に見るとき、肩の小面はたいてい向って右側か左側かのどちらか一方に現れる(双晶しているとこの限りでない)。両錐の結晶でも、上側の肩と下側の肩に現れた小面は同じ側に並ぶ(※下側の正面に見えている錐面は大きな錐面でなく小さな錐面である。右側に並んだ肩の小面は、結晶を上下逆さまにすると左側に移るが、この時上にきた小さな錐面を回して大きな錐面を正面に持って来ると、先と同じ結果が得られる)。小面が向って右肩にあるのものを右手水晶(右水晶:
right-handed quartz)とする。
これはアウイが観察したのと同じで、外観的な特徴からの分類である。アウイは小面(斜向面)を持つ水晶を
Plagiedre/斜向面晶と呼んだ。
肩の小面は、s面及び x面と呼ばれる面(の双方、あるいはいずれか)であることが多い。他の面が現われることもある。
ダイヤモンド形に発達した
s面は隣接する2つの錐面と2つの柱面のちょうど角を削るので、大きい錐面が明確でない時は
s面がどちらの肩にあるかを判断するのは必ずしも容易でない。(No.939の2番目の標本は、小錐面(z面)と肩の
s面との位置関係で左右を判断している。)
一方、x面は一つの柱面の肩に現れるので、x面が判れば(他の小面でないと確信できれば)仮に大きい錐面が明確でなくても右手か左手かを判断しやすい。また
x面の斜め下に(より広い) v面が現われることもある。
たいていの水晶は肩の小面を持たないので、右も左もわからない。
x面とs面が共に現れる時、手前から奥に x面→s面→z面と辿ると斜め肩上がりのらせんがイメージ出来る。親指を立てて水晶の柱軸(c軸)上方に向け、他の4本指で柱面を握った時、右手の指の巻き付く方向とらせんが一致するのが右手水晶である(右巻きらせん)。※補記2
ところで、イギリスの J.ハーシェル(1792-1871)は、錐面の先端を上に向けた時、斜向面が左に傾く水晶を左手水晶と呼んだ。これは、今日我々が言う右手水晶と思しい。(「左に傾く」の意味が我々にはよく理解出来ないが、ただ水晶を斜め上から見下ろせば、s面→
x面が左手前に下がっているように見えるのが右手水晶である。)
ハーシェルは水晶の持つ旋光性を研究した人である。
19世紀初は科学者たちが物質を通過する光に関する実験を盛んに行った時期だった。これは17世紀末から18世紀初にかけて、ホイヘンスやニュートンがアイスランド・スパー(氷州石/方解石)を使って複屈折性を調べた研究に端を発する。
1811年、フランスの D.F.J.アラゴ(1786-1853)は、アイスランド・スパーと、柱軸に対して垂直に切り出した水晶板を使って、これらを透過する太陽光の偏光の挙動を観察した。1812年以降
J.B.ビオ(1774-1862)はさらに実験を進めて、水晶板に偏光を旋回させる性質があること、水晶板の厚みによってその程度が変化することを示した。
彼はまた、ほぼ同じ厚さのある水晶板を2枚重ねた時、偏光の旋回角が倍になるかわりに、水晶板を入れない時と同じ結果になったことも報告している。つまり一枚が与えた旋回を、もう一枚が打ち消したのだった。
1820年、ハーシェルはビオの研究をさらに進めて、もとの水晶の形状と旋回の向きとを関連づけてみせた。斜向面晶を調べていて、この特異面が左に偏ったものと右に偏ったものの2種類があることに気づき、偏光の旋回性と同じことが原因になっていると予想したのだった。実験してみると、彼が左手水晶と呼んだ結晶から切り出した水晶板は、光の進行方向に沿って見ると偏光を左に旋回させる性質が、光源に向かって見ると右に旋回させる性質があった。右手水晶はその逆の性質を示した。
ハーシェルはその後、どの水晶板がどちらの偏光旋回性を示すか、斜向面晶のタイプをもとに確実に予言することが出来た。
今日の流儀で表現すると、「右水晶は右旋性を持ち、左水晶は左旋性を持つ」と言える(※光源に向かって見ると時計回りに旋回するのが右旋性)。
これが左右水晶の第二の定義である。形状から水晶の左右を判別することは肩に小面が出ていないと困難である。光学的な旋回性はあらゆる水晶について左右を判定することが出来る。ただしそのために結晶標本を切り出すようなことは、鉱物コレクターとしては本末転倒であろう。
水晶板の厚みに比例して旋回角が増すということは、水晶の柱軸方向の構造にあたかもらせん階段が伸びてゆくような性質があるのかもしれない。右水晶(右旋性)の場合それは左巻きらせんの性質であり、左水晶(左旋性)は右巻きらせんの性質だ、とみるのが直観的な理解であろう。なお、水晶は光学一軸性で、光軸は柱面の軸(c軸)と一致している。
20世紀に入ってエックス線が発見されると、やがてその回折・干渉性を利用して物質の幾何学的な構造を調べることが出来るようになった。水晶の結晶構造(絶対配置)が解明されたのは
1958年という。
果たして水晶には対掌関係にある2種の構造タイプがあることが分かった。その後、右水晶は
[SiO4]ユニットのキラルな(対掌性の)重合配列に旋光性に関与する左巻きらせんの構造を、左水晶は右巻きらせんの構造を持つことが示されたのだった。
(続く→No.941)
cf. No.970 (左右水晶の食像) No.984 (マリュス−アラゴ−ビオ−ハーシェル/ブリュースター)
補記:巻き貝では尖っている方を上に向けて、貝殻の口が観察者に見えるように置いたとき、口が中心軸より右にくるのが右巻き貝である。これは右巻きらせん。
補記2:これは「見立て」のお話で、異なる結晶面の並び方にらせんをイメージしただけである。ちょうど夜空の星を繋いで星座をイメージするようなもの。結晶構造のらせんとはひとまず関係がない。
補記3:旋光性は入射した光(電磁波)に対して結晶が持つ電磁場が与える影響であり、一般に結晶構造に対掌性のある物質の性質である。物理的にらせん構造を持たなくても、対掌的な(非対称的な)構造があれば、(程度は別にして)旋光性を示す。歴史的には有機物の砂糖や酒石酸が有名。右手型の構造が左旋性を与え、左手型の構造が右旋性を与える(右とか左の表現は単に定義の問題。)