589.紫水晶 Amethyst (メキシコ産) |
水晶の中で紫色のものを紫水晶またはアメシストと呼んでいる。英語圏にはパープル・クオーツとかバイオレット・クオーツ(菫水晶)という表現がないでもないが、まずは古来からの名称、アメシストで通用する。それだけポピュラーな石ということだ。
語源はギリシャ語のアメシストスで、一説に「酔ってない」の意味だと言われている。その理由付けに、やや迂遠ながら次のような伝説がある。
ローマ神話にバッカスというワインの神(ギリシャ神話の酒神ディオニソス)があった。ある美しい妖精に懸想して執拗に求愛したが、妖精は嫌って逃げ回り続けた。しかしバッカスは追いかけるのをやめない。ついに妖精はある女神の庇護の下、石に姿を変えてもらってようやく難を逃れた。バッカスは呆然と傍らに立って滂沱の涙を流した。そして報われなかった想いを込めて、石を彼が好んだワインの色に色づけた。この石を帯びるものは誰でも、どんなに深酒をしようとも楽しい酩酊の境に遊ぶことは叶うまいと呪を刻んだのだという。(※補記参照)
ローマ人にとって紫水晶を手に入れることがさほど難しかったはずはない。実験の機会はいくらもあっただろうが、いやその結果によってか、彼らはこの石の杯で酒を飲むと酔わないと信じるに至ったらしい。石に触れると酔いが醒めるともいった。ワインにだけ効いたのか、ほかの酒でも酔わなかったのかは定かでない。もっとも、酔っていても酔ってないと主張するのは酒飲みの慣いである。
プリニウスはこの石の色はワインに似ているがそこまで濃くないから酩酊に至らせないのだろう、と妙な理屈を述べている。
この説は中世に至っても健在で、例えば「司祭ヨハネの手紙」に、「食卓は高価なエメラルド製であり、それを紫水晶の二本の円柱が支えています。実際、会食者の誰も酩酊しないのは、この石の力のゆえなのです」とある。
またアメシスタスは単に酒を意味し、紫水晶の色が赤ワインの色に似ていたためにその名をつけたという説もある。同じ伝で、葡萄の栽培と酒造を伝えた酒神バッカスに因んでバッカス・ストーンとも呼んだ。
ワインの発祥は古く遠くメソポタミアのシュメール文化に遡り、エジプトに伝えられ、ギリシャに渡り、ローマにもたらされた。その頃までワインはアルコール度数が低く糖度の高い飲料で、酒和え甕に入れて水で和え、甘さを調整して飲用した。その後ローマ時代に酒造技術が進歩し、発酵中にほとんどの糖分が消費されてアルコール度数が上がった。そしてワインを和えずに生のまま飲むようになって、酔っぱらいも増えたらしい。この杯で飲めば大丈夫だから、などと言いつつ度を過ごしたのだろう。
アメシストはまるで酒呑みの(酒乱抑止の)ためにあるようだが、西洋ではほかにもさまざまな効能が伝えられてきた。総じていうと、荒れた事態を沈静させたり、感情を落ち着かせ、頭脳を明晰にする(酔わない)性質があるようだ。これは石の力というより、紫色そのものに具わったヒーリング効果であるかもしれない。興奮して赤くなったものを、ほどよく蒼ざめさせるのである。
ローマでは最初にキリスト教徒がこの石を身に帯び、その習慣が司教はじめ聖職者の間にも広まって、いつかローマ教会の威厳と荘厳を象徴するものとなったという。文化人である彼らは、ワインを飲んでも酔った姿を他人目に曝したくなかったのだろう。聖バレンタインはこの石をいつも肌身離さず持っていたと伝えられる。(※あるいはキリストの血の象徴であるワインのそのまた象徴として紫水晶を用いたか。ワインを鯨飲して酔うことは悪徳とされていた)
「祝福された石」とも呼ばれ、和やかさ、素直さ、誠実さのシンボルであり、身につけるものの心を落ち着け、幸運をもたらすと信じられた。着用者を元気づけ、深酒や薬物中毒から護り、記憶を確かにし(※付記)、悪い考えを追い払う。蛇や爬虫類を遠ざけ、またその種の性質を持った人物から護る。枕の下に入れておくと悪夢を見ない。天変地異にも効果があり、雹害やいなごの害を遠ざける、と。
古来、日月を刻んだものは魔術や呪術、悪魔の攻撃を破る最強の護符と信じられ、クレオパトラはアメシストに太陽神ミトラスの姿を刻んだ印章指輪を使った。エドワード懺悔王(11C)の指輪に使われ、後に英国王室王冠に嵌められたアメシストには、疫病を退ける力が吹き込まれていると伝えられた。
アメシスト(特に濃色のもの)を身につけると冷静さを保ち、浮き足立つことがないというので、兵士が戦場に持ち行き、勇敢さと無敵の強さが発揮出来ることを願った。Soldier's
Stone の別名がある。
中世の十字軍兵士はこの石が身を護ると信じ、アメシストを組合わせたロザリオをまさぐって、夜毎天に祈りを捧げたとか。(この種のロザリオは戦争や災害を鎮めるためにも役立つので、あるいは早く戦争を終わらせて家に帰りたいと願ったのかもしれない。)
心に平穏をもたらす効能から派生したのだろうか、アメシストは中世には愛の石でもあった。愛する人への贈り物に用いられ、悪い考えを退け、しみ・ソバカスをなくし、時にはやけどや神経症、体の失調や健忘症、老化を防ぐ効果があると言われた。
降っては、悪縁を遠ざけ、女性の好意を引き寄せる石であった。この石を贈ると、そのときほかの男性を慕っていた女性でも、贈り主に全面的な愛を抱くようになるという。しかしこれは金色夜叉効果であって、必ずしも石の力とは言えない気がする(そもそもバッカスの逸話に似合わない)。
既婚者や婚約者は、よく知らない人からこの石を使った物品を受け取ってはならないとされた。一方、水晶と組み合わせて使うと隠された情報を引き出せると信じられ、また配偶者の悪癖を正すとされたので、結婚生活において互いに用いる場面があったようである。
19世紀にはからかい半分に「おひとりさまの石」と呼ばれたが、それは若い女性や少女はこの石の飾り物を持っては(与えられても)ならないとされたからである。
そのほか、王侯への嘆願書を作るときに着用するとよいとか、哀悼を表すとか、商売の成功をもたらし蓄財のたすけになるとか、装身具には金と組み合わせてはならず銀を用いるとか(金を使うなら他の石も組み合わせる)、アメシストの指輪は薬指に嵌めるとよいとか(男性は右手、女性は左手)、さまざまなことが言われており、しまいに訳が分からなくなった。20世紀には誕生石のひとつに列せられた。
アメシストの色は濃淡さまざまで、色調も青紫〜紫〜赤紫まで幅広くあるが、もっとも賞賛されているのは赤みがかった濃紫色、つまりワイン色のものである。アメシストにはわずかながら多色性があるので、色が濃く見える方向にカットされる。光源によって多少なり色が変わる。
古代の航海者や旅行者はこの石の色の(光による?)変化を注意深く観察すると、天候が予測できると考えた。色が濃くなれば雨、明るくなれば晴れると。ちなみに淡い色のアメシストはふつう人工照明(特に黄色光の強い)の下では色褪せて灰色に見えるが、メーン州の濃色の石にはかえって生き生きしたワイン色になって魅力を増すものがあるという。
インドでは眉の間に捧げると心が静まるといわれ、アユルベーダは、この石が感情のコントロールを助けると述べている。
今日のニューエイジ・ムーブメントでは、アメシストには陰の気があり、アジュナ・チャクラ(第3の眼)に影響を与えるとされている。心を秩序立て、瞑想に用いられるが、陰の気を引き込みやすいので、感情が乱れているときに身に着けた場合は、後で流水などに浸して浄化する必要がある。
東洋では、「紫石英を長く続けて服むと十年子なき婦女が孕む」と神農本草経にあるのが有名で、また長生薬の成分のひとつとして粉末にして飲まれた。この話はまたページを改めて⇒No.590。
cf. No.988 拡大画像(紫色の濃淡累帯構造)
付記:聖書の創世記 41に、ヨセフが長子マナセを授かった時、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事(兄弟の激しい嫉みを受けた)を忘れさせられた。」と言ったと記されている。アメシストはマナセを象徴する石のひとつである(もうひとつはメノウ)。マナセの誕生はヨセフにかつての苦労を忘れさせたが、アメシストは反対に(酒酔いによる)忘却を防ぐ力を持つと考えられた。
補記:アメシストの伝説にはさまざまなバリエーションがあり、バッカスに追われた妖精の名がアメシストだという説もある。アメスシトを救ける女神はディアナだが、別のお話では、バッカスは想いを遂げて妖精と仲良くなり、これを見たディアナが嫉妬して妖精を石に変えた、バッカスが石にワインを手向けて注いだところワイン色になったとある。また妖精を追うものはバッカスでなく、ピューマであるとする説もある。主筋と人物の周りにさまざまなバリエーションが成立しているが、どれが古形かを問うても無意味という気がする。
補記2:この数十年来、メキシコには紫水晶の二大産地がある。一つはゲレロで、もう一つはラス・ビガスだ。両産地の紫水晶には明瞭な違いがあって容易に区別がつくが、いずれ劣らぬ名品の佇まいがある。ゲレロ産は結晶の下部から中部にかけてがいくらか太った感じで、柱面に傾斜がある(大傾斜面をなす)。色調は赤みを帯びた紫色で、最上とされるシベリアン・カラーに擬えられる。色味は結晶の内部(中心部)で濃く、結晶面周辺や頭部は概して無色である。山入りの模様がはっきりしている。
この産地の紫水晶が本格的に採掘されるようになった始めは
1930-33年頃という。当時、アマティトランという小村に住むドナート・レタナという農夫が、トウモロコシの種を播くために土地を耕しているとき、土中から紫水晶を掘り出した。ドナートはイグアラに住む姪に相談し、読み書きの出来る彼女は叔父の名義で鉱区を申請した(それが元で二つの家族に激しい争いが起こった)。
ドナートはラピダリー産業が盛んだったケレタロを訪ねて、彼の発見の価値を諮った。そうして宝石細工店を営むオンティヴェロス家がビジネスに参入した。オンティヴェロス家はやがてアマティトランに自身の鉱区を持つようになり、マニュエルは父に命じられて熱帯雨林の生い茂る地で宝石原石となる紫水晶を(秘密裡に)探った。コーラ瓶ほどもある結晶が採れたが、この頃彼らは標本市場を知らなかったので、宝石質の部分だけをファセット用に割りとり、荷詰めして、(掠奪を恐れて)道なき山地を踏破した末、漸う海際の町アトヤックに辿りついた。そしてメキシコシティで原石を売って膨大な利益を上げた。それは若干17歳のマニュエルにとって生涯忘れることのない冒険の日々、黄金の日々だった…。
その後、一家は鉱物標本市場へも目を向け、マニュエルはテキサス州エル・パッソに標本店を営む。スミソニアンには彼が提供した
2フィート長の巨晶が収蔵されている。1960年代、この標本はデゾーテルやポー博士らに世界一と折り紙をつけられていた。
紫水晶の鉱脈はアマティトランから北東の山岳地のあちこちに分布している。地表から
8-10mほど掘ると脈にあたり、脈を追って溝を掘り、あるいはトンネルを掘って採掘する。採り尽くせば、また新しい脈を探す。マルガリータ(かつてオンティヴェロス家がアタリをとった)、ヴァレンシアーナ、パロ・ベルデ、サンタ・リタなど豊かな鉱脈のあった場所はその名が鉱区名として残っている。
一帯はアルプス式の熱水脈を起源とするスカルン鉱床で、鉄鉱石(鏡鉄鉱、磁鉄鉱)のポッドに自然金が散らばった箇所があり、「ゲレロ・ゴールデン・ベルト」と呼ばれて鉱区が設定されている。以前は鉱区を国が管理していたが、1998年に私企業2社に払い下げられた。以降金や紫水晶の産量が増えたという。金を目当てに操業するわけだが、副産物として紫水晶が見つかれば、それもまたいいビジネスになるのだ。
ゲレロ産の紫水晶はかなり安定的に市場に流れている。稀に日本式双晶がある。