205.緑ばん Melanterite (日本産) |
備前片上から吉井川沿いに北上する国道は、私のお気に入りのドライブコースだった。ぽかぽか陽気のよく晴れた日には、山々の緑も目に優しく、仕事なんか放っぽって、その辺の土手で昼寝でもしようかという気になった(昔の話だよ)。川の蛇行につれてゆったりとカーブする道から美しい風景が次々と開け、日本の自然っていいよなあとつくづく思うのだった。この道と並ぶように、錆びかけた単線鉄道のレールが走っている。かつて、柵原で採掘された硫化鉱(主に黄鉄鉱)を片上港に運んだ、同和鉱業片上鉄道線である。
柵原鉱山は、慶長年間に開かれ、当初褐鉄鉱の露天掘りが行われていた。その後、次々と鉱脈が発見され、大正5年には本格的な開発が始まった。大量の硫化鉱が掘り出され、硫酸や硫安(農業肥料)の原料として売り捌かれた。鉱山は昭和30年代に最盛期を迎え、町は3000人を超える鉱夫とその家族とで賑わった。家々の灯りは一晩中消えることがなく、さながら不夜城を想わせた(電気代は会社持ち)。のどかな山村を走る鉱石列車の堂々たる編成は、急速に復興を遂げる日本の姿と重なり、柵原は東洋一の大鉱山と謳われた。
しかし栄枯盛衰は世のならい。やがて安価な輸入品や石油精製の副産物として採れる硫黄が市場を席巻し、鉱山はその巨体を維持出来なくなった。高さ600m、幅400m、延長2000mに達する本体鉱床はついに掘り尽くされることなく、地下450mに及んだ中央立坑も閉ざされた。今は、坑道の特殊な環境を利用して、黄ニラ、ラン、イチゴなどの栽培やカブトムシの飼育が試みられているという。片上鉄道も廃線となった。土手道を走れば、茫々と伸びた夏草の合間に、錆び色の軌条が見え隠れするばかり。力強い汽笛の響きも絶えた。
写真の標本は、本坑が稼行していた頃のもので、表面はほとんど変質してしまったが、中はまだ綺麗な緑色をしている。鉄の硫酸塩鉱物である緑ばんは、たんばんと同じく、硫化鉱石に地下水が作用して生成する。坑壁の天盤一面に、つららのようにぶら下がっていたという。
ちなみに柵原では、破砕した硫化鉱を積み上げ、少しずつ水を滴して含水硫酸鉄の溶液を作り、これを蒸発させて人造の緑ばんを製造していた。
緑ばんは、タンニンに加えて黒色染料を作ったり、ベレンス・インクや硫酸の原料にしたり、消毒や木材の防腐にも用いられる。学名は靴屋が皮を黒く染めるのに用いた、原料にこの種の金属塩を含む染料
melanteria (靴屋の黒:もとはギリシャ語のmelan:
黒に由来)からきている。
金を含む鉱石を王水に溶かし、緑ばん溶液に注ぐと赤褐色の沈殿が生じる。沈殿を磨くと金黄色を呈する。この原理を利用して金鉱石の試薬に用いられたこともあった。
単斜晶系。組成 FeSO4・7H2O。日光で退色して黄色くなる。甘渋い鉄臭い味。容易に分解して三斜晶系のシデロチライト
Siderotilite FeSO4・5H2O になる。
cf. イギリス自然史博物館の標本(ピサナイト) 、No.858 補記2 さまざまな礬類(ヴィトリオール)