403.カーネリアン  Carnelian (インド産)

 

 

carnelian

カーネリアン - インド、グジャラート州、バローダ産

 

アジアの国をあちこち巡っていた頃、市場で宝石屋を覗くと、よく模造宝石をみかけた。猫目効果や星彩のある美しい絹糸光沢の合成石、はっと引き込まれそうな静寂を秘めた青い透明石、ステンドグラスを斬り割って角を炎で炙ったようなのっぺりした照りを放つ石…当時は天然石でないというだけで目もくれなかった、また、こちらの人たちはこんな石を買っていくのだろうか、と知識を嵩に着た高慢な思いを抱いたりもしたのだったが……

紅玉髄(カーネリアン)は、酸化鉄を含んで血のように紅く染まった石英である。
19世紀の半ば、イギリス東インド会社の士官ウッド大尉がラピスラズリの採れる険しい峡谷を旅していたころ(⇒参照)、同社の重役エレンブローは「ボハラ汗国から産出するものは、せいぜいトルコ石かラピスラズリ、それにタカット金貨ぐらいしかあるまい」と吹いていた。なるほど、世界に冠たる大英帝国の栄耀を担う交易会社にしてもっともな意見であった。しかしボハラ(ブハラ)の東約650キロのパミール高原は古来素晴らしい宝石が産出することで有名だったし、ラピスラズリの産地バダフシャンは、紅玉髄の産地としても夙に知られていた。

イラン系やトルコ系の人たちは宝石の中でも特にこの紅玉髄を好むとどこかで読んだ。
こんな逸話がある。ハンガリー人のアルミニウス・ヴァーンベリイという男が、1863年、サマルカンドから南のカルシーを経てアフガニスタンに向った。時のサマルカンドの領主は入国を企てる外国人を問答無用で殺していたので、ヴァーンベリイは回教の托鉢僧に身をやつして難を避けた。カルシーに着いたとき、町で出逢った親切な人に、バダフシャンから輸入される紅玉髄を買えるだけ買っていくよう勧められた。彼はその言に従い、お陰で道中かろうじて乞食の旅を続けることが出来た。仕入れたガラス玉や紅玉髄を、遊牧民の女性たちがいい値段で買ってくれたからだ。そうして彼はペルシャとの国境まで辿りついたのだ。

このお話は金子民雄氏の著書に載っているものだが、氏自身もヘラートの町で宝石市場を見学する機会があり、象嵌用に磨かれた夥しい量の紅玉髄を見た(すべてが本ものというわけじゃなかった)。あるいはアシュハバードで本ものの紅玉髄が売られているのを見た。店先に大勢の女の子たちが群がっていた。だが、紅玉髄の値段は彼女らのサラリーの1年分にも相当するのだった。

私たち(日本人)は紅玉髄を安物の貴石とみなすが、宝石の値打ちも趣味の良し悪しも、けして絶対として語ることは出来ない。
同じように、アジアの国々で売られていたガラス玉や合成石にも、私たちの基準で判断することを許さない愛好が、それぞれの土地に、文化に、それぞれの人の尊厳と共に、あるのに違いない。

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