468.菱マンガン鉱 Rhodochrosite (日本産ほか)

 

 

Rhodochrosite 菱マンガン鉱

菱マンガン鉱−北海道古平町稲倉石鉱山産

Rhodochrosite ロードクロサイト

Rhodochrosite with Quartz ロードクロサイト

ロードクロサイト −ルーマニア、カブニック産

Rhodochrosite 菱マンガン鉱

菱マンガン鉱 −カナダ、ケベック、モンサンチレール産

 

ほんの2,30年前まで、自分で採集に行かない鉱物愛好家は少数派だった。標本を買うにしても、チャンスもチャンネルも限られていた。名著「鉱物採集フィールド・ガイド」(1982)で草下氏は、特殊な採集法として室内採集、交換採集、札束採集についてひとわたり説明したあとに、「しかし、鉱物採集の本来の目的は、自然に親しみ、自然の神秘にふれることにあるのだから、室内札束採集は下の下というプライドを持っていたほうが、あきらめもつくというものだ」と潔い気炎を吐いている。

が、今は標本商さんの書いた図鑑が一世を風靡し、毎月のように鉱物フェアが開かれる時代だ。インターネットショップも花盛り。もちろんそれは大歓迎。われら一般人にとって、海外産の素晴らしい標本を手に入れる方法が札束採集のほかにあるだろうか。それに比較的手軽に標本が手に入るようになって、愛好家の層がどれだけ広がったことか。

だがここに懸念がある。そうして買った石と自分で採った石とでは、石に向き合う姿勢がおのずと違ってくるのではないか。いいかえれば、標本を採る趣味と買う趣味との間には、楽しみ方の質にかなりの隔たりがあるのではないか。 まあ、私がそうだったということなのだけど、先の草下氏の言葉も、その違いを意識してのことではなかったかと思ったりする。cf.No.701

 

補記:稲倉石(いなくらいし)鉱山は北海道の積丹半島にあったマンガン鉱山で、古平川、滝の沢、ピリカナイ川などの流域にある土地。アイヌ語に古くペンケ・ケナス・オマ・ナイ(「上流に樹木の多い川」の意)と呼んだところで、約めて訛ってイナクライシ、エニクルシ等と称した。
流域で薪材を搬送していた杣人が明治18年に金の露頭を見つけたのが始まりで、ほどなく金銀銅の坑道掘りが始まった。44年に休山したが、大正6年以来、一次大戦の世界的な製鉄ブームを受けて、マンガン鋼の原料としてマンガン鉱を採掘するようになった。そして二次大戦前の国内鉱山開発熱によって設備が増強され、昭和11年以降国内一のマンガン出鉱量を記録してゆく。戦後も朝鮮戦争による景気の恩恵を受けたが、38年をピークに業績が下がり、40年代以降は規模を縮小しながら操業を続けたが 59年に閉山した。その後は砂利採石場となった。
マンガン鉱は菱マンガン鉱や閃マンガン鉱を主体とする鉱石が採れた。美しいピンク色の菱マンガン鉱は「桜マンガン」と愛称された。層状に沈殿したぶどう状(仏頭状)のものが有名で、暗い紅色透明の縞目の鉱石にえも言われぬ風情がある。また上の画像のように自形結晶面の見える標本も出た。成美堂の「日本の鉱物」(1994)に同様の標本が載り、「桃色爪状」と描写されている。同書は層状のものを「インカローズ」と紹介しており、少し大げさに思われるが、実際、磨いて飾り石にしたようだ。

ルーマニアのマラムレシュ県カブニックは、戦後の東側の開発熱を浴びた鉱山地域で、1960年代以降、菱マンガン鉱の美麗標本が折々市場に現れた。画像の標本は水晶上にほんのり桜色の微晶が群れた佳品で、ルーペで見ると菱面体形の結晶がまるで桜塩を散らしたようで美しい。

カナダのモンサンチラールは泣く子も黙る希産鉱物の卸元だったところだが、菱マンガン鉱にも見るべきものがあった。本鉱は熱水生成したものが普通だが、この産地ではペグマタイトの後期生成物として晶出したとみられる。色や結晶形はかなりバラエティに富む。画像は周縁が刃状に見える扁平な結晶。No.671 に菱面体形のものを示す。三角形状のものも知られる。(2022.1.3)

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