92.自然鉄 Iron (ロシア産) |
ヨーロッパとアジアが出会う土地、ボスポラス海峡を控えたトルコの高原地帯は、鉄の利用に関して人類最古といえる長い歴史を持っている。この国の創世神話にエルゲネコン(険しい山道:Irgana−kon)という話がある。
はるか昔、草原で平和に暮らしていた部族があったが、あるとき外敵の侵入により殲滅された。生き残ったのは二人の男の子と二人の女の子だけだった。かれらは、生まれた土地を逃げ出して、放浪漂泊の旅に出た。そしてついに周囲から隔絶したエルゲネコンという深い山の中に憩いの地を見出した。そこは肥沃な土地だったので、二組の夫婦を祖とする子孫がどんどん増えてゆき、テゴーズとキヤンと呼ばれる部族に分かれて繁栄した。一方その間に、外の世界のことや自分たちの先祖が来た道のことは、すっかり忘れられてしまった。
そうして何百年かが過ぎたとき、彼らは、自分たちが狭い世界に閉じ込められているのではないか、という不思議な気分に悩まされるようになった。自分たちが知っている世界の外に、はるかに広大な大地がある、という預言者が現れた。人々は外の世界へ出て行く道を探し始めた。だが、どの方角も険しい山脈で完全に囲まれていた。
そのとき一人の鍛冶屋が名乗り出て、山の中に鉄の岩で出来た場所があり、これを溶かすことが出来れば、外界への道が開かれるに違いないと言った。そこで彼らは、岩の前に木材を並べ、木炭を積み上げ、70台のふいごをおいて、火を炊き、どんどん風を送った。かくて熱すること3昼夜、ついに鉄が溶けて、道が開けた。人々は再び外の世界へと旅立っていった。こうして山から降りてきた一族が、今のトルコ人の祖であるという。(この神話は、トルコ系モンゴル人の間にも伝わっており、チンギス・ハンに先立つこと2000年前の出来事とされている)
鉄を溶かすことが出来て初めて、人類に発展の道が開けたことを暗示する不思議な伝説といえよう。モンゴル人たちは、この出来事を記念して今でもお祭りをする。大きなかがり火を焚き、その中で真っ赤に熱した鉄を、参加者全員がハンマーで打つのだそうだ。
補記:ちなみにトルコ東部のエルガニー砂漠には紀元前2,000年から続く銅山があり、現在も稼働中である。典型的な含銅硫化鉄鉱床であるらしい。
補記2:地球の内部は鉄とニッケルとで出来ている、と言われながら、酸素に包まれた地上付近では自然鉄はかなり珍しいものである。ロシアの他にグリーンランド、ドイツ、アイルランド等に有名産地がある。日本では富士山麓の溶岩中に発見されたものがあるが、これは溶岩に取り込まれた樹木が燃えて炭化した後に、溶岩に含まれていた酸化鉄が炭素で還元されて出来たものという。
また佐賀県伊万里の西ガ岳では明治時代に自然鉄の標本が採集されたが、その後まったく見出されていないそうだ。(鉱物採集の旅 九州北部編(1975)による。)