463.方ソーダ石 Sodalite (ミャンマー産) |
小さい子供は石や動物や虫に対する自然な興味を持っている...とNo.446に書いたが、珍しいもの、きらきらしいもの、新しい刺激や出来事に、ふいと気持ちが引っ張られるのは人間の本来的な性質であるらしい。また、なんだか分からないが、ついついモノや体験(思い出)を集めて貯めこんだり、並べてしまうのも半ば無意識の衝動であるらしい。そこで、いくつになっても石ばかり偏愛し続けるのは特殊な性癖だ、とまあ、仮に譲ったとしても、野外で見つかる珍奇な事物(や生き物)を家に持ち帰っては恍惚に耽る態の御仁は、人類始まって以来無数に存在したと、これは言い切ってよいだろう。
集めた品物には保管スペースが必要だ。西洋では古くから陳列と貯蔵とを兼ねてそうした事物を収めておく専用のケースが作られていた。キャビネットである。
中世以降、有閑階級の人士(貴族)たちは広壮な館に展示室をおき、キャビネットを並べて、その空間を蒐集したアイテムで埋めるのに夢中になった。高価な美術工芸品やら遺跡から掘り出された遺物、狩りの獲物、自然界に見つかるさまざまな「普通でないもの」をどんどん集めていった。
これはただ純粋な好奇心によって蒐集に走る段階から、一歩、社会化された行為であった。彼らにとって、蒐集物は誇らしい所有物でありステータス(富の象徴)であり、また売買の対象となる投資商品でもあった。自分自身が野外で集めることはまずなく、採集人に採集させたり、商人を通じて購った(私たちとて大同小異だが)。いわば、金にいとめをつけずに集めた蒐集物を拡張した自己として世に顕示し、また蓄積可能な換金物資として取り扱ったのだ。蒐集物の選択基準も分類の基準もあまり明確でなかった。
とはいえ、そうした環境の中で学究の魂は育まれたのである。近代ヨーロッパの博物学や記載分類学は、時間もお金もたっぷりあました富裕層の暇つぶしから、すなわち好事家の趣味学問を通して、生まれた。彼らの蒐集物を基盤に成立した博物館も少なくない。17世紀には博物学的コレクションが上流階級における紳士(淑女)の嗜みであり、教養であるとみなされていた。
上の標本。ミャンマー、モーゴウ産の方ソーダ石。透明度があって強い光を透かす。珍奇でしょ?
※最近(2007)、ミャンマー産の透明なソーダライトのルースストーンも市場で見かけるようになってきた。
※2014年現在では、バダフシャン産の青色透明な方ソーダ石も出回っている。しかもシャープな自形結晶を示すものが多い。cf.No.607