266.ほう砂  Borax   (USA産)

 

 

デスバレーゆ うち出てみれば 真白にぞ 乾いた塩湖に 積るよほう砂

ボラックス −USA、CA、シアレス・レイク産
(チンカルコ石に変わっている?)

 

Na2B4O5(OH)4・8H2O と、化学式は Dana's 8th に拠っておく。含水硼酸ソーダであり、大昔から魔法の化学薬品として利用されてきた(No.263参照)。熔融状態の硼砂には、ほかの方法では分解出来ない多くの金属酸化物を溶解する作用があり、人類はまず冶金用の融剤(フラックス)としてこの鉱物に目をつけたと考えられている。応用範囲が広く、洗浄・防腐作用があるため、洗剤や薬剤(化粧品・消毒剤など)の成分としても有効だし、ガラス(耐熱硬質ガラス)やエナメル塗料、テキスタイル、絶縁材の製造などにも重宝される。近頃の学生さんは、洗濯ノリにほう砂を混ぜ、スライムを作って遊んでいるらしい。我々の時分は、工作の授業でハンダ付けフラックスに使うくらいが精々だったのだが…。

ほう砂は塩湖の蒸発残留物として生じる。あるところには大量にあるが、ないところにはない。中世期には産地が中国・チベット方面にしかなく、カシミール(参考)やタクラマカン砂漠のロプ・ノール湖で採集されたほう砂が、シルクロードを通ってはるばるヨーロッパまで運ばれてきた。当然、それなりに高価で取引されただろう。
この状況は19世紀の初め、イタリア・トスカーナ地方の温泉地帯に湧く、ミネラル分を豊富に含んだ蒸気から Sassolite (天然硼酸/硼鉱石 H3BO3: 原産地Sasso サッソ)を沈殿・採集する方法が発見されるまで続いた。これによって商業用のほう砂が欧州圏内で容易に製造出来るようになり、トスカーナはその一大生産地として名を馳せた。

一方、アメリカ大陸西部では、同じ世紀の中頃から20世紀初頭にかけて、ほう砂の大産地が相次いで発見された。まずサンフランシスコ在住のお医者さんが、カリフォルニア北部で薬用泉を探しているとき、浅い湖床の堆積物中にほう砂が含まれていることに気づいた。1857年のことで、その湖ボラックス・レイクはあっという間にダントツの産地となった。
さらにデス・バレーやモハブ砂漠の干上がった湖床群から大量のほう砂、その他の硼酸塩鉱物(カーン石、ウレックス石など)が見つかった。以来カリフォルニアは、カーン郡ボロンの露天掘り鉱山(初期には坑道掘りだった)をはじめ、ほう砂原料最大の卸元として今日なお世界に君臨している(埋蔵量ではトルコ、キルカの鉱床が世界一)。写真の標本の産地、同州サン・ベルナルディーノ郡シアレス・レイクの干上がった塩湖もまた、有数の産地のひとつ。
ちなみにボロンの鉱床の深部では、ゆるやかな変成作用によって、ほう砂がカーン石(ケルナイト)に変化しており(kernite/rasorite   Na2B4O6(OH)2・3H2O)、採掘が進むにつれ、同鉱の割合が増える傾向にあるという。

本鉱はたいてい無色〜白色で、柱状〜板状の結晶形を示す。きわめてもろく、一方向に完全なへき開があり、ほかの方向には貝殻状断口を示して簡単に割れる。溶液を舐めると渋味と甘味を同時に感じる。
標本を保存するのは難しい。容易に水に溶ける一方、乾燥すると急速に結晶水の半ばを失って白濁し、チンカルコ石(Na2B4O5(OH)4・3H2O)に変わってしまうからだ。これがまた粉々に砕けてパウダー化しやすい鉱物とくる。実は写真の標本、撮影のためにケースから剥がそうと掴んだら(底部を粘土で接着していた)、力を入れた途端に半分に割れてしまった。泣いちゃうぞ。

補記: Borax/ほう砂の語源は、アラビア語の Buraq/Boraq/Bauraq 「白い」であり、Tincalconite/チンカルコ石の語源はサンスクリット語の Tincal 「ほう砂」である。おそらく昔は、両者の区別が曖昧だったと思われる。

カーン石 −USA、CA、カーン郡、ボロン産

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