988.水晶(ファントム・クオーツ) Phantom Quartz   (インド産)

 

 

amethyst

amethyst

アメシスト −メキシコ、ラ・バレンシアーノ鉱山産
柱面がよく成長したアメシストは、ブラジル産と違った趣き。
紫色の着色部が柱軸方向に濃淡の累帯構造を示す
No.589
の標本

phantom quartz ファントム水晶

ファントム・クオーツの群晶 −インド、ヒマーチャル・プラデシュ産 
各結晶の柱高さにして7分目のあたりに、
気泡〜異種鉱物の被覆層があり、山形のファントムを見せる。
おそらく同じ時期に、その時点での結晶面をなした位置だろう。

phantom quartz ファントム水晶

各結晶の内部に錐面の形がみえる。
よく見ると各錐面(r面、z面)の大きさの比率は
現在の錐面が構成する比率とは異なっている。
(例えば現在 z面として比較的小さな錐面がある下で、
対応するファントムは比較的広い錐面となっている。なぜ。)

phantom quartz ファントム水晶

こういう標本を見ると、水晶が錐面に平行な弱い
へき開(裂開)面を持つことが当然に思えてくる。

phantom quartz ファントム水晶

成長のある時期に異種鉱物の厚い層に覆われて、
その後は水晶が成長しなかったと思しい領域。
それぞれの結晶の頭部が、どれも明瞭な錐面の形を
見せていないのはなぜだろうか。
結晶が折れた跡なのか?

 

水晶系の貴石には、ファントム・クオーツ(ファントム・クリスタル)とファントム・アメシストと呼ばれる2種のバリエーションが知られている。
近山宝飾大事典を開くと、ファントム・アメシストとはファントム構造を持つ紫水晶で、「多くの場合透明であるアメシスト部と半透明であるアメシスト・クオーツ部とが繰り返している平行な縞状構造のもの」とある。平たく言うと紫色の部分と白色ないし半透明の無色水晶の部分とが互層したブロックを磨いたラピダリー片で、層の形状あるいは境界の形状が結晶形を反映した幾何学(折れ線)模様になっているものだ。ある時は着色因子(普通鉄分と考えられている)を多く含んだ水晶成分が、ある時は着色因子に乏しい水晶成分が周期的に入れ替わりつつ晶出/成長したと考えられる。
益富「鉱物」(1974)に恰好の標本が載っており、「白と紫の織りなす縞は心憎いほど夢幻的である。平行連晶の好例」とコメントがある(p.23)。「心憎い」とは「あまりにすぐれているので憎らしくさえ感じられる」(三省堂「大辞林」松村編)ニュアンスだから、益富博士には可愛さあまってなんとやら、だったらしい。

ファントム・アメシストは柱軸方向に切り出して、(錐面の)山形の累積模様を愛でるのが普通のようだが、No.984No.985 で示した紫色と無色との着色分域を持つものも、同様にファントムと呼べそうである。
ところで、もし着色因子に変動のない水晶成分が粛々と晶出を続けたとすれば、その領域には色の変化/ファントムは現れないだろう。博士が言うようにファントムが「平行連晶」なのであれば、実は水晶のほぼあらゆる領域は機構的に平行連晶によって生じるといえるのではあるまいか。そして無色透明の水晶はこのような連晶の履歴を持ちながら、その証拠を隠して現さないのだから、むしろこれこそ真のファントムではあるまいか。(ところで、このページのアメシスト標本を平行連晶と呼ぶべきか?)

近山大事典に戻ってファントム・クオーツ(クリスタル)を引くと、「透明水晶中に別個の、あるいは繰り返しの結晶が見られ、ファントム構造を示すものをいう。ゴースト・クリスタルともいう」とある。そしてファントムとは「幻の意味があるが、透明結晶中に見られる僅かに濃淡の差のある色縞、あるいは色相のかすかに異なる層の繰り返されている状態をいう。」「結晶成長の不連続性に起因するが、生長過程でその結晶面に平行に生ずる累帯構造の大きく現れたものも含まれる。いずれにしても、生長の周期的な変化による平行的なぼんやりした縞状構造である」と説明している。
近山博士の定義に従えば、貴石としてのファントムは、平行な累帯構造が連続的に現れたもので、ただ一度濃淡や色が変化するだけのものはファントムでないことになろう。このような累帯模様は常に可視状態にあるのになぜファントム(幻影/まぼろし)と呼ぶのかを推測すると、おそらくかつて成長の途上で結晶面をなしていた箇所(のいくつか)が、その後の成長によって覆われて結晶面ではなくなっているにもかかわらず、痕跡として認められることをもって残像〜ファントムと観じたのではあるまいか。
今、樹木を例に挙げれば、これを切り出した時に現れる亜平行の柾目模様(成長模様)や同心円状の年輪をファントムと呼ぶに等しい感性であろう。ただし水晶の場合は内部に成長模様が残っていることは普遍的でなく、むしろ珍しい。そのような希少性を示す意味でも、手に入り難いファントム(まぼろし)という語感が、宝石貴石商の脳裏をちらちら見え隠れしたのかもしれない。
博士はまた、「ぼんやりした縞状構造」と表現することで、幽霊のように捉えがたい在り方をファントムに擬えたかもしれない。しかしファントム・アメシストの場合、縞状構造はふつう、縞めのうと同様に明瞭であるから、この表現はどちらかといえばミスリードになろう。
ネット上で海外のあるニューエイジ系サイトを調べると、ファントムと呼ぶ所以を、ある結晶の上に別の結晶があたかも憑依(haunted)するかのように覆いかぶさっているから、と述べていた。なかなかニクい表現ではないか。Haunted Quartz (ゴーストに)とり憑かれた水晶。

ボネウィッツの大図鑑(2007)のファントムクオーツの項には、次の説明がある。「石英が溶液中で成長するとき、その成長端面に気泡や他の鉱物の微小結晶が集積すると、結晶の色合いがわずかに変化する。これをファントムとよんでいる。」「緑色のファントムは主に緑泥石、赤褐色は様々な鉄酸化物、青色はリーベック閃石を含有することが原因である。白色のファントムは、気泡や水泡の含有によることもあるが、溶蝕された結晶面が挟まっているためであることもある。」
紫色のアメシストへの連想が洩れているが、彼の見解では、水晶以外のさまざまな鉱物(気泡含む)が夾雑物として成長面に集積することが要件であるようだ。そして平行的に累帯すべきことは示されていないので、夾雑層が一つだけでもファントムと認めるのだろう。実際、昨今の鉱物標本市場でファントム・クオーツとして扱われているものは、このテのものが多い。No.321 の山入り水晶の翠色然り。
「溶蝕された結晶面が挟まっている…」のくだりは、私には言っていることがよく分からないのだが、溶蝕で生じた凹凸面が、その後の成長で完全に埋め戻されずに空隙として残っているという意味だろうか。
そうすると、いわゆるエレスチャル水晶にみられる骸晶的な構造が内部に留まっているのも、同様にファントムとして扱えるのか。例えば No.961の標本に見られる煙色の濃淡に囲まれたパターンを、彼はファントムと呼ぶだろうか。

日本におけるニューエイジ・クリスタル・ヒーリングの草分け書、ジェーンアン・ドウの「クリスタル・ジャーニー」(邦訳 1994)の表紙は各面を美しく磨いた「シャーマンドウ」クリスタルである。内部に一層の白いファントムを持つ水晶で、澄んだ水のように無色透明なマテリアルを透して、内側のファントムが整った錐面と柱面とを見せている。
ジェーンアンは「白いファントムをもつシャーマンドウは、…、光と完璧さは私たちみんなのなかにあるのだということを示してくれる、曇りなきシャーマンの鏡です」と語る。バランスのとれた結晶形/ファントムを、我々が等しく本来的に内在させている霊的な光の身体のパターンに擬え、その真実を我々に想起させるトリガーと捉えているのだ。
かくてファントム水晶を見るとき、我々のゴーストが囁く。Who am I ? 「自分が誰かを、思い出せ」 

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