608.藍方石 Hauyne (イタリア産) |
イタリア産の藍方石の標本はすでにいくつか紹介してきたが(No.367、No.491)、特徴の異なるものなので載せておきたい。粒状のアウインが集合して群落を作っており、金雲母らしき鉱物と共産している。熱変成を受けたのだろうか。
わりと古い標本で、ヒュー・A・フォード(1885-1966)のラベルがついている。
このフォードという人はロンドン生まれのイギリス人で、世界各地を飛び回って英国領事を務めた外交官だった。アフリカの方言を含むいくつもの言語を自在に操った。勲功のあった外交官に与えられる、聖マイケル・聖ジョージ勲章(CMG)を叙せられた。いわゆる名士である。
彼が鉱物に興味を持ったのは5歳のとき、誕生日のお祝いにカンバーランド産の方鉛鉱とスイス産の煙水晶を贈られたのがきっかけだったという。30代に入った頃から本格的な標本蒐集に手を染め、片足を突っ込み、しまいには没頭した。
35年の間、世界中を飛び回った後に引退を決意したとき、すでに家族も古い親友もいなくなった祖国には帰らず、任地のアメリカに留まることにした。マサチューセッツ州ケンブリッジのペンションに悠々自適の生活を送るはずだったが、大戦で英ポンドの暴落が起こったため、あてが外れた。収入を補う手段を見つける必要に迫られ、選んだ職業が、若い頃から情熱を傾けた鉱物標本のディーラーだった。
1945年に自宅で標本の販売を始めた。よき協力者が現れ、翌年にはニューヨークにショールームを開くことが出来た。もともと優れた標本のストックと高度な知識を持っていたフォードが、当代一流の標本商として認知されるのにさして時日はかからなかった。
彼の個人コレクション、とくに宝石原石の結晶は有名だった。それらは健康を害するまでの10余年の標本商暮らしの間に少しずつ売り捌かれていったが、お気に入りだった50ケの標本は長く手元におかれていた。それも1957年に人手に渡った。彼が亡くなったのは
1966年である。
なんとなく身につむ思いがする。…湿っぽくなった、いかん、いかん。