441.魚眼石と束沸石 Apophyllite-(KF) & Desmine  (インド産)

 

 

Apophyllite-(KF)  Desmine

淡緑色のアポフィライトと
淡橙色の束沸石(ヘマタイトのインクルージョンによる)
−インド、デカン高原産

 

西インドの高原都市プーナ(プネー、プーン)は、19世紀中頃以来、沸石や魚眼石の大産地として夙に有名である。産出自体は以前から知られていたに違いないが、もともとインドの人々は鉱物蒐集にも野外採集にも伝統的に(宗教的に)てんで興味を持っていなかった。そこで標本の供給は、事実上、当時のイギリスによる植民地経営の副産物として始まった。というのも、英国人にはまた別の嗜好、というか伝統があり、地質学者はもちろん、インドに赴任した軍人や植民地開発に携わった技術者たちが、博物学的興味をそそるさまざまな「お土産」を本国に持ち帰ったからだ。そうして欧州の愛好家や研究者たちの間で、遥かなるインドのお宝が注目されるようになった。

その嚆矢は、1851年に始まったボンベイ(現ムンバイ)−プーナ間を結ぶデカン鉄道(インド半島鉄道)の建設だった。1862年〜63年に開通したこの路線は、西ガーツ山脈の激しく侵食された懸崖を伝って高原を上ってゆく山岳鉄道で、10年かけた工事中に山群をくぐる幾多のトンネルが穿たれ、夥しい数の晶洞が発見された。晶洞の大きさは差し渡し2mに及ぶことも稀でなく、中には淡い緑色の魚眼石の結晶や橙色の束沸石の束が無数に散らばっていた。灯火を掲げると、さながら宝石のように煌いた。一群のトンネルは「ジュエル・トンネル」と呼ばれて、地元の新聞に紹介された。ニュースを読んだ人々が、「宝石」を見るためにこぞって建設現場へ足を運んだ。
結晶に埋まった石板が続々掘り出されたが、その多くは持ち帰った作業者たちの手で、泥と藁で造られた彼らの家の壁にはめ込まれたという。

トンネル内には今も晶洞が露出しているそうだが、かつて石炭蒸気機関車が吐き出した真っ黒な煤煙で完璧に覆われているとのこと。
私は若い頃、デカン・クイーンだかミナール・エクスプレスだかに乗って、2度ほどこの路線を通った。「険しい峡谷の斜面をはりつくように走っていくんだ、景色がすごい、こわいよ」と教えられて、ずっと車窓から外を眺めていたけれど、トンネルの中はいつも真っ暗。魚眼石が潜んでいることなんか、ちっとも気がつかなかった…。

cf. No.2 魚眼石  No.220 束沸石

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