93.菫泥石  Kammererite   (トルコ産)

 

 

kammererite

Kammererite

菫泥石 −トルコ、エルズルム、コップ・ダグラリ産

 

トルコという国は、私の中では、犬も歩けば式に鉱物標本が転がっている土地だというイメージがある。

理由はいくつかあるのだが、その一番大きなものは、母親が観光旅行に行って、綺麗な石を拾ってきたことである。母は、鉱物にはほとんどまったく関心のない人物だが、それでも私の標本を眺めて、ほー、これいいね、くらいのことは言う。しかし、例えば水晶と方解石の違いなどはてんでわからないと思う。そんな彼女がトルコに行くというので、お土産にミーアシャム(メシャム:海泡石)のパイプをリクエストした。加工品ならなんとかなろうと思ったのだ。しかし、帰国後、もったいをつけながら、くれたのは、どこかの山の中で拾ったという石のかけらであった。聞けば、カイセリの奇岩観光に向かう途中、バスが休憩で止まったときに、足元にころがっていた石が綺麗だったので、拾ってきたというのであった。「あんたが喜ぶだろうと思って」という。ちょっとあきれながら、包んでいた新聞紙を開くと、石英らしき紫色のかけらがいくつも出てきた。「えっ。どうしたの!」と思わず口にすると、にこにこして、「いっぱいころがってたよ」というのであった。それを聞いて、うれしいのやら悔しいのやら、たいへんに複雑な気持ちになった私であった。

さて、写真の石は、緑泥石 Clinochlore という比較的ありふれた鉱物の、クロムを含んだちょっと珍しい亜種である。トルコの名産品のひとつだが、少し前までは、いくらでもあったし値段も安かった(ような気がする)。夕張メロンほどの母岩の表面にびっしり菫泥石が付いた標本が、バケツの中に無造作に積んであるのを見て、またその二束三文的値段を見て、買うのやめよう、と思ったくらいだった。それがいつの間にか、数の子みたいに貴重品になってしまい、手のひらに乗るくらいの小さな標本でも随分値段が上がってしまった。
業者の方が言うには、だんだん採れなくなってるらしい。
けれども私は、「いや、現地へ行けば絶対そのへんにごろごろ転がっているに違いない」という偏見を、どうしても捨てることが出来ないでいる。

cf. No.144 補記、 No.396

追記:母が拾ってきた紫色の石と同じものが、トルコ産の不明鉱物として一部の標本商の間で不思議がられていたらしい。標本商Hさんが2001年に再確認した試料はひすい輝石のスペクトルピークが出て、ひすい輝石と石英との混合物と判断された。ひすい輝石単独よりもより高圧の生成条件を示唆するという。ヒスイの産状として石英との共存は結構、珍しいものである。母に感謝。(cf. No.919

追記2:文献に拠って菫泥石の産地-コップ・ダグラリ(コップ山地)のことを記しておく。

東トルコ(アジア側)、アシュカレ近くのコップ山地は、エルズルムから西に80キロほどの位置にあり、かつて西側文明からは随分と隔絶した土地であった。ここにクロム鉄鉱床が発見されたのは 1848年のことで、1860年から1893年にかけて盛んに採掘され、鉱石が輸出された。その後の景気変動によって鉱山は半休止状態になったが、20世紀になって世界的にクロムの需要が増大すると、露天掘りによる再開発が試みられた。しかし品位が低いため国際的な競争力はなかった。その後、いくつもの小さな鉱山が残って、それぞれ数人規模で操業された。

鉱石に伴い鮮緑色の灰クロムざくろ石や赤紫色の菫泥石が出ることは 20世紀半ばには気づかれていたが、それが価値を生むものとは現地の人々の思い及ばぬことであったらしい。例によって数多くの結晶が破砕・選別過程でむなしく消滅したとみられる。
しかし1970年代、1ケの小さな標本がドイツ、ヴィスバーデンの鉱物学者ローランド・ディートリッヒの目に止まった。彼は大変に興味を惹かれ、乏しい文献資料を調べて鉱山のあるおおよその場所をつかんだ。そして1975年、妻のマルゴと一緒に初めてトルコに足を踏み入れた。現地への旅は一箇の冒険物語であった。黒海を渡ってソビエトとの国境に近い港町ホパに入り、車を調達して東アナトリアの高原を越え、荒涼たる平野が広がるエルズルムへ向かった。コップ・ダグ山地の村で英語の通じる鉱夫を探してガイドに雇った。それから彼らのオンボロトラックに揺られてひどい轍(わだち)道を走り、ついにサンティヤの小さな鉱山キャンプに辿り着いたのだった。樹木の育たない不毛の山肌。痩せた羊の群が丘を歩き、時に飢えた狼が侵入してくる。年間を通じてかんかん照りでほとんど雨は降らないが、冬には降雪があって日干し煉瓦造りの家々を埋めてしまう、そんな土地だったという。

ともあれ彼らはコップ・クロム鉱山の坑道に入り、菫泥石の結晶が埋まった壁面の亀裂を見つけ、それを辿って100m ほど先に大型の標本を採集した。良質の標本が沢山採れると見込みをつけて、いったんドイツに戻った。それから夫妻はトルコ語を学び、現地の鉱夫らと交信を続け、標本の採集や扱い方にはまるで不慣れな彼らに正しい方法を伝え、励まし、採集に必要な機材を送った。77年、二人が再び現地を訪れた時には、すでに大量の菫泥石が採集されていた。夫妻は約束通り、標本を衣類、ランプ、生活器具類、足踏み式のミシン、(電池で動く)ラジオやテープレコーダ等と交換した。そのために幾箱もの交換物資を携えて現地入りしていたのだ。こうしてトルコ産の菫泥石が西側の鉱物市場に現れた。
その後、他の標本商やコレクターたちがやってくると標本の価値はどんどん吊り上がり、電気設備もない土地で、村人は対価として皿洗い機やテレビを所望するようになったという。

菫泥石の標本は 1977年、78年に大量に出回り、80年代前半はそれなりに流通して、80年代後半には新たなロットの供給もあった。しかしその後は市中在庫や還流品が出回る程度で、新しい標本が届かない状況になったという。(私自身は90年代もよく出回っていたと記憶しているが。)
これを採れなくなったというのは易いが、仕入価格の高騰や行き渡り感等から、徒労を避けて標本商の足が産地から遠のいたのであろうと私は思う。けして採り尽くされたわけではあるまい。

ちなみに Kaemmererite/ Kämmererite  の名は、ロシアの鉱山監督官だった A.Kaemmerer (ケンメラー:1789-1758) に贈られたものである。(2018.8.19)

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