327.ビソライト Byssolite  (イタリア産)

 

 

透閃石(ビソライト) −イタリア、アオスタ渓谷産

 

細く柔らかい毛状の透閃石が集まってブラシのようになったものが、アルプス地方に産する。フランスやイタリアではビソライト(Byssolite) と呼ばれ、オーストリアのチロルでは アミアンサス(Amianthus)またはアミアンス(Amianth)と呼ばれる。(cf.ヨアネウム2) MR誌は、アミアンサスはヨーロッパで好まれる名で、米国ではビソライトを用いるとコメントしている。
Amianth には「穢れない」という意味があり、この絹糸光沢を示す鉱物は、火中に投じて燃えず、かえって白く美しくなることで知られていた。古名。 
Byssolite はギリシャ語のBussos(リネン/亜麻)に因む名で、1796年に H.B.ド・ソーシュールが採用した。

繊維状の物質を織り合わせたり、押し固めて糸や布を作る技術はかなり古い時代からあるもので、蚕の繭、羊毛、植物繊維等を素材にさまざまな織布、不織布が作られた。なかには鉱物を素材にした布もあり、プリニウスは次のように記している(フェルスマンの孫引き)。
「織物に用いられる石があり、蛇の住処であるインドの砂漠に育つ。この地方には雨が降ったことがなく、そのため熱気に強い。王の葬儀にはこの石を織った上衣が用意され、王の体を包んで荼毘にかけられる。また宴席用の卓布も作られる。火に投じると赤熱するが、燃え尽きることはない」

今でいう石綿(アスベスト)であろう。布は洗う必要がなく、汚れた時は火に投じて焼けばよかった。
「蛇の住処であるインド」という言葉は、西洋人の歯止めなきイマジネーションを喚起したようだ。いつしか、貴重なインド産のダイヤモンドは蛇の谷に守られてあり、燃えない布は火トカゲ(サラマンダー)の体の皮だと通説されるにいたった。それはマルコ・ポーロの見聞からも伺われる(参考:ダイヤモンドの谷)。
とはいえ彼は、この布(サラマンダー)が信じられているような動物の皮ではなく、ギンギンタラス(タクラマカン砂漠の一地方に比定)北方の山中に鉱脈をなす石であるとしている。当時、鉱山は元朝皇帝の管理下にあった。織物を作るには、鉱石を採掘し、太陽に曝して乾燥させ、その後で真鍮(銅?)の大臼でつき砕いたものを水洗いした。付着していた土をすっかり落とすと羊毛に似た毛が得られるので、これを糸に紡いで織る。織りたての布はまだ白くないが、一時間火中に熱すると、雪のように漂白されたという。

むかし不燃布は中央アジアの特産品であったらしい。交易が盛んになって現地の実情が知られるまで、ヨーロッパでも中国でも揣摩憶測が逞しかった。紀元前の中国の文書には火浣布の名で現れ、西南方の険しい火山に棲む火光獣(火鼠)の皮だとされている。熱い地方の産物だから熱に強く、まるで毛皮のようだから火の中にすむ獣のものだろうという発想で、人の考えることは洋の東西を問わない。ちなみにこの火鼠は牛より大きく、崑崙山中に永遠に燃え続ける不尽木という樹木に棲むとされた。

「火鼠の皮」の伝承は、平安時代までに日本に伝わり、物語の祖「竹取物語」に一役を買った。
掌に乗るほどの小さな体からわずか3ケ月で大人の大きさに成長した、なよ竹のかぐや姫は、すこぶるつきの美形であった。世の男性はその姿見たさに夜毎屋敷の周りをうろうろ歩きまわった。しかし姫君に応える気持ちがなければ、どうなるものでもない。やがて一人去り二人消えして、残ったのは色好みで通った貴人5人ばかりであった。
彼らを追い払うのはなかなかホネで、姫君はやむなく伝説のお宝探索を婚姻の条件に掛けた。そのひとつが、「火鼠のかわぎぬ」である。難題をふっかけられた貴人たちは皆、「いっそはっきり断ってくれればいいのに」と困り果てながら家に帰った。

とはいえ、面と向かって断られていないのに手を引くのは男子のよくするところでない、というか、惚れた男は洞察力なき上に未練たらしきものである。火鼠の皮を所望された阿部某は財産家だったので、ともかく唐に使いを出し、在唐の知人に、お金はいくらかかってもいいから品物を買って送ってくれるよう頼んだ。唐土船が返書を携えて戻ってきた。「中国にはないものです。ひょっとしたらインドあたりにあるかも知れませんから心がけておきましょう」とあった。

やがて年が経ち、唐の貿易船が再び入港した。かけつけてみると、果たして、色ガラスで飾った美々しい箱に「火鼠のかわぎぬ」が納められてあった。送り状には「これは今も昔も容易には見つけられないものです。昔インドの偉いお坊さんが唐の国に持ってきたものが西山の寺にあると聞き、自分らの力ではどうにもならないので、朝廷を通じてやっと買い取りました」とあった。
阿部某は喜び勇んでプロポーズに向かった。ところが、その衣を火にくべるとめらめらと燃え尽きてしまったので、彼の心もまた灰になった。以来、世間では間抜けで成功しない企てを「あえなし」(阿部なし)と言う。

唐代の西域往来は、玄奘三蔵のインド密行で知られる通り、国禁であった。阿部某の依頼を受けた知人としても、国内に伝わる怪しげな古物を探し出すのが精一杯だったに違いない。そして骨董品には贋作がつきものなのである。
とはいえ「火鼠の皮」は実在の品であった。通商の次第によってはホンモノが手に入る可能性もあった。かぐや姫は、識らず、あやうい橋を渡っていたことになる。

なお、石綿には角閃石系、蛇紋石系にさまざまな種類がある。火鼠の皮がどの種の鉱物だったか、今となってそれを探るのは、あえないことであるよ。

補記:「司祭ヨハネの手紙」(12C?)に次の記述がある。「乾燥した土地に近い別の州にはある虫がいて、「サラマンダー」と呼ばれている。火の中でなければ生きることが出来ない。生糸を作る蚕のように、自分の周りにある種の皮膜を紡ぐ。この皮膜を使って、我が宮殿の后たちは入念な作業によって、どんな用途にも使える布地と衣服を作る。この布地は強火で熱せられる火の中でだけ洗うことが出来る」
またパン職人がパンを焼く竈(かまど)はアミアンタス製だと記述されている。この竈の床は緑トパーズで出来ており、その性質によってアミアンタスの熱を冷ますという。緑トパーズがなければ、アミアンタスの発散する熱がパンを焦がしてしまうのだ。

補記2:プリニウスの博物誌巻8-73[192] 「自然にフェルトになった羊毛は衣服になる。そしてそれに酢が加えられると、鉄はおろか、最新のクリーニング法である火にも耐える」
アスベスト(ギリシャ語で「消すことができない」の意/ a-sbestos(sbennyai 火を消す))はもともと水を加えると熱を発する生石灰を指す語であったが、プリニウスはこれをアミアントス(純潔な)と呼ばれた耐火性の織物を成す物質の名としたため、以来、石綿(アミアントス)がアスベストと呼ばれるようになった。
なおアミアントスの語源はキプロス島の地名アミアンドゥスで、古代にはこの鉱山で産した石綿を指した。

補記3:2C前半に成立したとみられる「フィシオログス」の流れを汲む、伝ピエール・ド・ボーヴェ作「動物誌」(フランス 12C末頃成立)に四大について述べた項があり、サラマンダーへの言及がある。いわく、火とかげ(サラマンダー)は火の要素でのみ生きることが出来、羊のようにふさふさした毛をもっている。それが羽か絹か亜麻か羊毛か誰も知らない。その毛は火の中でしか洗うことが出来ない。火とかげの棲むインドの砂漠ではそれを布に織る、と。
(ちなみに「フィシオログス」では、サラマンダーは炉の中へ入ると炉の火を消し、風呂釜に入ると釜の火を消してしまう。「火の中を歩いても、火はあなたに燃えつかない」、とある。)

補記4:皇帝シャルルマーニュ(カール1世 742-814)は石綿製のテーブルクロスを所有し、晩餐のあと火の中に投げ込んで汚れを焼き、おもむろに炎の中から出して無傷であることを客に示すのが好きだったといわれる。伝説では教皇アレクサンデル3世や架空の王プレスター・ジョンが、アミアントスのローブを所有していたとされる。

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